炉火



※2部7章『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』のネタバレあり



「私の番になりました」

 そう、女は微笑んだ。

「知っている」

 と、カマソッソは返す。贄の選別が始まったときから、王は全てを記憶していた。
 選別された民は、少しの猶予が与えられる。未練を残さないように──もしくは、未練を自覚するために。女の他に選ばれた者たちも、思い思いに最後の時を過ごしているが、女にはもうほとんど何も遺っていないため、此処に来たのだろう。それを邪険にするほどカマソッソは冷徹ではない。
 敵意は無い。怒りも、恨みもない。生まれたての赤子のような、未練もなにも無いような顔をして、女はカマソッソを穏やかに見つめていた。
 カマソッソは思う。
 いつから、若い女を炉に落とすようになっただろう。


 はじめに、王が死んだ。


 彼ではあの侵略者を倒せないと知り、新たな王を選んだから。
 機械的な世代交代の模範のように、炉の中へ落ちた。
 そして王妃が死んだ。決意と喪失を胸に、未来を思い炉の中へ落ちた。
 新しい王。誰よりも強く、また人の心を持たない王。
 勇者を造るため次々と身を捧げる親、兄弟、友、妻を見ても、なにも感じない強さを持った、最後の希望。そのための礎となった。

 老人たちは次世代に知識を継承し、未来を思い死んだ。
 足を無くした戦士は最後の戦いだと勇んで死んだ。
 若い戦士は嘆き、歓び、熱に浮かされたような顔をして死んだ。
 子に先立たれる不幸に耐えきれず、母親が炉に飛び込むようになった。
 
「やっと、全部伝え終わった。これで祝勝のご馳走は大丈夫」
「そうか、オマエの母君は良い腕だった。その味が残るのは良い事だ」
「あはは!そういえば、カマソッソはいつも食べ過ぎてたね」

 朗らかに笑う女はカマソッソの友人だ。背丈が自分の腰ほどにも届かない頃に出会ったと記憶している。
 性差が気にもならない時に出会い、そして離れていった。お互いの歩む道があまりにも遠かったからだ。菓子の取り合いをしていた頃の面影を残しているような、そうでないような。似ているけれど別人になってしまったような女。腕の中ですやすやと眠る命を見せに来てから、まだ10年も経っていなかった。

「怪我はもう大丈夫?」
「ああ、4時間前に全快し、視神経と皮膚組織を改良した。これで動きを捉えられる。次はあの脚を根こそぎ刈り取ってやろう!」
「……良かった。階段に血の痕があったから、心配してた」

 その言葉に、心がざわつく。
 何度も見てきた表情だ。それを向けられるたび、カマソッソはどうも居心地が悪くなる。
 申し訳無くなってしまう、と言い換えた方が良い。
 親、兄弟、友、妻。
 皆が皆、同じ目を向けた。
 大事な人の身を案じる目。哀れみと悲しみと、慈しみ。
 死にゆく間際ですらその目を向ける者たちに同じ熱を向けられない事が、カマソッソの内側を傷つけた。

「恐ろしいか?」
「死ぬのは、あまり。あの蜘蛛も、あなたが殺すと信じられるから、そんなに怖くない」
「そうだ!オレは偉大なる勇者カマソッソ。勇者の王カマソッソ!」

 だから、オマエの子どもは守る。
 本物の不死身となり、次こそあの侵略者を斃し、もう生贄は選ばれない。
 
 そう言おうとして、「一番怖いのは、」と女が遮るように続けた。

「カマソッソ、君のこと」
「、」
「全て終わらせて、君だけが不死身になった未来が、少しだけ怖いよ」

 涙がこぼれた。
 女は──友は、悲しくて、泣いている。
 自分の内側には無い、この世でもっとも尊いもの。それを目の当たりにするたびに羨ましくなって、居た堪れなくなる。ジュウ、と蒸発する音が聴覚中枢に染み付いている。

「情けないと思ってる。私たちが弱くて、すぐ死ぬ生き物だから、こんな方法でしか未来を守れない」
「……止めろ」
「君だけが戦う運命が悲しい。私に力があれば、隣で戦えたのかもって、ずっと後悔してた」
「止めろ」
「笑わなくなった君を見るのが辛い。笑わせてあげられなくなった事が悔しい」
「止めろ、止めろ!これ以上悲しむのは止めろ!明日死ぬのは、オマエだ!」

 皆が皆、泣いている。
 未来のために、未来を投げ出す。
 泣いて当然だ。悲しんで当然だ。恨んで当然だ。
 死ぬのが怖い。殺すのが怖い。
 焼けるのは痛い。痛いのは怖い。
 自分のために泣くべきなのだ──底にいる男は、人のために泣けないから。

「オレは、オマエが死んでも泣かない」
「けど、愛してる。皆それを知ってる」

 女は泣いている。
 カマソッソは泣かない。

「ねえ、カマソッソ。偉大なる勇者。勇者たちの王、人類の希望、私の、大事な友だち」

 女の手がカマソッソの指先に触れる。
 改良に改良を重ねて、ヒトのそれとはまったく変わってしまった黒い指に、熱が伝わってくる。
 命の熱だ。
 明日には燃えゆく、あたたかな熱。




「この戦いが終わったら、どうか、幸せになって」




「君はもう、何処へだって行けるし、何だってできる。ORTを倒して、カーン王国にまた平和が戻ったらさ。王冠なんて捨てて、やりたい事をやってほしい」

 
 ──申し訳ない。
 お前だけを戦わせて申し訳ない。
 未来を背負わせて、命を背負わせて。
 死にゆくことしかできなくて、ごめん。

 誰が言ったのだったか、思い出せない。
 いや、誰もが言ったような気がする。
 そんな事言わなくたっていい。
 それがオレの責務なのだ。
 それがカマソッソの使命なのだ。

 やるべき事をやるだけだ。
 それを終えたら────終わったら。

 名前、また、昔のように……



「さようなら、カマソッソ」



「この先の未来に、カーン王国の繁栄と、君の幸福がありますように」








 落ちていく。

 肉体の損傷は8割を超えて、蝙蝠の翼は見るも無惨に引き裂かれいる。獣の脚は折れたり、千切れたりしている。慣れた感覚なので、どっちがどうなっているかはカマソッソにとってさしたる問題では無かった。

 忘却を禁じられたせいで、カマソッソの頭のなかは最悪だった。

 幸福も不幸も、すべてが溶け合ったマグマのように、脳内に流れ込んでくる。何万回も改良を重ねた脳が焼き切れるほどの熱。かつて600万年前の死闘よりもずっとずっと突き刺すような痛みが、全身を支配する。

 思い出す。

 あの夜のこと。大事な熱。
 笑ってしまうほど最悪な、愛の言葉。

「──ハハ、フ、ウフフ。笑わせる。滑稽極まりない虚言、即ち無意味」


「オマエたちのいない世界で、ひとりで、どうやって……」



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