サンストーン


※本誌最終回までのネタバレを前提としています



「これで全部ですか?」
「ああ」
「なんというか……本当にヒーローを殺すためだけに動いてたって感じですね。このご時世に……」
「逆に清々しいまであるわな。ナイフと刀、金もスマホもなーんも持ってねえんだから」
「よくやりますよ……ン?え、あの、コレって……本物?」
「ついさっき鑑定結果が出たが、本物だとよ」
「これは……窃盗罪?」
「それをこれから調べるんだよ。研磨もなんもされてないダイヤモンド……なんで奴はそんなモン持ってたのかってな」







 死が身近になった。
 私が通っていた施設は更地にされて、借りていたアパートはぺしゃんこになり、よく利用していたスーパーも、デパートも、十字路の先の八百屋も荒らされて機能を失っている。未曾有の大災害……いや人災は、私の先輩を、友達の友達を、八百屋のおばあちゃんを、一階に住んでいた鈴鳴さんを殺して、生きている私たちを滅茶苦茶にしてしまった。
 日本の終わり。その瀬戸際。
 そんな中で、私は生きている。


 いや──生かされた。


 目の前の男に。


「……ハァ……」
「……す、ステイン、さん……?」
「……?……お前は……」

 見間違える筈もない。無造作に伸ばした黒髪、鼻のない横顔。包帯の隙間から覗く血走った瞳。しゃがれた声。どう見てもステインさんだ──私を襲ってきた敵が血を流して地に倒れるより先に、私は両手を上げた。私は敵ではありませんのポーズ……をしたその瞬間、私の喉元に血に浸されたばかりの切先が触れる。寸分の狂いも躊躇いもなく、少し手を捻れば私の頸動脈をスパッと切れる、そんな位置に。

「私です、あの、輝石です!#苗字#輝石!名前、覚えてないかもしれないけど……!」
「……ハァ……」

 ステインさんの懐かしさすら感じられるため息と共に、ピリついた気配が少し薄れたのを感じる。私は残念ながらヒーロー科ではないからこういった機微には疎いのだけれど、こういう時は殺意と言ったほうがいいのだろうか。今しがた助けた一般人が自分を知っていると気付くな否や警戒するのは流石、歴戦のヒーロー殺しといったところだろうか。
 ステインさんは私を睨みつけながらゆっくりと刀を下ろし、パッと振って血を飛ばした。怒っている……のだろう。呆れていると言っても良いのかもしれない。どちらにせよ、彼にとって予想外ではあるけれど、嬉しい再会ではない事だけは確かなようだ。

「助けてもらうの……2度目ですね」
「……」
「あの、ありがとうございます……会えて嬉しいです」
「黙れ。ハァ……大体、何故お前はこの状況下で徒党も組まず呑気に出歩いている」
「ええと、それは……」
「まさかこうなるまで地下にでも引きこもっていたと言うつもりじゃあ無いだろうな」
「…………逃げてきたと言いますか……」

 ステインさんなら、この後の流れが手に取るように分かるだろう。いや、後も前も。私が何故追われているのかも──その予想は大当たりのようで、ステインさんは私から視線を外して、遠くを見ながら、またも盛大なため息を吐いた。どうやら私たちは会うのも2度目なら、シチュエーションも被ってしまうらしい。
 追手から逃げる私を助けるのはステインさんだった。今回も。

「足は」不意にステインさんが聞いた。
「はい?」
「足は挫いてないだろうな」
「……ふっ……ごめんなさい挫いてないです」
「ハァ……ならひとりで帰れるだろう。向こうに避難民を受け入れる護送車が見えた」

 ステインさんが私の背後を指差すと、反対方向にくるりと踵を返した。私は慌てて「待って!」と叫ぶが、待つはずもない。彼は書類上はヒーロー殺しの殺人鬼……に加えてタルタロスのダツゴク者だ。見つかれば最後、また元の場所に戻されるだろう。そして大人しくヒーローの言うことを聞くステインさんでも無い。また新たな肉塊が転がる羽目になる。
 ステインさんは私の呼びかけを当然のように無視して歩いていく。その後ろ姿は、きっと一度目の時と全く変わらないのだろう。
 行く場所も返る場所もなく。
 どこにも居場所のない、当てのなく彷徨う亡霊のように見えた。瞬間、ぶわりと、再会の喜びと同じくらいの、いやそれ以上の焦燥が膨れ上がる。
 根拠も何も無いのに、このまま見送ったら、もう会えない気がした。

