故意に落ちていい?



私は物凄く運の良い人間だ。

身重だった母が雨の日も風の日も毎日欠かさず御参りに行っただとか、父が拾った蛇の皮が白蛇様の抜け殻だったとか、産まれた日に村のお地蔵様が微笑んだとか、眉唾ものの逸話が私の生まれた村ではまことしやかに囁かれていて、まあ大半が嘘っぱちなのだが、逆に言えばそれぐらい言っても特に怪しまれないぐらいに私は並外れた幸運の持ち主だ。
その幸運は忍術学園にくのたまとして入学してからも遺憾無く発揮されており、ピクニックの日には快晴、何となく気分が乗らない野外演習は突然の大雨。買い物に行けば欲しかった物が何事もなく買えるし、髪を整えたくなれば進行方向に斎藤タカ丸さんがいる。上級生になり難しい課題を出されても持ち前の幸運と実力で難なく乗り切り、学園の其処彼処にある罠や絡繰の類に遭遇した事はこの六年の中で一回もない。
勿論、今日だって。

「……」
「……あ、あはは…」

言葉を無くして突っ立っている私の目の前で力なく笑う包帯人間は、私の同級生六年は組の保健委員長、善法寺伊作である。
彼は私と対照的に物凄く運の悪い奴で、毎日のように競合区域の罠に引っかかるし出先では馬の糞を踏むし食堂以外の食べ物には三割方当たるし課外活動の日は土砂降りに見舞われる。
見ているこっちが居た堪れなくなる程の不運すぎるが故に下級生時代は「私が善法寺の運を吸い取っているのではないか」という噂が流れた時があった程で、そんな善法寺を六年間見ていればこのぐらいの怪我は彼にとってはいつもの事なのだ。

「な、な、なんであんたそんな怪我してんのよ…!」
「いやー、なんでと聞かれると……普通に落ちたとしか言いようがないんだけど…」

では何故私がこんなにも驚愕しているのかというと、善法寺が怪我をしたからだ。
……前後で言っている事が真逆である自覚はある。けれど、それにはキチンとした理由があって、私が保健委員会へ出張する日は、その日常的な怪我の被害は防がれるのだ。

そもそもの話は、私が何故相互不干渉の忍たまエリアに入っているのかという所から始まる。

私の類稀な幸運は、時に私の側にいる人に伝播する傾向があり、それが分かると度々くのたま同級生たちの買い物に付き合わされてきたのだが、それが件の不運委員会もとい保健委員会にも知られる運びとなった。

頼む、薬の調合の間だけでもいいから側にいてくれないか──

四年生の五月、ほぼ涙目の善法寺がくのたまエリアに侵入してまで言ってきたものだから私は仕方なく了承し、その後学園長から直々に「調合比率が難しいもの、失敗すると毒になるもの」に限り私が保健委員会に出向き、善法寺が作業をする間忍たまの後輩たちと歓談する許可を得たのである。
それから私が作業に付き合う間は何の不幸も訪れず、それどころかその前後数日は保健委員会は罠に嵌って包帯を汚すことは無かった。それは二年間ずっとで、今回もまた例に漏れず不運に見舞われる事はない──はずなのに。

「落ちたって……落とし穴に?」
「うん、落とし穴に。廊下を滑って地面に着地したら運悪く…」
「いや、それは気の毒だけど、私が聞きたいのはなんで私が居ながらそんな怪我をしているってことなのよ」
「うーん、それが…「それは私が説明しよう!」
「あ、あんたは六年い組作法委員会委員長立花仙蔵!」

バンッ!と部屋の引き戸を勢い良く開けて入ってきたのは長い黒髪が美しい同級生の立花仙蔵──『くのたまが選ぶ自分の頭皮に移植したい髪質を持つ忍たまランキング』堂々一位の立花仙蔵だった。

「おい、一体私の与り知らぬ所で何をやっている」
「まあまあ、とにかく立花。説明してくれない?善法寺の怪我の理由」
「…うむ、と言っても苗字よ。単純な事だ──罠が増えた」
「……増えた?」

私が立花の言葉を繰り返すと、二人は神妙な顔でこくりと頷いた。ええ?だって、私が来た時は変わらず何も無かったのに。

「苗字は知らぬかもしれんが、今日の忍たまは朝から大騒ぎだったんだ。なにせ罠の数が倍近く増えたものだから、一年二年はおろか、五年生まで被害が及ぶ事もあった」
「いくら苗字の幸運があったとしても、流石に倍近くの不運には耐えれなかったみたいなんだよね…苗字に怪我がなくて良かったよ」
「校庭のど真ん中を突っ切ってきて衣服にすら全く汚れがないとはな。前世でどんな徳を積めばこうなるのやら」
「とにかく……言語化が難しいけど……私の幸運で掻き消されてた不運が倍になったから善法寺はいつもの善法寺に戻っちゃった…って事なのね」
「ああ、最早ここに安息の地はない」

