誰にもいわないでね
「相談があるんだが」
と、いやに真剣な声色で、隣に座るソフィア・ウラミチは医師、エミリー・ダイアーに切り出した。エミリーは彼女の並々ならぬ雰囲気を察すると紅茶を飲む手を止める。
「珍しいわね、アナタが改まって相談なんて」
「ああ、うん。暫く私の心の内に秘めておこうと努めていたが……流石に私一人で対処できるような問題ではなくなってきたと思ってな」
「……そこまで深刻な問題なのね。力になりたいけれど、私が助けになるかしら?」
エミリー・ダイアーとソフィア・ウラミチは荘園に招かれた時期こそ違うものの、自他共に良い友人同士であると思っている。
ハンター相手に果敢に立ち向かっていくソフィアは、その役割上生傷が絶えない。
怪我をすれば出血や痛みで動きは鈍り、すぐに追撃を受け動けなくなってしまう。エミリーという『医師』は、その役割上彼女と同じゲームに参加すればいち早く彼女の治療に向かわなければいけない。怪我をすればソフィアはエミリーの元へ走っていくし、エミリーは怪我をしたソフィアの元へ駆けつける。何回もゲームを重ねていくうちに、『立場上』の関係に留まらず、こうして身体を休める時間を共に設ける程にまで、お互いを信頼するようになっていった。
いわば戦友と称すべきソフィアの悩みに、エミリーも出来うる限りの協力をしたいと素直に思うけれど、しかし一介の医師にすぎない自分に、どこまで出来るだろうかとソフィアの真剣な表情を見て不安になる。ソフィアは顔立ちからは考えられないような茶目っ気のある一面を持つが、気丈で凛とした女性らしからぬ女性である。『守る』仕事に長く身を置いていたせいか、自身に関する情報を殆ど話す事もなく、自分以外の誰かが中心に物事を決定しているように見える場面を多々見てきた。きっと自身の胸中に住まう悩みを、こうして外に吐き出す事すら滅多にない事なのよね、こういう時こそ、支えてあげなくちゃ。エミリーのそんな決心に呼応するように、「いや、エミリーだからこそ相談したいんだ」とソフィアが答えた。嬉しいわ、それで、一体どんな相談なのかしらとエミリーが言おうとすると──
「実は先日、リッパーに告白されたんだが」
と、ソフィアな神妙な顔つきで、悩みを打ち明けた。
…………
………………
………………………え?
「日記を書いているから今日で丁度1週間前なんだが、信じられるか?リッパーから──って、うわ!」
石像のように硬直したエミリーの指からするりとティーカップが滑り、それに気づいたソフィアが慌ててキャッチする。温くなった紅茶が衝撃でソフィアの女性にしては大きく骨ばった手に跳ねた。
「危ない、危ない……どうしたんだエミリー?常日頃備品は大事にしなさいと言っていた君らしくない」
「ええ、そうね、ごめんなさい……ええと、悪いけれど、さっき、ソフィアがなんて言ったのか、もう一度教えてくれるかしら?」
「ん?いやだから、リッパーに告白された事についてなんだが」
聞き間違いじゃなかった。エミリーは一瞬気が遠くなる気がしたが、幸か不幸か持ち直す。こんな衝撃、友人が酷い怪我をした時以来だ。今度は別の友人が頭を酷く打ったのかもしれない。もしくは気が触れたのかも。
「……リッパーって、新しく来たサバイバーかしら?」
「いや違う。新しく来たのはイソップ・カール。ハンターのリッパー」
「あの面を付けた?」
「最近は面を取ってるな」
「襤褸みたいな紳士服を着た?」
「一々言い方がキツいのは君の難点だな」
「左手に趣味の悪い、刃物でできた、どうやって動かしてるのか全くわからない義手を付けて、やけに良い声で小憎たらしい鼻歌を歌ってくるアレ?」
「霧を飛ばして透明になるアレ」
「に、告白されたって?誰が?」
「私が」
「ソフィア・ウラミチが、リッパーに、告白された?」
