スモーキクォーツ


 ヒーロー?


 今、この小娘は自分を──このステインを、なんと呼んだ?

 こともあろうに、ヒーローと?


「お前は──なんだ?」


 最早怒りという感情すら湧かず、ステインはまるで異星人でも見るかのような目つきで、無様にへたり込む少女を見た。少女は一見ひと昔前の、今時フィクションでしか見ないような奴隷の風貌をしていてどこもかしこもボロボロだ。そして臭い。不衛生の極みだった。呆然としていた少女は、ハッとしてごしごしと目に溜まっていた涙を拭う。涙がみるみるうちに固まり、輝きを放つ小さな粒になって地面へ落ちた。


「わた、私、は…宝遣輝石といいます。」


 そう名乗った少女──輝石は、ぺこりと頭を下げた。







「どこから来た?家は?親類は?何故お前はこんな奴らに追われている?」

 ステインはまるで迷子でも拾ったような感覚を覚えていた──いや、拾ってはいないけれど。偶々救けてしまっただけだけれども。少女の様子を見ればどれだけ正確な解答が得られるか分かったものではないが、とりあえずステインは基本的な質問を投げかける。輝石はステインの一挙一動にびくびくしながらも答えた。

「こ、ここからもっと上に……あ、アジト?があります。私はそこから……逃げてきました。家は……わ、分からないです。しんるい……って、お父さんとお母さんの事でいいんでしょうか」
「ああ」
「……分かりません。………殺されちゃった、かも。この人たちは、逃げたら、追いかけて来ました」

 輝石はステインの足元に転がるまだあたたかな血が流れている死体を見てそう言った。ステインは死体には目もくれず、踏み荒らされた道に転がる無数の小石からひとつ拾う。鮮血のように赤々としたそれは、木漏れ日に反射してキラキラと光っている。これは"個性"による結果なのだろうが、一体何なのだろう。武器には見えない。

「……おい、小娘」
「た、宝遣輝石です」
「……ハァ………宝遣。これはなんだ」

 ステインは輝石の方まで近づき、目の前に赤い小石を見せる。輝石は怯えていたが、それを見ると青白くなっていた顔は何事も無かったかのように戻り、普段と変わらない、当然の事実を話すような口調で言った。


「宝石です」


 ……宝石?
 これが?ステインは宝石というものを直接、肉眼で見ることが殆ど無かったがゆえに、自身の手に収まる石をまたじろじろと見直すが実感が全く湧かなかった。店で売られているような形を整えられ研磨されたカタチを想像しているからだろうか……原石というべきだろうか。無雑作でゴツゴツとしたそれは、しかし宝石だと聞くとそれとなく有り難みが増すような気がする。

「お前の"個性"か?」
「は、はい。私の涙は色んな宝石に変わります。それはガーネットです。これはサファイアで、あれはタンザナイト。」
「ここにある石全部が?」
「はい。…あ、ダイヤモンドだ。」

 珍しい、と呑気に呟いて輝石はステインの足元に転がる一際輝く石を拾った。この少女の周囲だけではない。輝石が逃げてきた道全てに宝石が散りばめられているかもしれない。それら全て集めたらどれほどの価値になるのか、ステインには到底測りかねる。
 だがなるほど、この少女が追われる理由も、囚われていた理由も察しがついた。涙が宝石になる"個性"……裏社会にとっては喉から手が欲しい程有益な"個性"だろう。金のなる木、金の卵を産むガチョウ。宝石を生む少女。……ボロ切れのような服装や、手入れのされていない髪。顔や手足に残る青痣を見ると、当たり前だが、良い待遇ではなかったようだ。 少女はステインの視線に気づくと途端に怯えた表情になってその理由を必死に考えていたが、すぐにはっとして足元に転がる宝石を手に一杯入るぐらい取り、ステインに差し出した。ステインは気づいていないが、その中には小ぶりのダイヤモンドもいくつか入っていた。

「あの……本当に、あ、ありがとうございました。これ…お礼です。売ったら一回分のお仕事の給料分にはなると…思います」
「……給料?」
「は、はい。ヒーローにも、お給料…あるんですよね?だから…」


 給料。ヒーローに給料か、報酬か、見返りか。やせ細った少女が差し出す宝石を受け取るのが正しい姿か!相変わらずこの社会は歪んでいる、と。ステインは表情を険しくした。輝石はステインがあからさまに不機嫌になったのを察して思わず手を引く。

