最後のひとは貴方がいい



「……お会計、17865円になります」
「カードで」

 明らかに困惑した表情の店員がカードを受け取り、カード決済の手続きを始める。
 ピピ、と軽快な音が鳴り、長いレシートが印刷された。「レシートはご利用になりますか」というお決まりの言葉に、私は「はい」と答える。経理で落ちるワケもないけれど、このレシートはちゃんとファイルに保存しておかなきゃならない。もう少し短かかったら、本の栞にしてもよかったのに。

「あの、できたらレジ袋を二重にして下さい」
「あ、わかりました……」

 店員は頷いて、恐らく一番大きいレジ袋を四枚取り出して、二つに分けて入れてくれる。ゴトゴトと詰める度に不安な音がするけれど、私はこれまでの経験で意外と耐久性が高いことを知っていたので、心穏やかにその光景を見ることができた。

 缶ビール、焼酎、ワイン、その他つまみ。

 陳列棚から適当に手に取った大量のお酒を両手に下げて、私は周囲の視線を一身に受けながらコンビニを後にした。



 佐原先輩が死んだ。

 春の、良いお天気の日だった。日中は夏の暑さになるでしょうとお天気お姉さんが言っているのを見て、そろそろ衣替えかなあと思っていたのを覚えている。
 死因は簡単、悪魔だ。デビルハンターに畳の上で死ぬなんて事は引退した奴にしか許されない。どんなに鍛えてたって、才能があったって、強い悪魔と契約していたって、死ぬ時は呆気なく死ぬ。
 佐原先輩の遺体は腰から下が無くなっていたらしい。

「ただいま戻りましたあ」

 私は脱いだ靴も揃えずに廊下を歩き、リビングに向かう。一人暮らし用に買ったやや小さめのテーブルには既に用意していた数と同じ空き缶が無造作に置かれていて、二つしかない椅子の片方に座る先生の右手に握られたビールも、もう中身は入っていないだろう。先生は夜のトンネルみたいな色の目を私に向けて、「遅い」と言った。

「10分ぐらいですよ!寧ろ速いって褒めて下さい。まだ一本残ってたんですから、充分でしょ」
「10分あれば二本飲める」
「もうちょっと味わって飲んで下さい!」

 私が追加したビール缶を、先生は置かれた矢先に手に取って蓋を開ける。プシ、と炭酸の抜ける音がリビングに響いた。

 先生は時々私の家にやってくる。私がデビルハンターの仕事を終えて家に帰ってきた時、冷やしておいた銀色のビール缶が消えていると、先生がやってきたサインだ。予め言っておくと決して不法侵入などではなく、私が実戦投入前の訓練を受けていた頃、先生は地面とお友達になっていた私に「明日家に迎えに行くからな」と言ったので、プロポーズだと勘違いした私は家の鍵をその場で進呈した。ので先生は私の合鍵を持っているので、こうして普通に出入りしているのである。正直めちゃめちゃ嬉しい。お酒をあんまり飲めない私が常日頃ビールを10缶以上備蓄しているのはこの為だ。
 今日も備蓄分のビールが品切れとなったので私は「もお、先生ったら飲んだくれてしょうがないな(はあと)」の精神で補充してきたのである。そして補充から10分で2缶消えた。驚異的なスピードだ……それにしても部屋くっさいな。

「先生、窓開けちゃダメですか?」
「外の空気は酔いを覚ますから駄目だ」
「クーラーの送風は?扇風機は?」
「ダメ」

 私の提案を却下する最中も先生はグビグビと酒を飲み続ける。喉仏が最高にセクシーだ、飲酒している映像5時間見れる……見たい……けど以前録画していたら機器ごとぶん殴られたのでもうしない。私は「ケチ」とだけ言って、アルコール分が低い甘いお酒の蓋を開けた。

