モーニング



「ヒロフミ君、髭生えるんだ……」

 湿気のある風が窓の隙間から流れてくる、全然爽やかとは遠い、気怠い朝。つけっぱなしのテレビから登校に使う駅が悪魔被害で封鎖されているニュースよりも私の目を覚ましたのは、顎に白い泡を塗りたくって洗面台の前に立つヒロフミ君の横顔だった。

 私の独り言をちゃんと聞いていたヒロフミ君は、え、と鏡から視線を私に映した。ヘアバンドでおでこを丸出しにしているから、いつもより破壊力が増した御尊顔だ。

「いや、生えるよ。男だし……」
「高校生って、生えるものなの?大学生になってからとかじゃないの?」
「人それぞれだけど、大体生えるよ。そういえば俺のすね毛見て驚いてたね、名前は」

 それは仕方なくない?と言う私に、ヒロフミ君はそうかな、と言って鏡に視線を戻した。広告で見たことがあるようなないようなデザインのシェーバーが、いかにも機械っぽい音を出す。慣れた手つきで顎の上を滑らせるヒロフミ君の姿がなんとも絵になる。CMにありそうな色気のあるシーンに、私は目が離せないでいた。

「そんなに珍しい?」
「うん」
「男兄弟居なかったっけ」
「いないよ、お姉ちゃんだけ……お父さんは、私が起きる前に仕事に行くから」
「それに、恋人もいなかったから?」

 一拍あけて、私は「うん」と言った。ヒロフミ君から恋だの彼女だのいう言葉が出ると、嫌でも過剰反応してしまう。今のひと言も、面白いぐらい上擦っていたことだろう。
 ヒロフミ君は「なるほどね」と呟いて、顔を洗って、タオルで拭いて、ヘアバンドを取る。そしてトタトタとフローリングの床を鳴らして、私をハグできるぐらいまで近づいてきた。

「すぐ飽きるよ」

 初対面の時から変わらない、誰にでも見せる微笑みを浮かべて、ヒロフミ君は言う。

「俺のすね毛も、ピアスで穴だらけの耳も、髭剃ってる姿も。これから何度でも見るから」

 よくもまあそんな恥ずかしい台詞をさらっと言えるものだと思うけれど、私は私で、ユーモアのある返しなんてものは出来ずに「そ、そう」と吃りながら答えるしかなかった。きっとハネているのだろう私の前髪が、ヒロフミ君の指先でさらさらと流れていく。この仕草も、きっと慣れてウザく思うようになるのだろうか。

「朝ご飯食べようか。昨日買ったパン、結局食べないままだったし」
「うん。……紅茶ってあるの?私、朝紅茶派なんだけど」
「無いから今日はコーヒーかジュースにしといて。次までには買っておくよ」
「や、えっと……じゃあ、持ってくる。家から」
「了解」

 親の古いヤツを持ってきたらしいコーヒーミルのけたたましい音。機能性だけを重視したオーブン。他人の生活の音は、自分が別物であると感じさせるようで慣れない。特に──ヒロフミ君は。彼が私の隣の席に座った時から、この人には色んな意味で近寄れないのだろうと思っていた。

 けれど、そのうち、私がこの生活の音の一部になっていくのだろうか。

「なんかどきどきする……」
「そのうち慣れるって」
「ホントに?」
「ホント」

「初めて名前に昼飯誘った時、俺凄くどきどきしてたんだから」

 今はもう慣れたけど、と言って、ヒロフミ君はコーヒーを飲む。一晩寝かしたレタスとハムのサンドイッチは、あまり慣れたくはない味がした。


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