広い机に地図を広げ、ルナティアは悩んでいた。
――どうしてこうも…
「何にも進展がないわけ?」
向かい合うように座っているダリューンが地図から顔を上げる。
「そりゃ、相手が何を考えてるかわからないからだろう」
とある城塞の一室。ルナティアとダリューンは面と向かい合って座り、地図を眺めていた。ナルサスが突然「美しい風景を絵に収めてくる!」などと妄言を叫び、エラムを連れて外へ出て行った。その際、ナルサスの補佐官兼軍師見習いとして働くルナティアは、ダリューンと共に膠着状態に陥っている現場の対策を練ってみよといわれたため、こうして二人で考えているのだが。
「うーん…確かに情報はほどほどに発信したりしてみてるけど、何考えているのかわからないって警戒心から何もできないのかしら」
「画家としては絶望的だが、軍師としてはこの上ない人間だからな。舐めてかかれないってのが現状なんだろう。…あいつが敵じゃなくて本当に良かったと思うよ」
「私にとってはナルサスよりダリューンが敵にいたほうが遥かに嫌よ」
「そうか」
どうしたものかなぁ、と思う。確かにこの膠着状態もまずいのだが、
――私にはダリューン、あなたの攻略が一番悩みどころなのよ!
ルナティアが頭を抱える。頭を抱えた際に袖と髪で隠れた顔は真っ赤になっていた。…つまるところ、彼女はダリューンを好いているのだ。
ルナティアとダリューンは王宮に仕えはじめるタイミングが同じだったいわば同期である。ルナティアは文官、ダリューンは武官として宮仕えしているので普段働いている場所は全く違うのだが、二人ともナルサスという共通の友人を持ったことからつながりができた。そしてナルサスがしばらくしてダイラムの奥地に引っ込んでしまい、しばらく二人で過ごすことになった間に、ルナティアは彼を好きになったというわけである。
好きになったきっかけはありふれたこと。知識ばかりで力も体力もない彼女が街中でタチの悪い暴漢に絡まれてとっ捕まった。その時助けてくれたのがダリューンだった。それだけだ。それだけだが、武芸に才能を持たないルナティアにとって、ダリューンはとてもかっこよく、素晴らしく、また尊敬できる人物だったのだ。
顔を上げたルナティアは地図を見ながら冷静を務めて言った。
「いっそのこと力に物言わせればいいのかしら」
「それでは相手が喜ぶだろう」
「そうね…ならそうする?」
「いや、敵喜ばせて何が楽しいんだ」
「冗談よ」
ダリューンの真面目な返答を受けながら、本気で力(女性力?)に物言わせればダリューンは陥落してくれるかなぁなんて内心本気で考える。しかし、自分の体形が女性にしては薄っぺらい体形だったことを思い出し、その作戦は霧散した。
「じゃあこういうのはどうだ」
ダリューンは卓上の駒を動かしていく。
「初めに、敵にだけ『殿下が友好国シンドゥラへ出立する』という情報を流し、実際に殿下に兵を率いてこの城塞から隣の城塞へ移動してもらう。そして兵が少なくなる情報と俺たち近臣も出発したという情報を流し、敵が引っかかってくれるのを待つ」
――お、これは…
ルナティアは思考を速めた。さすがに私情は交えず、真面目に作戦を練る。そしてひとつの方法が練りあがった。これならいけそう。
「悪くないわ。私はいっつもフード被って敵の目に触れにくいようにしてるから、影武者を立てれば問題ないから、私以外のみんなに一度外へ行ってもらおうかな」
二つ名がついてる皆様方の顔は敵だって知ってるわよ、というと、ダリューンはひどく不満げな顔になる。
「待て。それでは誰が残る」
「そうね。殿下はもちろん、ダリューン、ナルサス、キシュワードは絶対に駄目。今ギーヴとファランギース、ジャスワント、アルフリードは遠征でいないから…まぁ自動的に私だけってなるわ」
「お前一人で万が一の時どうするんだ」
「そうならないように指揮するのが見習いとはいえ軍師の務めよ」
ダリューンは沈黙した。それも想定内。なのでその間にどんどん話を進めてやろう。
「敵の最大兵力はさほど大きくない。だから、敵がおびえている間に兵器開発と精鋭部隊の編成をやっておいて、下準備だけは徹底的にやっておこう。そうすれば攻めてこられたとき、時間を稼いでいる間に引き返してこれるでしょ」
そう言って笑みを浮かべれば、ダリューンは不満そうな顔から真面目な顔になって、そうだな、といった。
「最悪俺が一人で突っ込んで、お前を守ればいいだけだし」
ルナティアはうれしい言葉を聞いて思わず固まった。しかしすぐに復帰して、
「それに――」
「じゃあこれでいいかナルサスに後で確認とればいいわね」
そう言って、この会議をお開きにした。ダリューンが何か言いたげにするが冷静なようで冷静でない彼女には全く聞こえていない。至って冷静(?)に立ち上がり、至って冷静(?)に部屋を出た。そして至って冷静(?)に自室へ戻り、
――ああああああああああああ!
顔を真っ赤にしてへたり込んだ。
『最悪俺が一人で突っ込んで、お前を守ればいいだけだし』
いつもこうだ。戦場でその必要がないようにいつも徹底的に仕込みはしているが、それでもその必要があった場合には必ずと言っていいほど彼が助けに来る。そしてそのたびに彼に惚れ直す。戦場でお世話にならなくても、こうして言葉で言ってもらえるだけで満足してしまう。
ああだめだ、これで満足してしまうから一向に彼を攻略できないのだ。
一方残されたダリューンは、額に手を当てて溜息をついた。その顔は赤く、耳もほんのり赤い。
「人の話は最後まで聞けって…」
彼女はいつもそうだ。肝心な話を切り出す前に立ち去ってしまう。まぁ、話を切り出すまでが遅いというのもあるのだろうが。
その時、会議室の扉があき、ナルサスがエラムを伴って入ってくる。その顔はいたって真剣――ではなく、にやけ顔だ。
「今回はどうだった、ダリューン」
「話を切り出す前に終わった」
「いつも通りだな。…まったく、あいつもよく気付かないな」
何回もタイミングよく守りに行けたり、あんな砂糖にまみれた言葉をいう事なんて、好きでもない限りできないだろうに。
ナルサスの発言にさらにダリューンは顔を赤くした。何かを言い返そうにも何も言えず、結局、うなだれるだけだった。
だが、ダリューンも今の状態で安堵しているところがあるという意味では、彼も満足が故に彼女を攻略できないのである。
そして、それを長年のように見ているナルサスとエラムは内心思う。
「「はやくくっつけよ…!」」
だがそれはまだまだ先のようだ。