いちばん痛く憶えていたい
「──きれいだ」
棺の中で眠る女を見て、金髪の女は絞り出すように呟いた。ジェイ・カールにうつくしく飾られた女は、まるで眠るように目を閉じている。きっとこの女性も、棺に眠る姿は彼女とそっくりなのだろうと、ジェイの横に立つイソップは思った。
「随分と痩せていたから……昔のようにしてもらって良かった……これで、母さんにも父さんにも、怒られなくてすむな」
妹の名前を呼ぶ女。悲しみと慈しみの混じり合った声、影を落とす瞳には、愛おしさが潜んでいた。やがて彼女はこちらに向き直り、深々と頭を下げた。
「妹の化粧を有難うございました。これで……彼女もいくらか報われる」
「いえ、これが私共の仕事ですから」
「本当にありがとう」と彼女は頭を上げ、再度礼を言った。その顔を、イソップは到底忘れられず、今も記憶に焼き付いている。
薪にくべられた炎のような、なおも火の粉を抱く灰のような色。あの色がどういうものなのか、今になって分かる。
そう、あれは──
「すまないな、カール。君もあの場に同席していたというのに、すっかり忘れてしまっていて」
「…いえ、僕が担当した訳でもなく、ただ見ていただけですから……忘れていても仕方ありません」
「そうか…ジェイ・カールさんは」
「残念ながら、少し前に他界しました」
「……そうか、また会いたかった」
ソフィアはそう言って紅茶を飲む。あの後時間があればラウンジでお茶でも、とイソップの方から声をかけ、当然断る理由がないソフィアは二つ返事で承諾した。薄暗い部屋を、ぼうっとオレンジ色に光るランプが照らしている。テーブルには紅茶と簡素なビスケットが置かれていた。
「しかし、世間は随分狭いようだな」
「……そのようですね。僕も最初貴方を見たときは、信じられませんでした」
「私もだ」
「………不躾な質問だとは承知していますが、その……あの後、どうされたんですか?」
基本的にイソップは、他人の事情を好奇心から聞くことは滅多になく、そもそも関心がない。公私混同はしない主義──というより、他人に関心がないのは生来のものだ。しかしあの晴天の日見た、闇に燻る炎がどうなったのか気にならないと言えば嘘になる。ましてこんな、世捨て人の成れの果てのような此処に来ているのだ。「あ、も、勿論、言いたくなければ、それで…」と慌てて念を押すイソップだが、あわよくば聞いてみたいという欲が奥底にはあった。ソフィアは眉を下げ、あまり面白い話でもないぞ、と先に言っておく。
「ただ、あの後……妹がああなった原因の薬を売り捌く組織に潜入して、幹部やボスを殺した…そんなところだ」
「………いや、あまりそうやって簡単に言うべきものじゃ、ないと……」
「そうか?話のネタが大仰なだけで、目的を達成する為に色々なモノを捨てて、挙句下っ端に追い回されてここに逃げ込んだ…ってだけの話だ」
「……じゃあ、賞金を集めてるのは…」
「金を使えば、大体の事は出来る。あいつらから逃げ切って、妹の子供たちと隠遁生活を送るぐらいの事はできるだろうて」
「……はあ……」
思ったよりも無茶な事をしていた。
ジェイが「彼女の死因は交通事故による失血死だが、実際はもっと早くに死んでいたのかもしれないな」と言っていたから、麻薬──アヘンによって心身をボロボロにされていたのは知っていた。しかしアヘンを取り巻く状況は英国だけに留まらず、西に東に色んな国を巻き込んで複雑化していたはず。勿論ソフィアが潜入したのは大元ではなく、彼女たちが住んでいた街を担当する組織……いわば下っ端だっただろうが、それでもそんな、小説のような事をやっているとは。現在進行形で命を狙われているし……
「で?私の目的を言ったのだから、当然君の目的も聞かせてもらえるよな」
「……そう、ですよね。あの葬式から5年ほど経った頃、ひとりの女性から黄色いバラ園に来るよう手紙をもらったんです」
「黄色いバラ…?」
「はい……其処に行くと、待っていたのは女性の死体と、封筒……エウリュディケ荘園への招待状でした」
「招待状……カール宛への、か。それで此処へ来たと」
「はい……正直、賞金にはあまり興味はありません。ただ…何故この招待状が僕宛にきたのか、その意味を知りたかった」
そう言いながらも、イソップはこの荘園に自分が呼ばれた理由を知っている──分かっている。
きっと此処には彷徨える魂が残っているのだ。時間の流れも、人の死も、流れる血も全て無かったことになる──『元に戻る』この荘園は、本当は死出の旅に行く筈だった魂たちの時間も囚われているのだろう。それを解放する為に、自分は呼ばれたのだ。イソップは確信していた。
しかし、それをソフィアに話す事はない。彼女には理解できないかもしれないし、気持ちが悪いと拒絶されるかもしれない──それに、彼女はジェイ・カールが死人にだけに化粧を施し、大切に棺に詰める人格者だと思っている。それをわざわざ覆すような事は、するべきではない。