「待って!」

 衝動に突き動かされ、私の足が動く。

「待って、待ってください、私、あなたに……」

 私の言葉を遮るように、刀が向けられる。黒い影で覆われた目が見開いて、刃物よりも鋭く私を貫いていた。ステインさんの一挙一足の、全てが雄弁だった。刀は境界線。その視線は警告。
 ステインさんにとって、私は、取るに足らないモブだ。数分前に切り捨てた敵と同じ存在。ステインは「ヒーロー殺し」。それ以上でもそれ以下でも無く、それ以外の生き方を許さない。世界が。彼自身が。
 そして、私にとってもそうだ。そうであるべきなのだ。

 ねえ、ステインさん。

 あなたが捕まって何日して、警察が来ました。余罪を精査するためです。あなたが私にしてくれた事は、世間には全く知られていません。私もその時の聴取以外で話していないし、事件とは無関係なものとして切り捨てられ、話すことも禁止されているのでしょう。この世のどこにも出回っていないのです。マル秘どころか、存在していなかったかのように……それを残念に思うかどうかなんて決められません。今、日本はそれどころじゃないから……。あの絶海の孤島からあなたがどうやってここまで来たのか、ちゃんとしたご飯を食べれているのか、聞きたいことは山のようにあるけれど……一番は、あなたがどんな思いで私の宝石を持っていたのか、知りたいです。ものすごく知りたいです。あるいは、そんな宝石なんて忘れて、ポケットの奥底で腐らせていたんでしょうか。おかげで私は少しの間監視されたり、引き取ってくれた擁護施設からあらぬ誤解を受けたり、平和的に追い出されたりしました。小一時間座らせて、私の苦労話を聞かせてやりたいです。きっと興味ないでしょうけど……それとも、敵に関わるとロクな事にならないと笑うのでしょうか。

「ステイン、さん」
「……」
「わ、私……」



「学校、行ってます」



 聞きたい事はたくさんある。
 話してほしい事も、たくさん。
 その全部を飲み込んで、涙の代わりに、私の話をする。

「高卒認定取りたいから、バイトしながら通ってます。友達もできて、後輩もできて、教えることも勉強することもたくさんあります」
「今はっ……、学校もバイト先も、アパートもっ、潰れちゃって、皆離れ離れに、なってるけど。避難所でも勉強してるんです。ちょうど先生が避難所の子供達に勉強を教えてて!お手伝いしながら、私も同じ境遇の子達と、勉強してます」
「大変だげどっ、……!ヒーローが、頑張ってるがら、あのどきと比べたら……全然っ平気だがら!」
「でもッ、あの時……あのとき、ステインざんが、だすげてくれだから……!」
「…あり、ありがどうっ、って、いいだぐでぇ……!」
「…………ハァ………………泣くんじゃない」

 いつの間にか刀の切先は下げられていて。
 代わりに、私の目元をステインさんの袖が乱暴に拭う。どんどん溢れてくる涙はステインさんに言われても中々止められないけれど、小さなビーズのようになってパラパラと地面に落ちて、瓦礫に埋もれた。これで……宝石としての価値は無い。いずれ踏み潰されて、道の一部になるだろう。
 容赦無くゴシゴシと拭くものだから(乙女の顔を!)こんなに近くにいるのに、私はステインさんが、今どんな顔をしているのか分からない。
 それでもいい。悲しみや恐怖で涙が出るんじゃない。嬉しい。彼とまた会えたこと。また言葉を交わせたこと。一体どれほどの価値だろう──世界中のどんな宝石よりも、値打ちのある奇跡だろう。

「……ステインさんは、これから……」
「お前に話す必要は無い」
「ですよね。……でも、ちょっと推測はできるかも」
「お前は……ハァ、絶妙にふてぶてしい奴だな」
「そりゃあ、あなたに救けを求めるくらいですから」