「まぁ、普通は信じないだろうな」
ソフィアは苦笑して、テーブルに置かれたバタークッキーを一つ取り、口に運ぶ。サクサクと小気味良い音が鳴る隣で、エミリーは頭痛に耐えていた。
聞き間違いでない以上、ソフィアの気がおかしくなったに違いない。短い付き合いだが、友人のよしみだ、聖心病院に入院する手続きをしてやろうと早くも見捨てる算段を一瞬立ててしまったが、手伝うといった手前、エミリーは責任を取らなければならない。
告白と言っていたが、エミリーは勝手に愛の告白と解釈したが、もしかしたらそういう類のものではないのかもしれない。『私、前々から貴方の事が苦手なんです』のような告白かもしれない……とエミリーは意を決して聞いてみる。左手の薬指に指輪もない。いや贈ってたら贈ってたで気が早すぎる。
「その、告白っていうけれど、リッパーが…愛の告白をしたっていう認識でいいのかしら?なんて言ったのかしら」
「んー、まあその経緯も話さないといけないな。まずアフタヌーンティーに呼ばれた頃からなんだが」
「まって、その話聞いてないわ」
「言ってないしな」
あれ人間の食べ物食べれるの?とエミリーが質問する隙すらなく、ソフィアはリッパーが自分に好意を寄せているに足る根拠も含めた経緯を話し始めた。その話は端から端までとても信じられるものではなかったが、ソフィアがアフタヌーンティーに呼ばれた日に近く行われたゲームでエマが「ソフィアさん、遅くまで起きているみたいなのに、あんなに動けて凄いの」と、八面六臂の大活躍をするソフィアを見て感嘆しているのを思い出したエミリーは深いため息をつく。ああ、それってそういう……とエミリーが呟くと、ソフィアが気が早すぎると即座に否定した。
「ソフィアの自意識過剰な気がするし、いえ絶対そうだと思うのだけれど」
「分かってはいたが口に出されると辛いものがあるな」
「けど、そうなるとリッパーがアナタに執着する理由にはなる、のよね…アナタは知らないでしょうけど、アナタがいないゲームでリッパーが相手だった場合、殆ど勝てた試しがないのよ」
「ああ、フレディに聞いたな。3割以下だって」
「実際は分からないけれど、体感的にはそれより下でもいいぐらい。愛情表現にしては、随分と血生臭いけれど」
まだリッパーがソフィアと何らかの因縁があるか、毛嫌いしているかの方が良かった気もする。ソフィアを脱落させる事でリッパーが彼女との時間を作りたがっている事は説明されたが、もしも持ち前の刃で肉も骨も斬り刻む事自体が想いを表す好意だと言うのなら、別の意味でエミリーはソフィアの事が心配だった。
「……そもそもの話になってしまうけれど、何故私にこんな話をしたの?」
「一つは私がエミリーの事を、心の許せる友人だと思っているというのがあるが、確かエミリーは荘園のサバイバーの中でも古参の方だろう?こういう事例が過去いたサバイバーにあったかどうか聞きたかった」
「こういう事例って……そんなの、ないわよ。あったとしても、私たちが覚えている筈ないわ」
エウリュディケ荘園には脱出者が存在している。ゲームをクリアし続け、約束された賞金を手に取り現実へ戻ったサバイバーは、過去に存在しているのだ。ただ、そのサバイバーは荘園での出来事を、未だ荘園に留まっているサバイバーは脱出したサバイバーにまつわる全ての事象を荘園の主人の意向で、記憶から抹消される。記憶をなくした元サバイバーは、手元にある巨額の金と記憶障害だけが残り、それを何処で手に入れたのか、どうやって手に入れたのか綺麗サッパリ忘れるのだ。
『方法は分からないが、何らかの手段を講じて大金を手にする人間たちがいるらしい』