きっぱりと言う立花に思わず笑いそうになるが、横の善法寺もまあ間違ってはないと言いたげな表情をしていたので、事態は私が思っているよりも深刻なのだと痛感した。
私に実害は一切ないけれど。

「怪我の理由は分かった。それで善法寺、薬の調合は出来るの?」
「ああ、それは大丈夫。腕もちゃんと動くし、眩暈もないよ。苗字はいつもみたいに居て欲しい」
「ならいいわ。……けど、どうして突然そんなに罠が増えたの?」

素朴な疑問だった。立花の口ぶりからして罠が増えたのは昨日今日の話なのだろう。なら何故いきなり、突然そんな事態になってしまったのか不思議に思うのは当然の事だった。
しかしながらどうやらこの質問は良くないのか、善法寺と立花は同時に顔を見合わせて、同時に微妙な顔になった。

「なんで、と言われてもねえ……仙蔵のとこの子じゃないか。何か変わった事でもあったんじゃないの?」
「大体の察しはつくが、私もあいつの事を真に理解している訳じゃない。こればっかりは直接聞いた方が早いだろうな」
「そうは言っても、彼、今何処にも居ないんでしょ?」
「居ないというか、隠れてるだけだな。先生方から灸を据えられるのが分かってるんだろう」
「据えたがってるのは留三郎や文次郎もだろうけどね…」
「ねえちょっと、全然会話に入れないんだけど」

二人の会話の応酬に痺れを切らした私が割り込むと、二人は「まあまあ」と私を宥め、詳しい話は調合が終わってからだ、と仙蔵が言った。詰め寄ろうともしたが善法寺が台と鉢を取り出したので私は黙らざるを得なかった。集中を切らされるのは誰だって嫌なのだ。



「できた!」

作業開始から一時間程度で善法寺は全ての薬の調合を終えた。罠が二倍になったとやらで少々心配したが、幸い何事もなく進行した。善法寺が薬を丁寧に箱に詰め、棚に戻していくのを見て、私は心中安堵する。

「ありがとう苗字。おかげで無事調合が済んだよ」
「私自身何かしたわけじゃないけどね…他に何もないなら、私はもう行くけど」
「なら帰りは俺が送ろう」

待っていましたと言わんばかりにしなやかな動きで腰をあげる立花に、私の反応が一泊遅れてしまった。善法寺の作業中自分の部屋に戻らず私と話をしていたのはその為だったのか。

「いや、別にいいわよ……学園の外じゃあるまいし」
「いやいや、くのたまとはいえ客人を一人で帰らす訳にもいかん」
「だったらその役目は善法寺じゃあ…」
「ごめん、僕左足捻ってて……僕の代わりに送ってもらうよう仙蔵に頼んでいたんだ」
「そういう事だ」

眉を下げて謝罪する善法寺。その雨に打たれる子犬のような雰囲気を出されると、こちらは折れずにいられなくなる。いつの間にそんな取り決めをしていたのかとか、じゃあ立花が登場した辺りも故意だったのかとか、色々聞きたい事はあるけども、私は「じゃあお言葉に甘えて」と言って立ち上がった。どうせ多分、何もないと思うけど。

「じゃあくのたまの長屋の前まででいいから、よろしくね」
「あい分かった」
「ありがとう苗字。また機会があればよろしくね」
「はいはい。後輩の子たちにもよろしく伝えておいて」

手を軽く上げて保健室を後にする。

「では行くとしようか。十分周囲に気をつけろよ」
「立花こそ気をつけてね。なんか嫌な予感がするから…」
「心配するな。俺はこの類の罠に掛かったことなど六年通して数えるほどしかあぁああぁぁああ──!?!?」
「たったちばなーーッ!?」

競合区域に足を踏み入れた途端、前を歩いていた立花が土埃と共に垂直に落下した。
あまりに綺麗な姿勢だったものだから本当は崖の側を伝っていたのかと錯覚してしまいそうになるが、あくまでも地続きだ。視界の奥は忍術学園の壁が見えるし、立花がいた地面にはぽっかりと穴が空いている。誰がどう見ても落とし穴。この一瞬の出来事につい呆けてしまったが、私は慌てて穴の淵に近づきしゃがみこんで、立花の姿を確認する。思ったよりも深い穴の底で、立花が尻餅をついているのが見えた。可哀想に、潔癖な所がある彼の服は土と泥ですっかり汚れてしまっている。

「た、立花、大丈夫!?」
「これが大丈夫に見えるか!?苗字、縄梯子を持ってきてくれ!」
「分かった…けど私、縄梯子が何処にあるのか分からない…!」
「はいどうぞ」
「あ、ありがとう……………ん?」

