遺せるものはひとつだけ
※単行本未登場キャラ
※夢主死ネタ
※吉田が成人
「恨みます」
吉田ヒロフミは何時もの笑みを崩さず、穏やかな声色で目の前に立つ男に言った。その男と吉田は全くの初対面で話したこともすれ違ったことも無かったが、よく知っていた。あり得ないほど強くて、あり得ないほど横暴で、あり得ないほど酒を飲む。自分に向けるモノとは全く別の感情を込めて語る彼女の姿が容易に思い返された。
先生はね、ホントは優しい人なんだよ
アルコールで顔を赤くして上機嫌に語る苗字名前は、こうなると話がだらだら長くなる。厳しくて酒臭くて指導の時点で死にそうになったけどさあ、私たちに死んでほしくないからなんだよねぇ、と訳知り顔で語る姿を見てへえ、ふうん、そうなんだと適当に返すのが吉田の役割だった。
月に一、二回。吉田と名前はどちらかの家で所謂宅飲みをする。名前が上京してきたばかりの時は慰める会と称して最高で週一ぐらいのスパンだったが、ある程度慣れてくると落ち着いたのかそのぐらいの頻度に減った。お互いそこまで暇な仕事ではなく、公安に務める名前の方がどちらかといえば忙しくなったように思う。それでも幼馴染という気安さからか、時にアポイントメントなしで吉田か名前が家に押し掛ける事もあった。
「そんなに忙しくて辛いんなら、オレが紹介してあげるから民間来れば?楽だよ」
「ええ〜……有給も給料も減るじゃん」
「その代わり身の安全はしっかり保障されるけどな。有給ないっつっても存外ヒマだぜ」
「それはコッチに強い悪魔横流ししてっからでしょ〜!」
「オレに言うなって」
内容はその時々変わるが、大体は気安いものだった。民間と公安という間柄そこそこ情報交換はするものの、どちらにもこれといって利益になるようなモノはない。吉田は民間の中でも珍しい対人警護の仕事を中心に活動するデビルハンターなので、余計にそう感じるのだろう。高校の同窓会の話、同級生の今、新しいバディがすぐ死んだ話、後輩指導についての愚痴、実家の話。
小学生の頃から名前がべらべら喋り吉田が適当に相槌を打つような関係性だったが、それは大人になっても変わらなかった。吉田が聞き上手なのもあるが、単にころころ変わる名前の表情が見てて面白くて好きだった──それも大人になっても変わらなかった。
その中でも名前はよく上司の話題を口にした。公安に入ったデビルハンターの多くはその『飲んだくれのキシベ先生』に指導されるらしい。そこでまず才能と意志があるかふるいにかけ、見込みがあれば本格的に指導する。吉田はごく普通の流れだと思い、名前も「そこまでは分かるんだよ?」と前置きしていた。
「けどさあ、アレ死ぬって、マジで!」
酒がそこそこ回った名前が『キシベ先生』の話をする時必ず出るのはその言葉だった。吉田は公安のデビルハンターにそこまで興味がない──デビルハンターよりも普通の裏の人間の方に目を向ける為か、『キシベ先生』が民間の間でも有名なデビルハンターだということを知らなかった。実力的な意味でも、性格的な意味でも。
本格的なデビルハンターになる前は指導中に何度死にかけたか分からないエピソードを語り、指導が終わってその『キシベ先生』と同じ部隊に配属されてからは普段の傍若無人エピソードを語るのが名前の身体にアルコールが回ってきてからの流れになった。
吉田はその度に「そんなに辛いなら民間くれば?」とお決まりの台詞を名前に投げ掛けたけれど、名前は視線を迷わせて給料やら有給やら人間関係やらのせいにしてやんわりと断ってきた。たとえ酒の席でも簡単に「じゃあ転職しちゃおっかな」と言えば吉田が本気にすると分かっていたのだろう──実際吉田はそのつもりだったし、酔っていようが無かろうがイエスと言えば引きずってでも民間に移させるつもりでいた。
幾度も適当な勧誘をして断られ、ある種無意味と言える事を繰り返していたけれど──公安のデビルハンターを頑なに辞めない本当の理由なんて有給でも給料でも人間関係でもない事に初めから気づいていたけれど、吉田にできる事はこれぐらいしか無かったのだ。
「お前が『吉田』か」
『キシベ先生』は無表情のまま言う。自分の名前を知っていることには、特に驚かなかった。吉田に『キシベ先生』の話をするように、彼の前でも名前が話していたのだろう。
吉田は何も言わず、白いブルゾンのポケットから封筒を取り出して『キシベ先生』に差し出した。彼女の家で偶然見つけたモノだった。机の引き出しの中に入っていた二冊の封筒。自分宛と、もう一人。
「アンタが言えばよかった」
もう何も言わないと決めていたのに、自然と口から出てしまう。目の前の男に相応しくない感情をぶつけてしまう。
誰のせいでもない。ただ運が悪かっただけだ──自分の技量ではどうにもならない敵に当たってしまっただけだ。
仕方ない。どうしようもない。
世界中で当たり前のように起こる不運に巻き込まれただけだ、これが運命だった。それだけの話だ。吉田もそう受け入れているし、名前もこの仕事を選んだ時からきっと受け入れていただろう。
「オレが何度言っても聞かなかった。バディが死んだ時も、入院した時も、後輩が死んだ時も、右脚が無くなった時も。無意味だって分かっていました、けど、アンタの言うことなら聞いた筈だ」
それでも。
民間に転属していれば、吉田が傍にいてやれば、こんな終わりにならなかった筈だ。あんな風にならなかった筈だ。オレだったら殺せた筈だ。守ってやれた筈だ。救えた筈だ。
あの時力尽くでも引き留めていれば。
名前が諦めていれば。
そんな無意味なコトをずっと考えていた。
もう誰もいない部屋の中で、痕跡しか残っていない空間の中で、無意味な妄想が頭の中でぐるぐると巡っていた……らしくもない。たかが好きな女が死んだだけで。
「言ったよ」
暫くの静寂の後、『キシベ先生』はぽつりと零した。無表情のまま、吉田が差し出した封筒を見つめたまま。
「何度も言った。指導を始める前にも、指導が終わる前にも、バディが死んだ時も、入院した時も、後輩が死んだ時も、右脚が無くなった時も」
「それでもアイツは辞めなかったよ」
なんでだろうな。
『キシベ先生』はそれだけ言うと、差し出された封筒を雑に受け取り、背を向けて歩いて行った。吉田を一度も振り返ることはなく、吉田も何も言わず彼の背が小さくなるのを見送る。
やがて自分の他に誰もいなくなると、吉田は「名前、」と視線を落として呟く。吉田の黒い瞳に映るのは、夥しい十字架の群れだけだった。
「ホントにひどい人だったな」
視線の先には誰もいない。