×長編 | ナノ



 次に目を覚ましたのは、自然的なものではなかった。苗字さん、何度目かの呼びかけに無意識に声を洩らす。うっすらと開いた視界の端に、見慣れた顔があった。

「……先生」
「やっと起きたわね。そろそろ十二時半になるから、帰る支度した方が良いわよ」
「うー……」
「起きれる?」
「……たぶ、ん……」

 半ば無理やり起こされたようなものだ。うんざりした気持ちに晴れ間は見えなかった。ほんの数時間寝たら治るかと思っていた病気は一向に治る気配を見せない。そのことが何よりも憂鬱だった。よいっしょ、まるで年配の人みたいな声をきっかけに半身を起き上がらせる。いつの間にか、背中には汗を掻いていた。ひんやりとしたワイシャツに思わず身震いを興す。布団から下半身を出した後、勘を頼りに室内履きを探る。ようやく両足共に靴にありついた私は、一つベッドの上で伸びをすると勢い付けて、立ち上がった。そうでもしないと、いつまでも立ち上がれそうになかったからだ。

「……十二時十分」

 反射的に目を向けた時計が刻んでいた時刻を口にした。あと五分ほどで午前の授業が終わる。そうすればここも、昼休み独特のあの騒がしさに包まれるのだろう。そう考えると静かな内に起こされて良かったのかもしれない。いや、きっと先生はそうなることを見越して私を起こしたのだろう。枕元に置いていた携帯を制服のスカートポケットにしまう。次に床に置いていた鞄を手にした。しゃがみ込むのは少し辛かったが、仕方がない。開け放たれたカーテンを吊り下げるレールの下を通る時、不意に携帯を置いていた方とは別の枕元に何かがあることに気付いた。

「……ポカリ?」

 若干覚束ない片膝をベッドに掛け、それを手にする。ひんやりとまだ冷たい缶。湧き上がって来るのは疑問だった。誰が、?

「ほら、早くしないとお母さんにほっとかれちゃうわよ」

 くすくすと笑いながら先生がこちらへ歩み寄ってきた。

「先生、」
「ん?」
「これ」
「……ポカリね」
「ポカリですけど、あの、……誰が?」
「あら。気付いてるんじゃないの?」

 え、と手元の青色の缶を見下ろす。同時に思い起こされたのは、二度目の眠りに落ちる前の記憶だった。

『スポーツドリンクって嫌いですか?』

 まさか。

「でも、あの。知り合いじゃないんですけど」
「そんなの関係ないわよ」
「え」
「良いなあ、高校生。青春だなあ」
「先生……何歳ですか」

 先程から、と言うか言葉の端々に感じる高年層らしき言い種。見た目は大人だけど、どこか若さの感じられる先生には似つかわしくない言い方だった。何歳ですか、言った後に立てた予想は大学卒業三年以内。けれどそれも見事に打ち砕けられた。

「今年で三十路」
「え」
「見えない?よく言われるわ」
「そう、ですね。年の数え方どこかで間違ったとか」
「そうかもね」

 含みのある笑みは何度見ても綺麗だと思わせるものだった。それよりも、と、未だ手のひらの温度を奪っていく缶に目をやる。脳裏に浮かべた降谷君という男の子の姿。彼がどういった理由でこれを私にくれたのか。想像しても思い当たることは何もなくて、結局気まぐれだろうという一点で無理やり自分を納得させた。

「じゃあ、帰ります」
「はい」
「ありがとうこざいました」
「お大事に。それから苗字さん」
「はい?」
「恋の相談なら、いつでも来て良いわよ」

 呆気に取られながら、退出した保健室。一度扉の上部に掛けられたプレートに目をやった。どこまでも、もしかしたら近未来さえも見据えたような先生の含んだ笑いを思い返す。苦笑いをしながら、私は玄関へと歩き始めた。