 最大限の笑顔を向けると、ステインさんはハア、と、いつものように深い溜息を溢す。不思議と怒りは感じなかった。私がふてぶてしいからかもしれないけれど。

 遠くから、かすかに車の音が聞こえる。ステインさんが言っていた避難民を受け入れる護送車だろう。流石にもう、時間がない。ステインさんは再び踵を返す。私も、もう止めない。彼に背を向けて、足を進める。
 ヒーローに保護され、車に乗って、避難所に向かう間。
 私は一度も、振り返らなかった。
 








 8年後。

 よく晴れたあたたかな春の午後、私はベンチに座っている。
 隣に座っているのはご老人……もとい平和の象徴……だった、ご老人だ。

「貴重なお時間をいただいて、すみません」
「なに、心配しなくていいさ。今の私には時間が有り余って仕方ない!」
「ご謙遜を」

 オールマイトはニカッ、と白い歯を見せて笑う。顔のあちこちに皺が刻まれた立派なお爺さまな筈なのに、現役時代を彷彿させるようなエネルギーに満ちていた。

「緑谷くんからあらかた事情は聞いてるよ。……ステインの事についてだね」
「はい。緑谷さんにも道端で偶々会っただけなのに無理を言ってしまって、申し訳ありません。……でも、どうしても知りたいんです、あの人の、最期を」
「……君は……過去に、彼に命を救われたと言っていたね」

 私はしっかりと頷く。信じてもらえるなんて思っていないけれど、この少しの時間を勝ち取るためなら、証明できるものはなんでもやる。嘘発見器にかけてもらってもかまわないし、なんかの保証人になれと言われても二つ返事で受け入れてやる──そんな覚悟は、オールマイトの「私と一緒だ」という言葉を前に霧散してしまった。

「一緒……?」
「ここだけの話だけどね。彼が投獄されていたタルタロスから情報を確保し、それを私たちに流してくれなければ、あの勝利には繋がっていなかったろう」
「……そんなことを……」
「……それに、私自身も。彼に大事なことを気付かされた」
「大事なこと……」

 それから、少しだけ聞いた。
 ステインさんがオールマイトになにをしたのか。なにを伝えたのか……ラブレターについてはあまり知りたくなかったけれど、彼の信念に殉じた行為が、今の平和に繋がっていたと知れただけで嬉しかった。
 そして、カメラでは映しきれなかった、その最期も。

「……すまない」
「えっ、いや!なんで謝るんですか!」
「君が悲しい顔をしていたからね」
「……いえ、……そう、ですね。でも、正直……私は、あの人が今も生きている未来を……想像できませんでした」
「……それは……」

 ヒーロー40名殺傷犯。
 それが彼のもうひとつの名前だ。忘れてはいけない罪禍だ。“今”では無く、“過去”とするべきひとなのだ。そして彼が"そう"ある以上、その名前に相応しい末路を迎えるだろうと確信していた。私を救ったあの人は、正しい社会で生きる事を選択しないだろうと。オールマイトの表情を見るに、間違ってはいないみたいだ。

「世間にはステインが死んだとだけ公表されていて、どうして死柄木だけ取り沙汰されて詳しく語られないのか疑問でした」
「内容が内容だし、ステインのシンパはそれなりに残っていたからね。それに……私自身、センセーショナルに取り上げるのは避けたかった」
「……」
「だから……こうして君に伝えられたことが、一番良かったのだと思う」

 桜の花びらが舞う。
 うららかな陽の光。遠い遠い地から続く春風が、私の頬を撫でた。私たちはお互い合図も出さず、同時にベンチから立ち上がる。まだまだ聞きたいことが沢山あるような、もうこれで充分なような、不思議な気持ちのまま向かい合った。こうしてオールマイトと握手する未来が来るなんて、いつかの私が聞いたら、どう思うだろう。

「今日は本当にありがとうございました、どうか緑谷さんにも感謝をお伝えいただければ……」
「いや、私の方こそ……ありがとう。吉田先生にもよろしく」
「一介の新米看護師に!?」
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