02


「それがどうした」



誰かの声がする。
救けてくれた男の声がする。
殺人鬼が、ステインが、過呼吸になってとても動ける筈ではない筈なのに、確かに立ち上がって、輝石を、誰でもない宝遣輝石の目を見据えている。金を生み出す道具としてではない。
1人の人間として。


「お前が両親を殺した。だがそれがどうした?何故それがお前を檻に閉じ込める理由になる?何故お前が死ぬまで搾取される原因になる?勘違いをするな。お前が殺人を犯した事と、こいつらは無縁だ。何の関係もない。ただお前が犯した罪につけこんでお前の未来を奪っただけにすぎない!」


ステインは告げる。
輝石の罪は無関係だと。
この男達のいるところへ戻る事は、何の罪滅ぼしにもならないと。
縛られる必要など、ないことを。
私を救けた殺人鬼はーーー『敵』は、言う。
ステインはなおも言おうとしたが、突然膝をつき、呼吸を更に荒くし始めた。男が、酸素濃度をより下げたのだ。

「うるさい!それこそお前は無関係だろうが、ステイン!一々こっちの事情に、口を挟むなよ!」
「ーーステインさん!」
「黙れ!」

やけに取り乱した様子の男が、輝石を殴る。歯が折れる感覚を覚えて、輝石の全身を恐怖が襲う。足が震え、呼吸が乱れた。私を見るその目が、全てを縛りつけている。怖い、怖い、怖い。この男から、逃れられる気がしない。逃げても逃げても追いかけて、その目でまた私を痛めつける。きっとそうだ。

「ーー大体、お前は何故そこまでこいつに関わろうとする!こいつは取るに足らない、そこら辺にいるやつだろうが!お前が救ける理由なんてない!」
「…………ハ、いいや………それは、ある」

今にも倒れそうなのに。
今にもその命は消えてしまいそうなのに。
ステインは、心底愉快そうに口角を上げた。
滑稽なものを見るように、あるいは、自分のことを嘲笑っているかのように。
だが、その瞳は、その一瞬だけは何故か、濁ってはいなかった。




「救けてと、言われたからだ」




銃声の音がなる。
ステインが敵から奪った一丁の銃が、銃弾が、男の腹を貫いた。
貫いた腹部からは鮮血が溢れ、赤いスーツをなおも染め上げていく。
男は苦痛に顔を歪めた、その拍子に"個性"の発動が切れる。
ステインは大きく息を吸い、立ち上がった。
月光に照らされたかの殺人鬼の姿は、輝石にとって誰に代わる事ができない、ただ1人の『ヒーロー』だった。



「選べ!輝石!!」



「お前はまた、あの地獄へ戻り、こいつらに搾り取られて死ぬのか!」



「それとも俺に救けられ、罪を償う為の地獄を生きるのか!」



「お前が選べ!!輝石!!」




足の震えも、乱れた呼吸も、頬の痛みも、男への恐怖も、絶望も、いつの間にか何もかも全てが消えていた。
あの男の影が。手が。笑みが消えていく。
ガラスのように、割れていく。
世界には輝石とあの殺人鬼しかいない。
いや、輝石の世界には、輝石しかいないのだ。
全てが輝石の世界なのだ。
決めるのは、私なのだ。
私はーーー決める。
私の知り得ない未来を。
私の想像もつかない、私の世界の『在り方』を。



「救けて、ください!!私は、『あの』地獄には戻りません!」



輝石は叫んだ。
心の内を、自分の本音を。
未来を、選択した。

すると、彼女の流した涙が、きらきらと光る宝石が、その燃えるような想いに呼応するように、四方に弾け飛んだ。弾丸のようなそれらは、男の周りにいた手下達の身体を次々と正確に、貫いていく。いくつものガラスが乱暴に割れるような音に誰もが気を取られた、その一瞬の隙に、ステインが即座に男の懐へと駆ける。

背の太刀を抜いた。刃こぼれの激しい、ボロボロのその刀は、まるで自分を表しているようにも思えた。そして、男の"個性"が発動するよりもずっと、ずっと疾く、ステインは一太刀の元に、その男の頸をーー斬り伏せた。

「ーーー輝石!」

ステインが手を伸ばす。
立ち尽くした輝石に。
地獄に囚われていた、私に。
輝石はーーその手を、その、血に塗れた手を、取る。
ステインは輝石の手を彼の方へ引き寄せ、抱きかかえると身体を貫かれて悶絶し、ボスの呆気ない死に様に呆然としている手下達の影を縫うように、路地を抜け、遠くに見えるビルの向こうまで走り去っていった。








空が暁色に染まる。
もうすぐ、新しい日がくる。
何年振りの朝日だろう、と輝石は廃ビルの屋上で、空を見上げていた。
空は変わらずいる。
輝石がまだ幼かった頃と同じように、美しいままでいる。
泣きたくなるほどに、きれいなままだ。



