※なんというか、暗いです。
目を開けると、そこは家だった。
愛着のあるパルスの屋敷ではなく、
「イアルダボード神の教えは尊いものである!これを信じぬ異教徒は――」
虐殺の宗教にまみれたルシタニアのこぢんまりとした建物だった。
私は自分の体を見た。
これに関しては今の、パルスのヴァフリーズの義理の娘となった後の体だ。しかし服はルシタニアの服で、まったく覚えのない服を着ている。フードから溢れる髪は紺色、長さは短い。
次に、私は部屋を見回す。
窓は存在しない。あるのは宗教の本、歴史の本、世界各国の概要の本、兵学など実用書の類。ほかにも西の諸国到来の旧式小型ランプ、ペンそしてパルスでは当たり前だがルシタニアには珍しい、王族でもさほど多く持っていないだろう紙など、本と目新しいものに囲まれている。完全に、私が昔イシュラーナでない頃に住んでいた部屋だった。
最後に、私は外に出ようとドアを開けた。――開けようとした。
「…………」
ドアが動く気配はない。押しても引いても、ガタガタと音を立てるだけだった。
「……………ああ、嫌だなぁ」
つぶやきで溢れたのはパルス語だった。すると、
ドンッ!
ドアが鈍く大きな打撃音を立てた。
「!」
「イアルダボード神の説話を聞いている時に異教徒の言葉など言ってくれるなこの悪魔!」
「いくら頭が良くてもイアルダボード教を理解できぬとはやっぱり紺の髪は悪魔に違いない」
「やはり監禁などせず殺すべきだ!いずれ災いをもたらすぞ!」
「っ………」
過去の記憶が蘇る。蔑まれ、憎まれ、傷つけられる日々を思い出した。あの時と声も態度も、何一つ変わらないのか。
「どんなにいい逸材だろうと、実の娘だろうと異教徒は異教徒だ!しかもあんな紺の髪、悪魔が宿るのは当然だ!」
「殺すんだ!いくら将来王族に仕えさせようにもこの髪色と異教徒ぶりではお役に立つこともできぬわ!」
身体が固まる。息がつまる。地面が、景色が揺れる。頭がクラクラとした後、目前が真っ暗になった。
次に目を開けると、おびただしい数の死人が目前に立っていた。過去に私が殺したルシタニア人の追っ手の方々、パルスの将兵や一般市民、たまたまパルスにいた流浪民、旅行者など、本当に様々な人がいた。彼らは腕や首から上がなかったり、全身焼けただれている人、胴に大きな切れ目が入っている人など、様々な人がいる。
彼らはみんな私を見ている。顔がない人も、その意志だけは読み取れる。
彼らの中の1人が動いて、前へと出てきた。誰かはわからない。誰でもないのかもしれない。そんな彼は口を開いて、絞り出すように言った。
「何故、あの時報告をしなかった」
彼の言葉をきっかけに、私を取り囲むグロテスクな見た目の死人たちが口々に言葉を吐き出す。
「…ルシタニア産の、油」
「あれが鍵となったかもしれぬのに」
「己の保身か」
「異邦人め」
「所詮はルシタニアの味方」
「――ああああああ!煩い煩い!」
目を閉じる、耳をふさぐ、叫んで抵抗する。しかし、それを許すまいと塞いだ手を引き剥がされる。
「お前は殿下も裏切るか?」
「義理の従兄を利用するか?」
「全ての人に真実を語る勇気も無い」
「愚か者」
「裏切り者」
「私は裏切り者でも、愚かでも無い!黙れ!離せ!」
「お前は悪魔の子」
「呪われた子」
「不幸の子」
「黙れ…黙れ黙れ黙れ黙れ!!!」
私は腕を掴む手を振り払ってしゃがみ込み、耳をふさぐ。
「ー……―――、――」
呪いのような声の向こうから、何かが聞こえる。その事実に気づいて、その声に向かって手を伸ばした時、
「イサラ!」
「!」
手が握られ、ひときわ大きな声に目を開ける。すると今度こそ私は目覚めたらしい、心配そうに覗き込むダリューン兄さんとナルサスさん、そして私の手を握ったアルスラーン殿下が見えた。
気づけば、ひどく息が荒い。冷や汗でぐっしょりしている。私を抱きかかえてくれているらしい兄さんに、目線を合わせる。
「…………私、」
「酷くうなされていた」
金色の瞳に映る私は、とても真っ青だった。髪の青さだけでなく、皮膚も血の気が無い。
「何を見た?」
「…昔の夢を」
「……そうか。とりあえず水でも飲め。そして落ち着くんだな」
「はい」
兄さんに支えられ、ふらつきながら立ち上がった時、水が差し出される。
「イサラ」
「…ありがとうございます、殿下」
二口ほど飲み、しっかりと胃に入れた感覚を得てから、無意識下で溜め込んだ息を全て吐く。しばらく深呼吸をして、落ち着いてきたところで、兄さんが私から手を離す。
「心配をかけました。大丈夫です」
「そうか。…無理はするなよ」
「はい、兄さん。――殿下、ナルサスさん、ご心配おかけしました」
2人の方を見て頭を下げれば、ナルサスが笑みを送ってくる。殿下は、何か聞きたそうな様子でこちらを見ながら、それでも笑顔を見せた。
完全に沈みきった部屋の空気が温まり始めた時、ノック音とともに女装エラムが帰還する。
「ただいま戻りました。――何かあったのですか?」
私は普通に笑顔を見せて、特にはなかったよと告げる。それに合わせて、兄さんや殿下、ナルサスさんも調子を合わせる。その様子から問題無いと判断したエラムくんは、偵察の報告を開始した。
その様子を見ながら、1人内心でつぶやく。
――ごめんなさい、殿下。
先ほどの心配そうな、気になるというような顔を思い出す。
どんなに信頼していても、話す勇気が出ない。このまま過去を伏せて、何も知らない状態で接してほしい。もし、私が元ルシタニア人だということを知っても彼はひどいことはしてこないだろう。それでも、私は話さないでいたい。
自分の勇気のなさは夢で指摘された通りじゃ無いか、とイシュラーナは自分に呆れた。呆れつつ、今はそれどころでは無いと頭を切り替えて、エラムの報告に耳を傾けるのであった。