あれはきみをうった魔物

 このエウリュディケ荘園の中に時間の流れという概念が果たしてあるのかソフィアには分かるはずもないが、およそ2ヶ月が過ぎただろうか。摩訶不思議なシステムとステージで繰り広げられる残酷な鬼ごっこにも段々と慣れてきたが、未だに知らない事も、理解できない事も沢山残っている。
 幸いにしてソフィア・ウラミチは完璧主義者でも好奇心旺盛な学者でもなかったので、『自分の身に関係のない理解不能』に関しては何も触れないスタンスを貫いている。蒸気の力とは思えない転送システムに日々増えていくステージ。ゲームが終わると裂けた皮膚も腫れた足も治る仕組みは石炭でどうにか出来る筈もないが、後遺症も跡も残らないなら良しと特に何も考えず流してきた。どうせ深く考えた所で何もわかりませんでした、がオチだ。
 だが、こうしてハロッズ社のダージリンティーに角砂糖を落とす今この瞬間は、紛れもなく『自分の身に関係のある理解不能』だと言えるだろう。窓ガラスの外は視界を覆うほどの霧が立ち込めていて、どこに何があるのかわからない。

「意外ですね」
「…………あぁ、砂糖の事か」
「ええ」
「最近はアフタヌーンティーなんてご無沙汰だったから、そう言われるのも久しぶりだ」
「意外と思われる自覚はあるのですね」
「そうだなあ」

 ソフィアは女性にしては背が高く、クールな顔立ちをしている為、最近流行りのコーヒーが飲めないと言うと随分驚かれてしまうし、驚かれずに紅茶に角砂糖を二つ入れる姿を見られた事がない。そういえばそうだったなあと、さして憤るでもなく女学校時代に想いを馳せる。何もかもが幸せだった日を懐かしんでいると今のこの状況の異常さを忘れてしまいそうに──現実逃避してしまいそうになるが、それはいけない。
 落ち着け、目を覚ませ、私の目の前で同じ紅茶を飲む男(と思われる存在)の左手をもう一度ちゃんと見るべきだ。
 目の前で優雅に佇むソレは、荘園に生きる化物なのだ。



 古ぼけた紳士服にシルクハット、眼球部分に開けられた穴のみの仮面に、左手の指先から鋭くのびる刃。
 リッパーと呼ばれている男は、ソフィアたち"サバイバー"を襲う"ハンター"である。
 霧に溶け込み、逃げるサバイバーを追いかけて、その刃で切り裂く。鬼ごっこでいうなら鬼の立場。極端な言い方をしてしまえば敵だ。敵同士だ。
 ならば何故、敵であるソフィアとこうして茶をしばいているのかと言えば、それが今ソフィアが直面している『理解不能』なのだ。

(思えば、前から気になってはいた……)

 ソフィアはその"職業"柄、よくハンターと追いかけっこをする役割を担う事が多い。傭兵のナワーブや空軍のマーサと同じような立場だ。更に(勝手に付けられた)外在特質なるモノのお陰で、ゲームが始まった途端ハンターの近くに配置される事がザラにある。ハンターの数も多くなってきているので、毎回毎回リッパーと当たる事はないが、当たった場合は仲間たちが暗号を解読する時間を稼ぐ為にもひたすら追いかけっこをしていた。ハンターとしては全員荘園に戻さなければならないのだから、ソフィアを追いかけるのは当然の事だ。しかし──

(こいつはどうも、私をずっと追いかけてきた気がする)

