01


血と内臓。
脳漿と生皮。
たった2人だけ。2人の人間が死んだだけなのに、その部屋はまるで何十人も死んだかのように紅く紅く染まっていた。


私はそこで1人立ち尽くしている。


悲しむでも喜ぶでもなく、ただ視界を凄惨な肉と血に彩られたままで、私は立っている。
私の足元に転がる無数の宝石たちも、血に染まって元の煌めく美しさが失くなっていた。


なぜ?どうして?

なぜ死んでいるのか、私には分からなかった。
こんな無惨な死体を、一体誰がつくってしまったのだろう。こんな非道い事を、一体誰がやってしまったのだろう。


この部屋と同じくらい鮮烈な血の色をした男が入ってくるまで、私はそんな体力はとうに尽きている筈なのに、倒れる事も座る事も寝る事も逃げる事もなく、ただそこに居た。





じきに、その記憶も失くした。









「駄目じゃないか。おい、駄目だろう、輝石ちゃん!逃げ出しちゃ!」


 スーツ姿の男は心底楽しそうに、嬉しそうに、輝石に言う。輝石は浅くなる呼吸に耐えながら、その男を見上げた。敵意の念など、持ち合わせられる筈もない。
 搾取される家畜の目。
 恐怖と服従。
 細い身体に残されたあらゆる傷が、痛みが、この男に逆らう事を許さない。そういう風に、教育された。男は背後に待機させている手下の1人に指示をすると、手下は酸素ボンベを背負い、それと繋がったマスクをして力なく倒れる輝石を男の方へ引きずり込んだ。息が楽になる。酸素濃度が一定に戻ったのだ。深く深呼吸をする輝石を、男は微笑みながら眺めてーー割れ物に触れるように、その頬を殴った。

「げぼっ……」
「余計な手を煩わせるんじゃないよ」

 殴られた頬は次第に赤黒くなっていき、もう慣れてしまった痛みがじんじんと広がっていく。輝石は反射的に目から涙を流した。大粒の涙は紅い宝石になって、冷たいコンクリートの上に落ちる。きらきらと皮肉げに輝く涙を見て、男は満足げに輝石の頭を撫でた。涙を流せば。宝石を生めば、暴力は最小限に済む。耐えなければ、必要以上に苦しまなくて済む。従順にしていれば……。輝石は俯く。口内が血の味に満たされながらも、安堵した。………した筈だ。




 ガシャン、と音がした。


 同じく倒れているステインが、僅かに起き上がった音だった。全身は震えていて、息は見てるこちらが苦しいほどに荒いままだったが、その濁った双眸は確かに男を捉えている。底なしの憤怒に染まった瞳は、誰の為に怒っているのか、輝石には分からなかった。何故立ち上がるのすら、分からなかった。

「あァ、貴方の事を忘れてました!ステインさん、この子の我儘に付き合って貰ってすみません。」


 ステイン。

 輝石は、初めて地に伏している男の名前を知った。自分を救けた、世界でたった1人の男の名を知った。ステインは呼吸するのに精一杯で、にこにこと人当たりの良い笑顔を浮かべる男に応えようとしない。

「なにぶん俺は貴方のファンでね、貴方のした偉業は尊敬しているんですよ」
「………ハァ…………貴様らに……敬われようと…………意味は、ない……」

 男が濃度を調節したからか、ステインは今だ安定していない呼吸で、応える。男は益々嬉しそうに口角を上げた。
 その目を、輝石は知っている。その目の持つ意味を、嫌というほどに分かりきっている。


(殺すつもりだ)


 この男に見逃すという選択肢はない。
 自分の存在を知られてしまったのだ、目撃者も共犯者も諸共殺す。
 息を吸うように殺す。
 ぼろ雑巾のように痛ぶって殺す。
 嬲って嬲って、愛情を込めて、無惨に殺す。そういう男だ。そういう性格だ。

 そう確信した途端、輝石はかつてない恐怖に襲われた。初めて殴られた時のようなーーいや、もしかしたらそれ以上の恐怖だった。
自分がこれからされる屈辱に恐れているのではない。

 この人が、死んでしまう。


 ステインさんが、死んでしまう。


 私を救けてくれたヒーローが、死んでしまう。





「ーーー違います」


 輝石は恐怖に蓋をして、ぐっと力一杯押しとどめて、喉を震わせた。勇気を振り絞って、自分から発言をしたのに対して怪訝な顔をする男の顔を見る。

「わ、私が、私が悪いんです。この人は騙されただけなんです。だから、わ、私、戻りますから。もう逃げ出そうなんて考えませんから、沢山宝石を、出しますから。だから、だから。」


 このヒーローだけは、見逃して下さい。


 輝石はそう、なけなしの決意を込めて、言った。
 殴られるだろう。蹴られるだろう。それでも、それでステインが助かるなら。
 私がこれからずっと救からなくても、死ぬその時まで泣いていたとしても。
 未来永劫変わらず、あの薄暗い檻に閉じ込められたままでも!

