×長編 | ナノ
「え、なに、このシチュエーション」 「……先輩こそ、何でいるんですか」
キーンコーンカーンコーン、とお約束なチャイムが二回、沈黙の上を走る。いや、何でいるのって今日は春麗らかな快晴だし、そんな中特製のお弁当を薄暗い教室で食べるのも気が引けた訳で。そう早口に捲くし立てた。 ちょっと早めに授業が終わる世界史は大好きだった。数学なんてもってのほか嫌いだけど。ついでに言ってしまえば先生も数学より断然好きだ。安直かもしれないが、授業が早く終わることと、担当の先生を理由にわたしは世界史が好きだ。なんてどうでもいい。
「もう夏ですけど」 「うん、でも小春日和みたいな? 日差し気持ち良さそうだし、なんかそんな日に室内でご飯ってのも嫌じゃん? だからここに来たんだけど」
降谷は、と聞こうとして止めた。手に握り締められた購買の手提げ袋を見て一瞬で理解する。同じ考えか。自分でも物分りがいいなって感心した。まぁ、誰でもわかるか。 屋上へ繋がる階段を上りきって、広く設計された踊り場に辿り着いたわたしはこの間知り合ったばかりの降谷にタイミング良く出くわした。簡単に交わす会話の中には前ほどのよそよそしさがなくて、少し安心する。わたしは違うけど、降谷はどことなく、人見知りのような気がしたから。
「今からお昼だよね」 「……見れば分かりませんか」 「見れば分かる」 「だったら聞かないでくださいよ」
可愛げがないなぁ。御幸くらい愛想が良かったらまだいいのに。これじゃあ彼女だって出来ないだろ、と言っても、多分無理だろうな。野球部は野球が恋人とか言いそうだし。……いや、倉持あたりは違うかな。あいつ彼女云々よく後輩いじめてるって前、御幸もおかしそうに話してたことあったし。 でも降谷は、典型的な奴に見えた。あの日、初めて彼を見たとき、そう直感した。
(投げることが、すごく好きなんだろうなって)
憧れに似てるのかもしれない。何か、好きなことがあるって羨ましい。何も答えなくなってしまったわたしを不思議そうに見ながらも降谷は屋上へ通じるドアを開けた。踊り場が薄暗かったからか、光が差し込んで少し目が痛かった。その光の方角、降谷が消えそうなほど見えない。遠いなぁ。 まだ、わたしたちの距離は、友人なんて呼べないほどなのかもしれない。
「ねー降谷」 「……何」 「降谷の下の名前ってなに」 「そんなの聞いてどうするんですか」 「わたし知らないんだ」 「ふーん」
少しでも親近感を持ちたくて質問したのに、あっさりとかわされてしまった。それとなく降谷が腰を下ろした場所の隣にわたしも座り込む。それに関して何も咎めも来なかったから、少しだけ安堵してお弁当の包みを広げた。ただ、どうでもいいだけかもしれないけど。
「それを言うなら僕だって先輩の名前知らないです」 「あれっそうだっけ」 「……御幸先輩に聞きましたけど」 「あ、そうなんだ」
野球部同士でわたしのことなんか話題に挙がるのか、おかずと一緒にフォークを口に含みながらそんなことを考えた。女子、の話題とか、出るのか。うちの学校の野球部の雰囲気って何か堅苦しい気がするけど。……あー、でも御幸みたいな奴いるからそんなことないか。
「じゃあ、名前で呼んでみてよ」 「いやです」 「えー即答かよー」 「何で呼ばなきゃいけないんですか」 「ちょっと呼ばれてみたいなって」 「意味わかんない」 「だよねー」
ちらっと降谷の方を見てみる。年頃の男の子がパンと牛乳って……学食とか行けばいいのに。日差しは思ったよりも強くて汗がじわりと浮かんできた。日焼け、しそうだなぁ。そういえばあの日、降谷を見に行った時も少し日焼けしたんだ。今年こそ焼けないとか誓ってたのに何してんだろうなぁ。
「あれ?」 「は?」 「いま、わたし」 「何ですか」
降谷を、見に行った、って? 野球部じゃなくて? ぐるぐると回る出口の見えない自分の思考。確かあの日はたまたま学校に居て、御幸に暇なら来いよーみたいなメールを貰って興味本位でグラウンドに行ったら青道の応援団みたいなのに巻き込まれて……。 決して降谷を見に行ったわけではないのに。第一あの試合でわたしは初めて彼の存在を知ったのだから。 何故今降谷を見に行ったとか、そんな考えをしたのだろう。
「……ま、いっか」 「? 意味わかんない」 「うん、わたしも」 「先輩って不思議ですよね」 「は? 不思議?」 「うん、何か、唐突に変なこと言う」 「そう?」 「そう」 「ふーん……」
そうだったのか。よく物事を自己完結してしまうけど他人の目から見て不思議だったのか。少しショックを受ける。さんさんと照りつく太陽の光でコンクリートの屋上はやけに暑く感じたけれど、今更どうでも良い。教室の篭った空気よりは全然マシだ。そういえば降谷はどうしてここにいるのだろう。何気なく尋ねてみると、少し困ったような表情を見せた。初めて、見る。
「……天気が良かったんで」 「でも北海道出身なんでしょ? 暑くない?」 「出身とか、何でそんなところまで知ってるんですか」 「うん、うーん……御幸に聞いた」
本当は教室で噂してた女子の話を盗み聞きしたからなんだけど。それではあまりにも気まず過ぎるので、とりあえず適当な言い訳を使う。へえ、とさして興味もないのか、降谷はそう答えたっきり黙りこんでしまった。空になったお弁当箱にフォークを入れる音が、外だというのにやけに響く。
「さとる」 「え、?」 「ふるや、さとるって言うんですけど」 「ああ、名前? どんな漢字?」 「あかつきって書いて、暁」 「え、かっこいいね」 「別に……」 「謙遜すんなよー。さとるかー、へぇ」
勝手に納得するわたしに再び不思議な顔を向けた降谷のパンは、もう無くなってた。パンの入ってた包装が詰まった袋が風で飛びそうになって慌てて抑える彼の姿を見て、わたしは笑う。ふるや、さとる。もう一度心の中で読んでみた。初めて苗字を知ったあのときのように。でもさとる、なんて、流石に呼べなかった。授業始まるから、そろそろ戻んなきゃね、降谷。そう言って立ち上がったわたしの顔は、いつも通りだっただろうか。
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