 先生は時々私の家にやってくる。
 佐原先輩が死んだからやってくる。

 先生の犬が──教え子が死ぬ度にお酒を飲む癖は、私がデビルハンターになる前からあったらしい。冬の夜のような、不純物が一切ない黒い瞳から涙が流れるのを見た人は誰もいない。いても、もう死んでいるかもしれないけれど。
 先生は泣かない代わりにお酒を飲む。私の同期が死んだ時も、木ノ内くんが死んだ時も、先生は私が気絶するぐらいの量のお酒を飲んだ。淡々と、蓋を開けて、飲んで、捨てて、開けて、飲んで、捨てる。味とか香りとかを楽しんでいる様子はない。ただ酔う為に飲んでいる。その量は段々多くなっていって、佐原先輩が死んだ今日、新記録を更新しようとしていた。
 それを止める人はいない。気づいている人も少ないだろう──姫野先輩も、多分気づいてない。姫野先輩が今一番辛いだろうから、他のコトに意識を割く余裕はないだろう。大怪我をしていたし、死んだバディはこれで5人目になったから。
 5人。5人死んで、その分先生が飲むお酒は増える。アルコールの過度な摂取は言うまでもなく人体に害だ。先生は公安の、いや世界最強のデビルハンターで、誰も勝てないだろうけど、お酒はきっと先生の身体を蝕んでいる。先生の頬の影が深くなったのは、歳のせいなのか、それともお酒の飲み過ぎなのかは分からない。
 犬が死ぬ度、先生は毒を浴びる。佐原先輩は、17865円分の毒を先生に注いでいる。姫野先輩がいつか死んだ時、他の犬が死んだ時、私が死んだ時、先生はどれぐらいの毒を飲むのだろう。

 どれぐらいの毒を飲んでくれるのだろう。

「姫野先輩の新しいバディ、どうするんですか?もしかして、魔人と?」
「いや、もうアテはある。お前にも近々見てもらう予定だ」
「そうですか!どういう子なんですか?」
「生意気で捻くれてるが、本気で銃野郎を殺そうと思ってる」
「……だったら、少しは長生きできそうですね」
「だといいがな」

 1年、2年、はたまた半年?3ヶ月?デビルハンターの平均寿命なんてアテにならないけれど、先生が『本気で』と言っているから、本当に銃の悪魔を殺そうとしているのだろう。だったら生き延びるかもしれない。佐原先輩は優しくて気の良い人だった。先生のしごきに死にかけていた私に好きなメーカーのチョコを奢ってくれた。
 だから死んだ。
 ……その新顔が1年でも2年でも半年でも3ヶ月でも死んだらきっと、先生はお酒を飲むだろう。シャワーを浴びるように淡々と、作業のように毒を飲むだろう。自然なコトだ。
 だってこれは涙だから。先生の涙はお酒だ。ビールだ。アルコールなのだ。教え子が死んだから、泣く代わりにお酒を飲むんだ。

 だって先生は、優しいから。

「名前」
「ハイ」
「15分経ったら起こせ」
「ハイ!……あ、ちょっと、コートは脱いで下さいよ!」

 先生は私が買ってきた追いビールを飲み干すとコートを床に脱ぎ捨ててテレビの前にあるソファに移動し、横になった。雰囲気が先生に似てると思って買った猫のクッションが先生の頭に潰されて顔の輪郭を歪ませている。本望だろうな……と思いながらコートを畳んで椅子の背にかけていると、ソファの方から小さい息が聞こえ始めた。
 私は音を立てないように先生の側にそっと近づく。先生が、私のソファで、寝ている。最高すぎる。お酒を飲んだから眠くなったのかな、顔に殆ど表情が出ないから分からなかったけれど、疲れていたのかもしれない。ベッドに入ってから数分も経たずに寝るのは気絶と一緒だとどこかで聞いたことがある。

「……先生、疲れましたか」

 先生は答えない。私の言葉は1人きりのリビングに消えて、怖いくらいに静かな部屋は何も答えてくれない。
 この問いに意味はない。きっと先生は起きていても何も答えないだろう。先生は最強だから、最強のデビルハンターだから。強い人は進まなきゃいけないから。先生の犬がこれから先全員死んだとしても。またお酒を飲んで、酔って、何もかもお酒で洗い流して、先生は生きる。
 でも、でもね先生。私は辛いよ。
 人が死ぬ度、教え子が死ぬ度にお酒を飲む先生の姿は大好きだけど、とても悲しい。飲んで、飲んで、いつか先生が本当に壊れてしまったら、その時が来るのが怖い。本当は、先生に生きていてほしい。地獄みたいな世界だけど、死んだ方がマシって思うことは何度もあったけど、私は普通のひとだから、好きな人には生きていてほしい。
 けど、それが絶対に叶えられない望みだって事も知っている。デビルハンターには過ぎた願いだって分かってる。