「……それにしても、このゲームを勝ち続けないわけにはいかない……と、思うので…僕はこうして賞金レースに参加していますが……」
「ふうん、君もなかなか、複雑な因果を背負っていそうだな」
「そこまで……大仰ではないと思いますが…」
ビスケットをサクサクと食べるソフィア。イソップよりも早くこの荘園で生活しているだろうが、気が滅入っているだとか、追い詰められてるだとか、そんな雰囲気は感じられなかった。慣れなのだろうか。自分はゲームが一つ終わるたびに、冷や汗と悪寒がしばらく止まらないが……今だってすっかり治った背中に、まだ深い爪痕が残っているような感触が──
「……あの、すみません…」
「ん?」
「…いや、その…あのゲームのハンター……リッパーは、いつもああなんですか?」
「………えーっと……」
荘園に行くまでの経緯を聞かれるよりも聞かれたくなかった、と言いたげにソフィアは視線を逸らし、うーんうーんと言葉を選んでいた。リッパーと対戦した事は何度かあるが、ソフィアに対する執着は誰から見ても──イソップから見ても異常だ。あんなでは、勝てる試合も勝てない。あの、鼻歌を歌いながら自分たちの血で真っ赤に染まる彼らしくない。
「んー、なんていうか、だな……目をつけられているというか……」
「目をつけられて…?何かしたんですか?」
「決して番外乱闘のような不誠実なコトをしたわけではない!それは断言する。ただゲームに参加してた……だけなのになあ…」
明確な理由はどうやら聞けないらしい。ソフィアは自分でも分かっていない……という訳ではないのだろうが、自分に教える気はないのだろう。「まあとにかく、アイツは私に此処から出て欲しくないようだ」と、話はこれで終わりだと言わんばかりの結論を述べた。
「出て欲しくない……とは、どういう」
「さあな、ハンターの思考など分からん。……だが、このままだとこの荘園が無くなるまで縛り付けられそうな気はする」
「この荘園が……無くなるまで」
「あくまで気がするだけだ。この荘園が無くなる未来なんて、想像するだけでも難しい」
まるで永遠に続く牢屋のようだ、と誰かが言っていた。他のサバイバーだろうか。誰も彼も、ハンターたちでさえ、結果的に荘園に縛られ、気の遠くなるような回数のゲームに参加させられ続けている。死すら遠くなってしまう程の年月を、此処で過ごす事だって、もしかしたらあるのかもしれない。
ずっと此処で彷徨う魂たち。自分たちの肉体や意識すら、自分たちがコントロールできるかも分からない──そもそも、これが本当に自分の肉体なのか?それすらも定かではない。
……ならば、彷徨える魂は、彼等なのではないか?
いつからいるのか分からないサバイバーたち、最早過去の神話と化すハンターたち、そして目の前にいるソフィア。彼等は等しく自我があり、記憶があり、心がある。魂だけが──この荘園に囚われているのではないか?
勿論肉体はあるだろう。なんの手段かは分からないが、失った腕や脚も再生するような、代替可能な人形が。それがあれば何度でもゲームに参加して、賞金というゴールテープまで走ることが出来る。どこまで走ればいいのか分からない、暗闇を延々と走るような地獄だが。
ならもしも、疲れて、走り疲れて立ち止まって、もう死んでしまいたいと諦めた時。
その時こそ、僕が納棺するべきだ。カタチを整え、粧して、棺に寝かせる。
かつてジェイが妹さんを棺に入れたように、僕が彼女を棺に入れる。
そうすればきっと、ソフィアさんは妹さんの処へいけるのだ。それこそが幸福な終わりだ。
だって彼女は、妹を愛しているんだから!
「……ソフィアさん」
「ん?どうしたカール、まだ聞きたいことがあるか?」
「いえ……ああ、どうぞ僕の事はイソップと呼んでください。ジェイと混同してややこしいでしょうから」
「……?そ、そうか…それでイソップ、どうした?」
「……僕は貴女がこの荘園で勝ち抜いて、いつか多額の賞金を持って出ていくのを祈っています」
「ですが、もし疲れて、もう続ける事はできないと思った時は」
「その時は、僕が納棺して差し上げますね」
目を見開くソフィアを見て、イソップはついと視線を逸らし「……冗談ですよ」と言った。空になったティーカップをテーブルに置くと、屋敷の執事と思しき男性が何処からともなく現れ、片付けていく。
「……では、僕は他のマップを見ていこうと思います……まだこの荘園に来て日が浅いので、まだ行ったことがない場所があるんですよ」
そう言ってイソップは立ち上がり、小さくお辞儀をして部屋から出て行った。バタン、と木の扉が閉まる音がして、場に静寂が満ちる。ソフィアは緩くなったティーカップの中身を飲み干して、ハァと溜息をついた。
「………冗談に聞こえないぞ、イソップ…」
自分と同じグレーの瞳。
あの目が静かに湛える色を、ソフィアは知っている。