 長い。とにかく長い。たとえ幸運にも追撃から逃れても延々と追いかけてくる。120秒なんてとうに過ぎてしまう程長く追いかけっこをしたのは一体何回あっただろう──そろそろ片手では数えきれなくなってきた。その間次々と暗号機が解読されようとも、ゲートの暗号すら解読されようともお構い無しに追いかけてくるものだから、ソフィアは度々地べたを這い蹲らされた。服や肌が裂け、固い地面の衝撃に呻きながら見上げた瞳に映るリッパーの様子といったら。満足げに──否、どこか悦を感じている様子でこちらを見降ろす仮面の憎たらしさといったら!間違いなく人をいたぶって楽しむタイプの人間(?)だ。いつもは銃を持った他のサバイバーに助けられどうにかゲートを抜けていたのだが、今日行われたゲームではそうもいかなかった。ソフィア以外全員荘園に送り返された最悪のゲーム。
 リッパーが鬼役と知ってつい気の緩んだ他サバイバーたちを次々襲い、何度助けようが執拗にソフィア以外を追いかけ回し、ついぞ蚊帳の外のままだったソフィアを残して目に潤ませたエマが空を飛んだ。ソフィアの外在特質の1つに仲間が負傷したり、ロケットチェアに縛り付けられた際に真価を発揮する『主従関係』というものがあるが、その仲間が荘園に送り返されるとデメリットが発動する。移動スピードも解読スピードも弱まり、『格闘術』も使いきったソフィアは重い足を引きずりながら必死にハッチを目指したが、そこにリッパーが待機しているのを見て即座に死を覚悟した。ハンターの中には、勿論リッパーも、ほんの気まぐれで逃がしてくれる場合もあるようだが、到底逃してくもらえる雰囲気ではなかった。ソフィアは諦め、リッパーの爪を受け入れた。ここまでは何の変哲も無い負け試合だ。


 問題は──


「問題は、何故私と貴様がこうしてテーブルを囲んでいるのか、分からない事だ」
「おや、聡明な貴女らしくない」
「あいにく、人の感情の機微には疎くてな」
「フム……つまりは『これ』が私の要求なのですよ」
「要求……私に対する?」
「ええ。私が完全な勝利でゲームを収めた時、貴女にのんでもらう要求」
「へぇ……私が貴様に負けた時…………っていや、私そんな条件付けた覚えはないぞ」

 さも当たり前のように言ったリッパーに流されそうになったソフィアだが、いやいやいやと首を振った。
 条件?要求?
 そんなモノ、他のハンターは口に出さなかったぞ──とソフィアは言う。多くのゲームで一番負けているピエロのジョーカーには一回もそんな要求された覚えがない。見事な手際でロケットチェアに縛り付けられるだけだ。鬼ごっこにハウスルールを持ち込むタイプか、とソフィアは呆れながらハイティスタンドにのったスコーンを手に取る。毒物が入っている心配もあったが、他のサバイバーが五体満足でゲームに参加しているなら大丈夫だろう、と結論付けた。

「こういうのは──何処から仕入れてくるんだ?」
「私もはっきりとは知りませんね。サバイバーの貴女方にも当てはまるかは知りませんが、私たちにはそれなりの自由が与えられています」
「自由…」
「ええ。私のこの部屋も、口にするものも全てが他サバイバーと一致している訳ではありません。何を食べて何処で休むのか、ある程度は自由に指定出来るのですよ」
「ふぅん…普段は何を食べているんだ?」
「いえ、食事は基本的にはしません」
「あ、そうなんだ…」

 必要がありませんからね、とリッパーは言い、サンドイッチを取る。仮面の下には眼球と呼べるモノは無く、そこは抉られたかのように窪んでいるが、目が見えない訳ではないらしい。彼曰く、何も食べない者もいるし、朝昼晩律儀に食事をする者も、たまの道楽として食べる者もいる。その話でいくならば、リッパーは道楽として食事をしている事になる。

「貴女方は人間でしょう?普段は何を食べているんですか?」
「何を食べていると言っても、全部荘園側から提供されている。昨日はビーフシチューだったな…お互い誰が何を食べるなんて気にしないから、他のサバイバーの食事事情は分からん」
「別に構いませんよ。興味もないので」
「(……?)それにしたって、貴様は頼めばこんな質の良いものが食べられるのか。この紅茶だって、相当出来が良いものだろうに…」
「貴女だって頼めば多少聞き入れてくれるのでは?より質の良いゲームにする為には、多少の要求も飲むかもしれませんよ」
「……荘園の外に出たいという頼みが聞き入れてくれるなら、考えてもいいだろうが」

