×長編 | ナノ



 正門に何とか辿り着くと、そこに母親の姿は既にあった。一度振り返り、校舎の壁に掛かっている大きな時計を見やれば十二時二十分過ぎ。母親にしては、早いご到着だ。何年も一緒に住んでいる自分が言うのだから、これは間違いない。

「や、病人。元気?」
「病人に元気があると思う?」
「そんだけ減らず口が叩ければ充分だよ。さて、帰るから。ほら」

 何本目か分からない煙草を携帯灰皿に押し付けた母親が、呑気に笑う。差し出されたヘルメット。彼女の後ろで悠然とした存在感を放つ、バイク。それに目を向けながら、渋々渡されたヘルメットを頭に被った。ただでさえグラグラする頭が、ヘルメットの重みで更に覚束ないものになりそうだ。

「昼ご飯は?」
「食べてないよ」
「なんだ、学校で食べなかったのか」
「ん。食欲もないし」
「あっははは、ヤワな娘ー」

 フルフェイスのヘルメットを被ったせいか、くぐもった笑い声を上げる母親は慣れた手つきでバイクに跨った。私もまた、運転する母親には劣るものの慣れたようにその後ろに座る。回した彼女の腰は驚くほど、細かった。

「じゃあコンビニに寄ろう」
「だから食欲ないってば」
「名前じゃない。夜勤明けの私による私のための私の配慮」
「あ、そう……」
「捕まってなよ」

 カタンと足元にあるスタンドを跳ね上げた途端、後ろに逸らされる衝動が全身を襲った。母親の腰に回していた腕が何とか辛うじて吹き飛ぶ私の体をバイクにつなぎとめてくれている。切り裂くように風の中を走るバイク。ようやくその空気抵抗に慣れてきた私は、視界いっぱいに広がる彼女の背中に顔を埋めた。

 肩に掛けた鞄は慣れることなく、空気に翻弄され何度も私の体にその身をぶつけている。微かな痛みを覚えながら、私はその中に入っている存在を思い浮かべた。青色に白字で文字の掛かれたパッケージ。その鮮やかな色彩は、まるで目の前にあるように鮮明に映し出すことが出来た。

「んー……」
「何?」
「名前、何かあった?」

 信号待ちで停止するバイク。振り返った母親の顔は、ヘルメット越しだというのに手に取る程理解出来た。何か面白いネタを見つけたとでも言わんばかりの、愉快な顔。眉を寄せながら私は小さく首を振る。何かあった。それはまあ、あったと言えばあった方に入るんだろう。鮮やかなポカリスエットのブルーがまた、脳裏に描かれる。信号が変わり走り出したバイク。容赦なく吹く風に鼻を啜りながら、空を見上げた。

「なんもない」
「そう?」
「……ん」
「良いねえ」
「んー?」
「良いねえ、高校生。若いって羨ましいわ」
「……それ、保健室の先生にも言われた」
「あはは、その先生とは気が合うかもね」

 快活に笑う母親の声。先程お世話になった先生とのそれと重なる。ああ、彼女に好感を抱いたのは自分の母親に通じる雰囲気があったからか。静かに目を瞑る。

 ポカリスエットと空。同じ色したその色が、鬱々とした私の心情を少しだけ晴らしてくれるような気がした。