 だから、私がいつか死んだ時に飲むお酒で最後にしてほしい。

「……先生、実は内緒なんですけど、私が死んだ時、先生にお酒が送られるようにしてあるんです」
「お給料をコツコツ使って、いっぱい溜めてるんですよ。大樽いっぱいに何台も、プールから溢れるぐらいのお酒」
「だから、私が死んだ時、ぜーんぶ飲んで下さいね、先生」

 私が最後に死ぬから。
 姫野先輩よりも、新顔の子よりもずっと後に死ぬから、先生が「苗字名前だけは簡単に死なない」って思ってくれた時死ぬから、その時は誰よりも悲しんでほしい。
 悲しんで悲しんで悲しんで、私が送ったお酒を全部飲み干して死んでほしい。

 泣き疲れて、死んでほしい。

「……私、生きてる間ずっとお酒を買い続けますから、先生が死んでも飲みきれないぐらいのお酒を買いますから、私が最後に死にますから……ちゃんと、飲んで…」

 睡魔が襲ってくる。
 甘いお酒1缶でも眠くなっちゃうんだから、つくづくお酒に弱いなあと最早感心してしまう。ちゃんと先生を起こさなきゃいけないのに、眠気に負けてカーペットの上に寝転がる。目蓋が重い。思考が纏まらなくなり、部屋の天井が光を失っていく。ああ、もう、どうしようもない。
 せめて先生に「おやすみなさい」と言えばよかった……



 明かりがついたままの部屋で、岸辺は目を開け、身体を起こす。
 きっかり15分。起こせと部下に命令したが、その必要は無く、その部下はソファの横で頭の悪そうな寝顔を晒していた。岸辺はその部下を跨ぎ、自分のコートが掛けてある椅子へ向かう。コートを羽織り、まだ少しだけ残っているビールを飲み干した。カン、とテーブルに置かれた音が部屋に木霊する。

「……先生……」
「ん?」
「……」
「……寝言か」

 自分を呼ぶ声が聞こえた岸辺が名前の側へ戻るも、名前は変わらず寝こけている。現実でも夢の中でも自分の事を見続けていると思うと、つくづく奇特な──頭のおかしい奴だと思う。さっさと死ぬと思っていた部下は、内臓のいくつかを悪魔に渡してでも岸辺の側で笑っている。マトモな奴ほど早く死ぬと知っている岸辺は、この部下の言動こそマトモな部類だと思ってはいても、その奥にある心根自体はイカれているのだと分かっている……給料の半分を自分が死んだ後岸辺に贈る為の酒に費やしていると言っているあたり。
 岸辺はため息を吐いて、床に倒れる名前を抱え、ソファの上に寝かせた。趣味の悪い猫のクッションが、名前の頭に潰されて輪郭を歪ませている。

「苗字」
「……」
「お前は本当に、イカれた奴だよ」

 期待はしない。どんなに鍛えてやった犬でも、死ぬ時は呆気なく死ぬ。頭のネジが問題なく収まっている奴は普通に死ぬし、ぶっ飛んだ奴も時と場合によっては死ぬ。名前も例外ではない。寝ていると思っている岸辺に向かってあんな事を言っておきながら、明日には物言わぬ死体になっているかもしれない。目の前に広がる十字架を見るたび、岸辺は誰にも期待しないと決めた。
 ……けれど、心のどこかで、この女に期待してしまう自分がいる。
 最後に死ぬと言う部下。姫野が死んでも、もうすぐデビルハンターになる早川アキが死んでも、この先自分を師事する誰かが死んでも、自分だけは生き残ると言った女。岸辺の黒い瞳を映すその目がなにを秘めているのか分からない程、岸辺の脳はアルコールに支配されていない。その感情を表す悪魔がいたとしても、不思議じゃない。
 自分以外の全てが死んでも、苗字名前だけは自分の隣に立って、いつのもように笑っているかもしれない。
 笑っていてほしい。
 岸辺はそっと名前の頬を撫でる。柔い感触とわずかに上がった体温が、離れた岸辺の指に残る。
 馬鹿なコトをした──岸辺はさっさと離れ、足早に廊下を突っ切って玄関に向かう。早川アキの訓練に遅刻したら面倒だ、彼は銃の悪魔を本気で殺そうとしている以外はごく普通の人間なのだから。
 鍵を開けて、扉を開く。アルコールの匂いで充満した部屋の空気が外の空気と入れ替わって、岸辺の脳をクリアにする。

「じゃあな」

 返事が返ってこないのを分かっていながら、岸辺は別れの挨拶をして、鍵を掛けた。


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