 あの人が救かるならーーそれでいいと。

輝石は言った。
初めて、自分から、自分が犠牲になる事を望んだ。



だが。



 男は笑った。人好きな笑みからは想像も付かぬほどに、下卑た笑い声をあげた。手下達も何人か笑い出す。路地裏に響くその笑い声が嘲笑の声であることは、輝石にもはっきりと分かった。男は醜く歪んだ笑い顔のまま、こんなに可笑しいものはないといった声色で、話す。

「ははは!お前、お前!この男を、こいつを『ヒーロー』だって言ったのか!?おいおい!嘘だろ、傑作だな、おい!」

 輝石は男の言っている事が分からなかった。何故こんなにも面白がっているのか分からなかった。自分が愚かしい間違いを犯している事が分からなかった。思わず「なにが、」と僅かに怒りを孕んだ声が口に出る。



「何が?ああ、お前、だってこいつは、ステインはヒーローから最も遠い、ヒーローの敵。世にも恐ろしい殺人鬼に決まってるからじゃないか」



 男はこちらを睨みつけるステインを指差して、まるで道化師のショーを見ているかのように言った。

 殺人鬼?
 ヒーローの敵?
 そんな、そんな事は。

「だって、私を」
「おい、お前はまさか、こいつを『騙して』おいて、『私を救ってくれた』とかいう世迷言を履くつもりなのか?救けてもらったなんて、殺人鬼にそんな感情あるわけがないだろうが!」

 そう言って、男は愉快そうに笑って輝石を殴る。もう殴られた側をご丁寧に。だが輝石は殴られた痛みなど感じなかった。唇から血が滴れても、涙は出なかった。それ以上に、信じられなかった。

 だって。救けてくれるって。
 敵から守るって。
 この人は言ったのに。

 ステインと目が合う。彼は何か言おうとしていたが、男が濃度をまた狂わせたのだろう。その口からは一言も発せられることはなかった。

「結局こいつも、お前を利用しようとしてたんじゃないのか?いや、きっとそうだ。この男も、俺たちと同じ穴のムジナだ。根本は一緒さ。壊したいのさ。殺したいのさ。」
「ちーー違う!違います!あの人は………貴方たちと一緒じゃない!」

 嘆願のように、悲鳴のように輝石は反論する。違うものか。私が宝石をあげようとしても、1つも貰うことなく突っぱねたあの人と同じなものか。私の、私のーーーー!

「私のお父さんとお母さんを殺した貴方たちと同じに、しないで…!」

その声は怒りに近かった。
あの日。
血に染まった部屋にいたのはこの男だった。
恍惚に染まった笑みをした、この男が居た。
そうだ。殺したのはお前だ。
何もかも私から奪ったのは、お前だ!

怒りを露わにして、輝石は叫ぶ。痛みは感じない。ただ、身体中が熱かった。怒るという感情の起伏に耐えられないほど、熱く震えていた。

それも、その怒りでさえ、男は嘲笑の声でかき消してしまった。

「違う!違うね!いつかは明かそうと思ってた!今度また愚行に走ろうとしたら言おうとおもっていたんだが、まァいいさ!なあ!」



「両親を殺したのはお前だよ、輝石!」




いま、なんていった?
この男は、なんて


私が、殺した?


「確かに俺は殺すつもりだった。ああ、殺すつもりだったさ!あいつらは俺たちに喧嘩を売った。その償いとしてな。だがな、もう死んでた。死んでたんだよ!俺がお前の両親を殺そうとした時には!吃驚したね。肉塊の中で、お前ただ1人だけが立っていたのを見た時は!なにをどうやったのかは分からないがーーお前の両親を殺したのは、他ならぬお前なんだよ」

違う。
違う、違う、違う………。
だって、でも、どうやって。否定の言葉は喉までせり上がってくる。だが、それは絶対に口から吐き出されはしなかった。頭の中が掻き乱されている。記憶が混濁し、映像が交錯する。


暴力と罵倒。ナイフと血。涙と宝石。

あの光景。映像。現実。


違う、『それ』をしたのは、あの男達だった筈だ。
そこに私の両親はーーーいないーーー筈、なのに。


「あ、あ………」

言葉の残骸が、残りカスが輝石の口から漏れる。感情が全て殺し尽くされたような表情からはとめどなく涙が溢れていた。男は地面に落ちた色とりどりの宝石を見て、うっとりと目を細める。

「そうだ……お前は大罪人なんだよ。親を殺してしまったんだ。たとえどんな親であろうと、殺しちゃあ駄目なんだ。お前は救けられはしないよ。そんな資格もない。罪を償うべきだ。幸せになっちゃいけないんだよ」

男は優しく輝石の頭を撫でる。目の前の少女を殴った拳で、割れ物でも扱うかのように。輝石は今だ涙を止めないまま、男の笑顔を見ていた。結局は私も、この男と同じだったのだ。足元に転がる宝石は、きらきらと光る涙は、罪滅ぼしの為のものだった。

幸せになっちゃいけない。
救かってはいけない。
人を殺したから。
罪を犯したから。

許されては、いけない。

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