ただただ、
君の幸福(しあわせ)だけを
祈っている。
アナザー・ループ・ワールド(15)
「はぁ、はぁ、」
随分奥まで来た気がする。
まだ午前中で太陽も高いはずなのに此処はどうしてこう薄暗いんだ。
走る足を止め、木の幹の陰にさっと身を隠した。
そして荒くなった息を整えながら幹に背を預けるとそのままずるずるとその場に力無く腰を下ろした。
(何とか撒けたようだな…)
肩で息をしながら顔を上げると木の枝と葉だけが見えた。
木が生い茂り過ぎて空が、よく見えなかった。
(…だから昼間なのに薄暗いのか)
はぁ…、
ひとつ大きく息を吐くとそっと目をつむった。
先刻、妖怪に襲われた。
最近こちらをよく見ていた、あの妖怪だ。
白く、ひょろ長くて頭の大きな妖怪。目は大きく空洞のように真っ黒だった。
まさかお守りを無くした直後に本当にこんな“最悪”が起こるなんて思いもしなかった。
そして、斧を振り下ろされた。
体がふたつに裂かれる前に何とか避ける事が出来た。
たまたま避けた場所がテニスコートの、森とこちらとを隔てるフェンスの近くで、いつも閉ざされていたはずの扉がちょうど開いていたのでそのままこの森に逃げ込んだ。
普段決して立ち入る事のない、この森に。
そして命からがら逃げてきて今現在に至る、という訳だ。
あの妖怪は体の割に足は遅いらしく、すぐに撒けたのだがまだ油断は出来ない。
相手は人間じゃない、
『妖怪』なんだ。
体育があってよかった、
走りやすいジャージを着ていて良かった、
テニス部で日々鍛えていて良かった、
様々な偶然に感謝した。
ふとジャージのポケットに手を入れ携帯電話を取り出した。
(圏、外…?)
森の中とはいえ此処は神奈川。しかもそこまで深い山でもないし、地下でもない。学校の側の、はずなのに。
だが使えないモノは使えない。仕方がない。
(…つまり木ノ下に連絡が出来ない、……イコール、ひとりで何とかするしかない…、という事か)
――俺がたったひとりでアレを何とか出来るのか?
いや、そんな事を考えるよりもとりあえず今はこの森を抜け、学校に戻らなければ。今までもそうだ、あの妖怪は決して学校の建物の中には入ってこなかった。
「(なんとか校舎に入れれば、助かる)」
こんな場所でひとり、死にたくなどない。
(冷静に…)
冷静に、なれ。
とにかく落ち着かなければ。
そう自分にしっかり言い聞かせるとおもむろに携帯を再び開き、電話帳の『木ノ下りん』の名前を呼び出すと、それにすがるようにきつく携帯を握りしめた。
「(木ノ下、)」
落ち着け、冷静に考えろ。
そもそも何故俺は此処にいる?
それはあの妖怪に襲われて逃げてきたからだ。
でも何でこんな森に。
それはたまたま襲われて避けた場所のフェンスの扉が開いてたから。
普段は鍵が掛かっていて開いていないのに?
それが、開いていた?
「普段は開いてない、のに…?」
そもそもあのフェンスの鍵は職員室に保管されていて誰も開けられるはずはない。しかも何もない森だ。用も無ければ何もない。誰も開けるはずがない。
それに何年も開けられなかった為にあの鍵穴は錆び付いていた。そう簡単に開けられるような代物じゃない。
しかも今日に限って“たまたま”開いているなんて事があるわけないじゃないか。
よくよく考えればあの妖怪が俺を襲った時、グランド側に立たれていて避けるにはどうしてもフェンスの方向へ行くしかなかった。
そして追い詰められればその更に奥へ逃げてしまうのは人間なら当たり前の事だ。それは人間の本能だ。いや、この場合むしろ動物も一緒だ。
という事は普段閉まっているフェンスの扉が開いていたのはあの妖怪の仕業なのか?
もしかすると俺は、あの妖怪によって
「故意に…、この森へ誘導された?」
……いや、まさか。
でもそう考えると色々とつじつまが合ってくる。
それにあの妖怪、俺に斧を振り下ろす前に何かを言っていた。
『…イ…シ、ハ……ドコ、ダ』
「イ、シ、ハ…」
俺ははっとした。
“石は、何処だ”
多分、奴はそう言った。
だが
「石…?」
石って何だ。
そもそも何故俺に聞く。
俺は何も知らない。
そう考えていると背後からガサガサッと草木の擦れる音がし、ドキリと心臓が跳ね上がった。
(もう来たか…)
『…イ、シ、…ドコダ…ヨコ、セ…』
だから石ってなんだ。
俺は再度深呼吸を大きくした。
そして立ち上がると妖怪の気配がする背後に意識を集中させた。
こんな処で殺されてたまるか。
『ソコニ、イル……、ワカッ、テル』
「なっ?!」
その瞬間ヒュッと鋭く風を切るような音がした。
と思ったのもつかの間、俺の頭のすぐ上の幹がズルッと斜めに動いた。
「(嘘だろ…!?)」
ズズズ…、ズシン…!
気付いたらさっきまで背にしていた立派な木はもはやそこにはなく、俺の頭からその先の幹は土埃と共に地べたに転がっていた。
妖怪の斧によって太い木が一瞬にして真っ二つにされてしまっていたのだ。
倒れてくる木を避ける為に木から退いた俺はついに妖怪と向き合う形になってしまった。
「…仕方のない事でも、あまり真正面から見たくはなかったな」
縦に長細い…と言うか俺よりも遥かに大きい体。特にあのブラックホールのような目は何とかならないものか。
見下ろされていてあまりいい気分ではない。
真正面から向き合った感想はそれに尽きる。
妖怪はブラン、ブラン、と斧を揺らしながら顔ごとブラックホールのような目をこちらに向けた。
『イシ…、ホシイ……、イッカク、キ…』
「イッカク…キ?」
妖怪は俺を見ながら言葉を覚えたばかりの子供のような、片言の言葉をゆっくりと紡(つむ)ぎだした。
『イッカ、クキ……、…シッテル、……オマエ、モ…シッテル…ハズ……、イ…シ……、ドコ、カクシ……タ』
「“イッカクキ”って…、もしかして一角鬼の事、か…?」
一角鬼で思い浮かぶのはただひとり。
クソ生意気な、アイツだ。
『オマエ、イッカクキ……、ナカマ…。シッテル、オシエ…ロ…、イシ…ホシ、イ…ホシイ…ホシイ……』
「……なるほど、な」
多分この妖怪が言っている大まかな事はこうだろう。