という噂は口伝えに伝播していき、元サバイバーの国籍や人種、年齢性別も問わない事から『何らかの選別によって、誰でもそのチャンスが巡ってくる』という尾鰭がついた事で、半ば都市伝説として定着していた。そこに『エウリュディケ荘園』と名乗る何処かから『招待状』を何らかの選別によって選ばれた人間(最近は自分から探して当ててくる人間もいるようだが)に送る事で、殆ど怪しまれる事なく新しい生贄…もといサバイバーを補充しているのだ。
では、何故エミリーやソフィアが『元サバイバー』の存在を知っているのかといえば、それは調べたからに他ならない。元々人と接する仕事に就いていた二人はその噂を耳にしていた事もあるが、『この荘園から脱出した人間は果たしているのか』という疑念を解消すべくソフィアは悟られないよう証拠となりうるモノを探していて、エミリーは新しくサバイバーが入ってくるのなら、抜けたサバイバーも居るのではないか?と推理していた。勿論その元サバイバーに関する記憶や証拠は未だ闇の中であり、それが明るみに出る事はもうないだろう、と二人で話していた。
「期待はしていなかったが、やっぱりないか」
「その話を、この前したばかりじゃない。私以外のメンバーもきっと同じよ。エマやピアソンは『初期化』しているから、余計ね」
「うん、分かってる。前例があれば、気持ちがほんの少しでも楽になると思っただけだ」
「………まさかとは思うけど、ソフィア、アレと一緒になるつもりなの?」
「まさか。そりゃあ確かに、私と二人の時間を持つために散々追いかけてきたり、私の味の好みを気にかけたりしていたのは健気でちょっと可愛らしいと思ったけど、」
「ちょっと靡いてんじゃないわよ」
「けど私は人間だから、外の世界に帰りたいよ。その思いは今もこれからも変わらない」
しっかりと言い聞かせるように話すソフィア。いつだったか、彼女はこのゲームに参加する理由だけは話した事がある。
金が欲しい。兎にも角にも、賞金を手に入れて、この荘園から脱出すると。サバイバーの多くは莫大な賞金目当てに参加て いる者も多いが、誰も彼もその先にある目的の為に、賞金を求めている。ソフィアは一生遊んで暮らせるような賞金を、一体何に使うのかしら──エミリーはその時不意に思ったが、それを聞くのは野暮だと辞めておいた。……今もまだ聞けないまま、エミリーはビスケットを口の中に放り込んだ。
真っ白なカンバスに生々しい赤色が飛び散っている。まだ時間はそこまで経っておらず、月の光を浴びてルビーのように鮮やかな色を帯びていた。カンバスには至る所に足跡があり、その形や大きさは全て違っている。最初は5足分あったものが、今は2足分しか残っていない──そしてたった今、もう1つも消えた。年季の入った革靴が、機嫌良くサクサクと柔いカンバスに足跡を残す。
(あと………もうすこしだったのに……)
もう少しで、地下室に続くハッチへ辿り着く事が出来たのにと、風船に吊るされたエミリーは悔しげに顔を眺める。全身が痛い。ゼエゼエと肩で息をする身体からは血が絶えず流れ落ちていた。既に仲間は全員荘園へ返され、何とか自分だけでも逃げようとしたが、霧に紛れた形のない刃からは逃れることは出来なかった。いつもそうだ。用心棒がいなければ、私たちはこの怪物に勝てた試しがない。彼女がいなければ、冷静に冷徹に、粛々と自分たちを狩る化け物……あの衝撃のカミングアウトから体感で数日が経ったが、とても激情に身を焦がすような生き物ではないだろう。
いや──それほどまでに狂っているのだろうか。この仮面の殺人鬼は、あの女に。
「……ねえリッパー、どうせアナタの完全勝利なんだから、少し聞いてもいいかしら?」
「……おや、貴方が私たちと会話をするなんて珍しい。荘園へお帰りになる間だけでしょうが、何でもお答えしますよ」
