人は誰しも決して言えない秘密を持っているものである。
アナザー・ループ・ワールド(03)
――パコーン、パコーン、
テニスコートからボールを打ち返す音が耳によく響く。
(あぁ、)
手に汗握り、ごくりと喉を鳴らす。
来て、しまった。
私の目の前にはいつも遠くで見ていたテニスコートが広がる。
その周りにはフェンスを挟んで女子生徒がたくさん群がっていた。
「すご、い…」
人混みが苦手な私は、立海に入って2年目になるがテニスコートに近付いた事はこれまで一度もなかった。
テニス部は何故か各学年のイケメンばかりをわざと集めてるんじゃないかと思わせるような派手さで、私には一生縁の無い領域だと思っていた。
まさかテニスコートに近付く日がくるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
「キャーッ」
「幸村くーんっ素敵ーっ」
「丸井くん可愛いー!」
「キャーッ」
「……」
熱狂的な女子生徒からハートが乱舞する幻覚が見えるのは気のせいだと思いたい。
(ダ、ダメだ、フェンスには近付けない…!)
そう判断した私はテニスコートから少し離れている木の下で柳君を待つことにした。此処ならテニスコートからも多少見えるし柳君も気付いてくれるだろう。
パコーン、パコーン、
ザア…、
木の幹に寄り掛かり、ボールの音と風の音を聞きながらテニスコートを眺める。
奈緒子ちゃんは3年の先輩と話ながらノートに何かを書き込んでいる。
さっき図書室で見た幸村君は髪が銀髪の人と打ち合いをしていた。
「(派手な頭の人…)」
そこから目を横にずらすと何やら話している真田君を発見。
彼とは去年クラスが一緒だったので喋った記憶はあまりないが、名前と顔は覚えている。(だって同い年に見えないんだもん…)
で、その真田君と喋っているのが
「(…柳、君)」
彼らは少し会話をし、コートに入り打ち合いを始めた。
「……、」
逃げれば、よかった。
来たくなかった、
あれ以上、追求されたくなかった。
でも、
何故か来てしまった。
はぁ、と溜息がもれる。
勢いとはいえ、大丈夫と言ってしまったからには行かないわけにはいかない。何とか誤魔化すしかない。
あぁ、私に逃げる度胸があれば…
憂鬱な気持ちのまま再び視線を柳君に戻すと彼はもう真田君と打ち合いはしていなかった。
「(あれ?柳君どこに行ったんだろう…)」
キョロキョロと目線を動かして探すと、1番奥にあるテニスコートに彼の後ろ姿を発見した。何やら先輩らしき人とネットを挟んで会話をしているようだった。
これから打ち合いでもするのだろう。柳君の表情は後ろ姿で見えないが、会話をしている先輩は優しそうな、落ち着いた笑顔を柳君に向けていた。
優しそうな人、そう思ったのもつかの間。彼がこちらに背を向けた瞬間全身の血の気が引いた。
「なっ、に…アレは…っ」
黒と赤が混じり合ったような大きな靄が彼の背中全体にこびりつくように覆っていたのだ。
私は思わず身を乗り出した。
「…っ」
なんてモノを憑けているの彼は…!
朝方、奈緒子ちゃんに憑いていたモノとは比べものにならない。
それによく見ると大きな靄は人の形をしていて鋭い爪はしっかり彼にしがみつき、頭の、額の辺りには太い角らしきものが見えた。
危険だ、
瞬時にそう思った。
頭の中で警報機が鳴りやまない。
冷や汗が頬をつたう。
乱れた気持ちを抑えるように自然と額に手を当て、思う事はひとつ。
(アレは…ッ、)
――さりげなく柳君がこちらの様子を伺っていたのに私は気付かなかった。
「木ノ下」
「柳君…、」
部活が終わり、ユニフォームからすでに制服に着替えた柳君が目の前に立っていた。
「すまない、今日はいつもより早く終わる予定だったんだが少し遅れた」
「あ…ううん、大丈夫だから…気にしないで」
私は半ば無理矢理笑顔を作った。
「すまない…、では帰りながら話そう」
「うん…」
頷き二人で並んで歩くが私はすでにさっき見たモノで頭がいっぱいだった。
「木ノ下」
「…はい」
「さっきの、図書室での話の続きだが…」
「あ…うん、」
すっかり忘れていた。あぁ、どうやってごまかそう…。
私は内心頭を抱えた。
「俺は木ノ下がひとりで山田に向かって何か言いながら手を動かしてるのを確かに見た」
「だ、だから、それはさっきも言ったけど多分柳君の見、」
「見間違い、だとお前は言った」
わざと覆い被さるように柳君に言われ私は思わずうっ、と口をつぐんだ。
「では遠回しな言い方はもうやめよう」
柳君はぴたっと歩みを止め、私もつられて止まると身長の高い柳君をきょとんと見上げる形となった。
「柳君…?」
「お前は朝、誰にも気付かれないよう山田の肩に憑いていた黒い靄を、何らかの方法で祓っていたのではないか?」
「っ!」
息を飲んだ。
目を大きく見開いて目の前の柳君を見た。
――ザアッ、
強い風が私達二人の間を駆け抜けた。まるでそこだけ時間が止まったような感覚に襲われた。
「え…?」
何と、言った?
彼は今、何と言ったんだ。
黒い靄?私の聞き間違い?いや、彼は確かにそう言った。黒い靄と。
それは普通の人には見えない『妖怪』と言われる類のモノ。
何故彼がそれを。
「や、なぎ、くん、え、何で…?」
声が震えて上手く言葉が出ない。代わりに彼がゆっくり口を開いた。
「…俺は幼い頃から周りの奴らには見えない何かがぼんやりとだが、見えていた。でも霊とは違う、何か妖怪のようなモノが」
柳君はどこか遠くをみるように私から視線をずらした。
「頻繁に見える訳ではないがふとしたときに見えたりする。狐や蛇、何かは解らないが大きなものや小さなもの、そして今日見た、山田に憑いてたような黒い靄だったり、な」
「…、それって、ほんと…に?」
震える声で尋ねる私に柳君は再び視線をこちらに戻し、射抜くように私を見つめた。
「俺の推測では、木ノ下には俺と同じように周りには見えない何か…妖怪と言われる類のものが見え、そしてそれに対処する術(すべ)を持っている。……違うか?」
「…っ…、」
人間、動揺し過ぎるとこんなにも口が回らないものなのか。
信じられない彼の告白に動揺が隠せない。
まさかこんなところに、
身内以外に自分と同じような人がいるなんて思いもしなかったのだから。
「木ノ下、」
「は、い…」
「俺はお前と同じ“部類”の人間だと思っていたんだが…違うか?」
ザア、
風が私の中を吹き抜ける。
「違わない、…です」
安心したように小さく微笑む柳君に酷くドキドキしたのは、
私と同じような人に会えた嬉しさからなのか、
変人、と不気味に思われなかったからの安心感なのか、
それとも―――。
「…木ノ下、お前に相談がある」
この時の私にはまだ何も分からなかった。
これから起こる事も、何もかも。