「ハァ…そんなものは必要ない。ヒーローが見返りなど求めるのはあってはならない。」
「えっ…でも、ヒーローは仕事で…」
「俺はヒーローではない」

 あんな穢れたモノではない。
 ステインは吐き捨てるように言った。輝石は何がなんだか分からないようだが、何となく宝石を報酬にするのは得策ではないと思い、両手いっぱいにかき集めたそれらを地面に捨てた。

「それより……お前は早く逃げろ。ハァ……警察か………ヒーローにでも助けを仰げば追手もお前の事を諦めるかもしれん」
「あ、あの、それなんですけど…」

 ステインの鋭い目線に、輝石は気まずそうに視線を泳がせる。心なしか自身の足首を見ているようだ。

「あ、足を挫いてしまって…あの………できれば…その……運んでもらえると…」

 輝石は申し訳なさから言葉がしりすぼみになり、ステインは今日一番大きなため息をついた。







 とは言ったものの、現在絶賛全国指名手配中の敵であるステインが警察までこの少女を送り届ける訳にもいかない。だからといって、じゃあなと冷たく置いていく気にも、どうしてか、ステインはならなかった。
 ではどうするべきか。ステインは色々と考えた挙句、それなりに回復すれば歩けるだろうと踏んだ。いや、そうなってくれなければ困る。回復できなければ今度こそ置いていこうと思いながら、雨の中捨てられた子犬のように切ない目をした輝石を抱きかかえ(余談ではあるがステインは背中に刀を背負っている為、俗に言うお姫様抱っこといわれる方法をとっている)、幸いにも近くに流れている川へと向かった。流石と言うべきか、水は澄んでいて清潔そうだ。

「取り敢えず冷やせ。」
「は、はい。」

 腰が落ち着けるような岩まで運び、輝石を降ろす。輝石は水をすくって赤く腫れ上がった足首にかけた。応急処置にも満たない処置だが、まあないよりはマシだろう。本当は布などに濡らして縛った方がいいのだろうが…ステインは清潔なハンカチなど持ってはいないし、着の身着のままで出て行ったらしい輝石にそんな物があるとは思えなかった。
 ステインは周囲を見渡す。今の所追手の姿はない。男の遺体からスマホを拝借したが、やはり厳重にロックが掛かっていた。あの女はどうせパスコードを知らないのでその組織の内情は知れないが、緊急時の電話は出来るようだ。……もっとも、こんな森の中だ。画面は圏外のマークを示していた。こんなマーク久しぶりに見たが、今時森の中とはいえ電波は通ってそうだが……。

「具合はどうだ」
「は、はい。マシになったと思います」
「歩けるか」
「歩けは……します。」

 早くは歩けないということか。まぁ分かってはいた事だがステインは今日何度目かもわからないため息をつく。もたもたしていたらそれだけこの娘が逃げきれる可能性が低くなる。このまま夜を迎えればその可能性は最早ゼロに等しくなるだろう……今日中にこの森を脱出した方がいい。適当な交番にか、ヒーローにでも引き合わせるよう誘導すれば、輝石の身の安全は確保される。
 ステインは輝石にそう伝えようとして、ぴたりと動きを止めた。


 俺は、こいつを無事に逃がそうと、救けようと思っているのか?
 ……何の関係もない、こんな小娘を?


 そう、ステインが自分の行動に疑問を持った瞬間、背に広がる森──より詳しくいうならば、輝石がアジトと指差した方面の草むらが僅かに揺れた。ガサリと草木の擦れる音が聞こえる。ステインはすぐさま刀を抜き、ナイフに手をかけた。輝石は反射的に立ち上がったが、足が痛むようで表情を歪ませた。

「ハァ……宝遣。お前は何処かに隠れていろ。追手かもしれん。」
「えっ、で、でも、貴方はどうするんですか」

 輝石の問いに、ステインは目を閉じて少し考える。……手のひら一杯の宝石を差し出した少女の顔が、目に涙を浮かべるあの姿が、浮かんで消えていった。

「……決まっている。追手を始末する。」


 ステインは低い、唸るような、だがどこか──すこしだけ、優しさを感じるような声で言った。


「お前を、助けてやる」
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