実体を持ったリッパーは、少し意外そうな声色で返事をして、ロケットチェアの前で足を止める。そしてエミリーの身体に巻きつけられた風船を解き、雪の上へ降ろした。クリスマスソングに似た、歪なメロディが流れている。誰の思い出といったか、だが今はそんな事を気にしている余裕はなかった。
「この前、ソフィアが私に話をしたのよ。アナタが彼女に………『興味』を持っているって」
「そうですね、それが何か?」
「それは……一体どういう意味なの?もしそれが……私が想像する意味なのだとしたら、アナタは一体何がしたいの」
アナタは化け物で、あの娘は人間よ
敵意を隠そうともしないエミリーからの問いかけに、リッパーは考える仕草をする。2つ穴が空いただけの仮面からは何も読み取る事は出来ない。左手からはエミリーの血が滴り、雪に赤い染みをつくる。少ししてリッパーは話す。
「……理由なんてものは、後から、取ってつけたように湧いてくるものですね。最初は特に何も考えず、貴方達とさして何も変わらない、ただのサバイバーとして見ていたような気がします」
「……」
「それが、いつだったか、いつしか、惹かれるようになった。今なら貴方が求める、具体的でそれらしい理由を付ける事はできるでしょう。プラチナブロンドの髪が美しい……ダークグレーの瞳が美しい……あるいは、外見などどうでもよく、貴方が他のサバイバーを助け私たちに立ち向かうそのこころが美しいと。全てに当て嵌まるような気もするし、全て掠りもしないような気もする。どちらにせよ、私の魂に息づく感情は、そんな意味を持っているでしょう」
「…なら、何がしたいのよ。彼女を逃す選択肢は「ない」
リッパーは、穏やかな口調とは真逆の、押し込めるような強い言葉で否定した。仮面の下はどうなっているのか、エミリーは想像もしない。きっと笑っている。嗤っている。
「彼女を逃がす?何の為に?彼女が此処から逃げてしまったら、私はもう彼女を見る事はない。エミリー・ダイアー、私の魂はね、この荘園から逃れる事は出来ない。君たちと違って、永遠に。それは、それだけは耐えきれない。ソフィアの顔も、心も、声も、血も、肉も、替えはない。唯一無二のモノだ。君に代わりがいないように、彼女に代わりはいない」
「だから──永遠に、私のものにしたい」
「分かり合う必要も、想いを求める必要もない」
「いつかこの荘園が朽ち果てるまで、私と共にいて欲しい」
身体中の体温が、一瞬で冷えていく音がした。降り積もる雪のせいでも、血を流しすぎたせいでもない。かつてソフィアが蓋をした仮面の下を、エミリーは暴いてしまったのだ。
静かで、不気味で、恐ろしく、歪んでいる。
これを愛だの恋だの名付けるのも馬鹿馬鹿しくなるほどに、純粋な狂気。今すぐ此処から逃げ出したいが、身体が動かない。それは身体中を支配する痛みのせいだが、エミリーにはその感覚がとうに消え失せていた。いっそ視覚も失って仕舞えば、この狂気にあてられなくて済むだろうか。聴覚も削ぎ落とせば、その声を聞かなくて済むだろうか。そんな事を考えて、エミリーはふっとソフィアの事を思い出す。
この激情の矛先は、ひどく優しい笑顔を浮かべていた。
「……アナタが、どうしたいのかは分かった。どう見ているのかもね。けど、あの子は物じゃない。人間だわ。人間だから、きっと此処から出て行くでしょう。脚を斬っても、腕をもいでも、きっとね」
「でしょうね。だから私も必死になって、彼女を追い掛けているのですよ」
リッパーは再びエミリーに風船を括り付け、椅子に座らせる。途端導火線に火がついて、見る見る内に赤い光が線を辿っていく。
衝撃と浮遊感に意識が揉まれる瞬間、低く弾んだ声が聞こえた。
「ソフィアを心配してくれてありがとう、エミリー。安心してくれ、たとえ彼女が頭だけになっても、私は見捨てたりはしないよ」
巫山戯るな、その声が殺人鬼に届く事はない。