「………追手の気配はない、か。所詮お前の宝石で喰い繋んできたような組織だ。統率がお粗末だな」

ステインが姿を現わす。もう身体はボロボロで、とても満足に動ける筈もないのに、それでもまだこうやって自分の身を案じていてくれている事に、輝石の胸中には申し訳なさと、少しの、嬉しさがあった。

私を救けてくれたヒーロー。
私を初めて、人として見てくれた人。
けれど、彼はーーステインは、ヒーローではない。
今、ここでステインと別れてしまえば、きっともう会うことはないだろう。
輝石が真っ当に生きていくと誓った限り。

罪を償う輝石の人生に、彼はもう出てきてはくれないのだ。


「………ステイン、さん。」
「何だ」
「……短い、間でしたが……本当に、ありがとうございました。」

輝石は頭を下げる。下を向いたら、ずっと堪えてきた涙がまた落ちてしまいそうで、喉の奥が震えていた。ステインは「ああ」と短く言うだけに留まる。それが嬉しくもあり、悔しくもあった。

「私、ちゃんと警察に話して、これから……罪を償う為に生きます。私がお父さんとお母さんを殺した事から、逃げないように………」
「……ああ。そうだな」
「………はい、けど………けど」



「私が、貴方と一緒に生きていくと決めたら、貴方は私の、隣にいてくれますか?」



貴方と一緒に。

貴方と一緒に生きていきたい。

この罪と向き合い、償っていくと決めた。
だがその未来にはもう、ステインはいない。
救けてはくれない。側にいてもくれない。
このたった1日の逃避行が、未来永劫ステインと輝石を繋ぐ唯一の出来事であった事を、輝石も、ステインも分かっていた。
なら、貴方の側にいたい。
貴方の隣で、死にたい。
けれど。


「駄目だ。俺はお前と一緒にはいけない」


ステインはーー拒絶した。
彼女の願いを、切って捨てた。
……それは、輝石にも分かっていた。

「お前をもうこれ以上、地獄に閉じ込めることはできない。俺とこれ以上共にいたら、今度こそ救われない。それは、俺の望んだ事じゃあない。」

ずるい。
私に選択するという奇跡を与えておいて、最も望んでいる選択肢の一つを、貴方は切り捨ててしまった。この応えも、望んでいた事なのに、輝石は、涙が溢れて止まらなかった。身体はどこも痛く感じないのに、ただ心だけが、切り刻まれたように、痛かった。床に落ちた涙が、朝焼けに照らされ、宝石に変わる。あの日の奇跡が。想いが。全て零れ落ちていくようだった。

「……ハァ…輝石、俺は、何かを変える事にしか意味がないと言ったな。それがお前だ。闇の世界に引きずり込まれたお前を、救ける事が。陽の光の元で笑うお前に戻してやることが、意味のあることだった。だが、俺と共にいてしまっては、何も変わらない。そんなものに、価値はない。」
「………だから、私は、貴方と決別しなきゃ、いけないんですね。私は…………」

言いたいこと山ほどあった。
ずるいと怒りたかった。
今すぐに抱きついて、離さないでと叫びたかった。抱きしめてと、涙ながらに訴えたかった。

貴方の隣に。

貴方の側に。


貴方と一緒に、生きてーーーいけない。



……なら、せめて。


輝石は涙を拭い、足元に転がる宝石の、いっとう大きく、美しく輝く宝石を手にとって、ステインに差し出した。眩しく煌めくそれがダイヤモンドであることは、ステインにも分かった。

「これを、持っていてくれませんか」
「ーーだが、これは」
「給料とかじゃ、ありません。私が持っていてほしいんです。いつか困った時の為の……お守りです。だから………」



「忘れないでください。私が、私が貴方に救けられたことを。私が………貴方を、貴方のことを、好きだったことを」



輝石はそれを半ば強引にステインのポケットにしまい込む。ステインは尚も何か言いたげにしていたが、止めもせずに輝石のさせるがままにしているのを見て、輝石はこの世のどんな宝石よりも綺麗に微笑み、ステインに背を向けた。


もう、振り向かないように。
この気持ちが揺らがないように。
貴方とちゃんと、別れることができるように。






「前を向いて歩け。振り向くな。お前の後ろには、何もない」






振り返ると、もうそこには何もいなかった。
人の気配も、痕跡も、跡形なく消えていた。
この、たった1日の逃避行は、朝日が昇る共に終焉を迎えた。
そこには少女しかいない。
たった1人で地獄に囚われていた誰よりも美しい少女を救けた、世にも恐ろしい殺人鬼の姿など、どこにもいなかった。





少女は歩き出す。


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