 リッパーの動きが不自然に止まる。しかしソフィアは気づいた様子もなく、この荘園の外に広がる美しい記憶を思い出していた。今外はどうなっているのだろうか──たった2ヵ月程だが、体感的にはもっと長く荘園にいる気がしていた。
 ああ、早く外に出たい。そう呟くと、リッパーが静かな声色で「貴女は、賞金が欲しくないのですか?」と聞いた。

「勿論賞金は欲しい。だがこんな長丁場になるとは思っていなかったから、今は外がとても懐かしいよ。金か外かの二択を迫られたら、外に出る方を選んでしまうかもしれない」
「…貴女は一体どんな目的でこのゲームに参加したのです?私は何かの目的の為に賞金が必要だと思っていましたが」
「目的は既に達成している」

 満足げな表情で、これ以上何も要らないと言いたげな微笑みを浮かべて、ソフィアはそう言った。
 リッパーは引き寄せられるように、その表情をジッと見つめる。

「私が金を必要としているのは、ただ後処理の為だ。あまり大きな声では言えないが、荘園に来る前は結構面倒臭い状況でな……それをどうにかするには金がどうしても必要なんだよ」
「一体何をしたんです?」
「……それを貴様に話す義理は、ないな」

 話はもうこれまでと言うように、ソフィアはすっと椅子から立ち上がる。
 ここが本当に自分たちの居住エリアに繋がるのかは分からないが、入ってきた扉から出れば、まあどうにかなるだろう。元から扉が一つしかないのだから、選択肢も一つしかないが。
 リッパーは引き止めるそぶりを見せない。まだハイウェイスタンドにはメニューが残っているが、これ以上いると要らない事まで喋ってしまいそうでソフィアは嫌だった。

「美味しい紅茶とお菓子をありがとう。これ以上食べると夕食が入らなくなるだろうから、もう行くよ」
「………いえ、此方こそ話ができて良かった。一人で飲む紅茶も、偶に息が詰まるものですから。……宜しければ、また誘っても?」
「……まぁ、私がまた貴様に負けたら、な」

 もうそんな機会は無いが、とソフィアは挑発するように笑って扉を開ける。リッパーはもう振り返らないソフィアの背が扉の向こうに消えるまで微動だにせずにいた。パタン、と音がして部屋から人の温もりが消えると、リッパーは顔を伏せる。もう『これら』に興味はない。食べかけのサンドイッチの味さえ彼の記憶から消えていた。今はただ、彼女の言葉が消えてしまわないように反芻させる事しか頭にない。

 また負けたら

 また負けたら


「また負けたら……フフ、」


 楽しみだ、とリッパーは呟いた。






 どこをどう歩いたのか全く記憶にないが、とにもかくにもソフィアはサバイバー達の居住エリアへと辿り着く事が出来た。なんだかゲームと同じぐらい疲れている。ゲームが終わった直後に連れて行かれたのだから、今更疲れが出てきたのかもしれない。ソフィアが重い溜息をついて廊下を歩いていると、前から同じサバイバーの一人、エマが歩いてきた。

「ソフィア!こんばんは」
「こんばんは、エマ」
「……どうしたの?なんだか疲れているみたいなの」
「ああ…ちょっとな。……ところでエマ、少し聞きたい事があるんだが」
「なあに?」
「リッパーとどんな話をしたんだ?そう、一昨日ぐらいに、リッパーに負けたと言っていただろう」

 ソフィアは気になっていた。リッパーの言っている事が正しければ、自分以外にもその『要求』をしている筈だ。勿論本来ならソフィアはさして興味を持たなかったが、何となく感じていた違和感を払拭するにはこうするしかないと思ったのだ。エマが話したくないならいいが…と言うソフィアに、エマがキョトンとした顔で首をかしげた。

「わたし、リッパーさんとお話しした事なんてないの」




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