背後からすっと縄梯子が差し出されたので私は自然に受け取ったが、自然に会話に割り込んできた聞いたこともない声に、私は数秒遅れて振り向いた。
そこには藤がかった灰色の髪をした男の子が立っていた。
紫色の制服をしているという事は、四年生だろう。まだ幼さが残る顔立ちは、ともすれば女の子に見えるような可愛らしさがあった。

「えーっと、君は…」
「初めまして、四年い組の綾部喜八郎でーす」
「綾部喜八郎……私は六年ろ組の苗字名前」
「知ってます、忍術学園イチの幸運の持ち主だって、忍たまの間でも有名人です」
「そういう君は、確か…忍術学園の天才的トラパーの異名を持っているとか……とにかく、わざわざ縄梯子ありがとう」
「いーえ。ここで待ってたので」
「?何を?」
「この落とし穴に落ちるのを……だーい成功…だったけど立花先輩かあ」

綾部は目を伏せ、見るからに落胆した声で「がっかり」と言った。
間延びしたような、どこか抜けた口調で話していたけれど、意外と思った事は口に出すし、自分の気持ちを包み隠さず言えるタイプなのだろう。穴の底で立花がカチンときているのが目に浮かんだ……そういえばさっき、完全に聞き間違いかと思っていたが、背後で「チッ」と舌打ちの音が聞こえた気がしたけど、もしかして綾部の声だったの……?

「……そういえば善法寺や立花から今日だけ罠の数が増えたと聞いたけど、もしかして綾部の仕業?」
「はい」
「どうしてそんな事を…?」
「……べつに最初は、そんなつもりじゃなかったんです」

綾部は自前の踏鋤を握りしめ、俯く。言っている事の意味が図りきれず、私は首を傾げた。

「僕はただ、穴を掘るのが好きなんです。罠を作り終えたら、掛かった反応が見たくないとは言いませんが、べつに必ず落ちて欲しいってわけじゃないんです」
「うん」
「だから、苗字先輩が僕の作ったどんな落とし穴も罠にも掛からないことも、最初は何にも思わなかったんです。先輩の噂は聞いていたから、なおさら」
「そう…」
「けど、僕の落とし穴が無数にある競合区域を突っ切って行く先輩を何回も見てると、だんだん苛々してきちゃって」
「………ん?」

なんかおかしな話の流れになってきて、猛烈に嫌な予感がしてきた。なんだか凄く、面倒くさい事に巻き込まれてきているような……杞憂だと信じたい。だって私は幸運だから。
綾部は顔をあげて、私と目を合わせた。何を考えているのかよく分からない瞳だった。

「なので、今日先輩がやって来ると聞いて、昨日頑張って罠を張り巡らせたんでーす」
「でーすって……けど、私は落ちなかったし、綾部の後輩や先輩が大変な目にあってしまったわよ」
「はい。ここまでやっても尚先輩が落ちないなんて思いませんでした。なので…」

もうここまでの騒ぎは起こしません。そう言ってくれれば良かったのだが、私はそう期待したのだが、綾部は「つぎ頑張りまーす」と間延びした口調で宣言した。
善法寺が聞いていたら顔を真っ青にしていただろうし、穴の底にいる立花は盛大な溜息を吐いているだろう。かくいう私もぽかんとした顔で「……は?」と呟いていた。

「先輩、次来るのはいつなんですか?」
「次?次は保健室の薬の減り具合によるだろうけど……って待って、綾部、まだ続けるの?」
「はい。僕、どうしても苗字先輩に僕の掘った穴に落ちて欲しいんです」
「綾部、あのね、その気力というか情熱をもっと他の事に向けられない?言いづらいんだけど私は多分…落ちないわよ」
「そんなの、試してみないと分からないじゃないですか」

きっぱりと言う綾部。頑固だ、いや、天才的トラパーと呼ばれた彼なりのプライドの問題なのかもしれない。その異名を持つには相当の才能と努力が背後にあるのだ。全く自作の罠に嵌らない私を見て、そのトラパー魂に火がついたのだろう。綾部は表情の起伏が少ないが、こと落とし穴に関しては潮江が持つような熱い情熱を秘めているに違いない。
……いや、それにしたって!


「先輩、僕が絶対に落としてみせますからね」


じゃあ、さようなら。
綾部はそう言ってくるりと振り返り、長屋の方へすたすたと歩いていってしまった。

縄梯子で引き上げた立花は事の一部始終が聞こえていたらしく、申し訳ないような笑っているような、言語化の難しい微妙な表情で、「…すまないな」と言った。
その日から六年生が卒業するまでの約一年間、忍術学園では私と綾部の仁義なき落とし穴合戦が繰り広げられる事になるとは、項垂れる私は夢にも思っていなかった。



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