「…もしもし、兄さん?」
どうなるかは、わからない。
でも私にやれる事をやろう。
アナザー・ループ・ワールド(05)
柳君とお昼を一緒に食べたその日の放課後、私は昨日柳君を待っていた木の下に再び居た。
(ほんとに八木先輩顔色が悪い…)
昨日は大きな妖怪を目の当たりにした驚きと恐怖で八木先輩の顔色まではそこまでよく見なかった。彼は遠くからでも分かるくらい青白く、クマが酷い。まるで目が窪んでいるように見える。
まさしく、死相。
まさかここまで悪いとは…。
そして彼の背中に目をやる。
思わず背筋がゾクリとした。
昨日よりも姿、形がはっきりしている靄になってる。きっと彼の生気をまた更に吸ったんだろう。
「生気を吸い取る鬼なんて初めて見たよ…」
でもこれではっきりした。もう猶予なんてものは残されていない。一刻も早く憑ている鬼を八木先輩から引き離さなければ取り返しのつかない事になる。
私はぐっと拳を作り掌を握るとテニス部の部室の裏に向かった。
大丈夫、手筈は既に整っている。
部活が終わって、部員全員が帰ったら柳君が八木先輩を部室の裏に呼び出して、
それから、始める。
陰になり、じめじめとし、
周りからの死角になり、滅多に人が来ない。
この部室裏で。
そこがこれから戦場になる。
私は拾った木の棒を御神水で清めてからガリガリと地面に陣を書き始めた。(わかり易くいうと、魔法陣みたいな)
そして、ふと空を見上げた。
「……部活が終わるまであと少し、か…」
PM6時23分
空はもう茜色に染まっていた。
「お疲れっしたー!」
私はハッとして膝に埋めてた顔をあげた。
陣を書き、余った時間で部室の壁に背をあずけ膝を抱えながらこれから起こるであろう事の“心の準備”、というものをしていた。
「また明日なー」
「お疲れー」
どうやら部活は無事終わったらしい。それを伝える部員達の声が耳に聞こえ、私はゆっくり立ち上がった。
――初夏。
現在、PM6時52分。
湿った空気が肌に纏わり付く。
空は茜色から闇色に、
だんだん暗くなりはじめていた。
「やるしか、ない」
どんなに怖くても、
やるしかない。
暫くすると大勢あったはずの部員の声は消え、足音が二つこちらに近付いてくるのがわかった。
「…柳?話ってなんだ?これから練習しなきゃなんだが…」
「すみません、手間は取らせないのでついて来て下さい」
「(きた、)」
私は反射的に声のした方に体を向けた。
「…木ノ下、すまない。少し遅くなった」
「ううん、大丈夫、だよ」
さりげなく柳君の隣にいる先輩を見ると赤黒いぼやっとした靄と先輩の肩にしがみつく鋭い爪が見えた。
「それより、もう部員さんたちは全員帰った?」
「あぁ、帰った。問題ない」
「柳? どうゆう事だ?」
多分柳君に詳しい事情もよく知らされずにきたであろう先輩は私達の会話に目をぱちくりとさせ首を傾げた。
「突然こんなところに連れ出してしまいすみません。私は柳君の同級生で、2年の木ノ下りんといいます」
「あ、あぁ…俺は八木です。それで…、俺に何か用?インハイも近いし、自主練したいからあるなら早めにお願いしたいんだけど、」
八木先輩は少し困ったように笑い私と柳君を見た。
だけどその笑顔は苛々しているように見えた。いや、実際苛々しているのだろう。
柳君が口を開いた。
「先輩、先輩は最近になって体力が大幅に落ちてますよね?それに体調もあまりよくない」
「……あぁ、そうだ。でも俺達3年の最後の大会だ。悔いを残さない為にも体力を少しでも戻すよう練習しなきゃなんだ。だから大した用がないならもう行ってもいいか?」
そう言うと先輩は私達に背を向けた。
「あ、待ってください!なるべく早く終わらせますので!それに体力が落ちた原因もここに居れば治りますから…!」
「は? それはどういう事だ」
何とか引き止め、私は用意しておいた半分以上水を張ったバケツを柳君に渡し「私が合図したら、これを後ろから思いきり先輩にかけて」と小声で指示した。
柳君は最初こそ驚いていたが「わかった」と頷いた。
柳君に先輩の後ろにいる鬼の形を成してきた靄が直に見える。あまり気分の良くない位置に待機させるのは大変申し訳ないと心が痛んだがこればかりは致し方ない…。
ごめんなさい、と心の中で柳君に謝罪すると私は先輩の前に回り込んだ。そして向き合う形になると彼の両手をそっと取った。
「え、ちょ、木ノ下さん? 何? どうしたの?」
「すみません先輩…、ちょっとこのまま、こちらに来てくれますか」
「……」
先輩の手を取ったとき、何故か柳君の眉間に皺が寄ったのが気になったが今はそれどころではない。
私は先輩の手を取ったまま、自分は後ろ向きに、転ばないように歩きながら、ある場所に誘導した。
それは彼らを待ってる間に地面に書いた大きな陣の中心。
そこに誘導すると握っていた手を離し、そのまま先輩だけを残し私は陣の外にでる。
「先輩、そこから絶対動かないで下さい。柳君もこの陣の中には入らないで」
先輩の少し後ろでバケツを持つ柳君に言うと彼は陣から一歩下がった。
「え、木ノ下さん? これは一体…」
彼は後輩達の突然の行動に困惑しているようだった。
それもそうだろう。後ろには水を張ったバケツを持つよく知った後輩。目の前には今日初めて会った後輩の女。しかも訳のわからない文字がたくさん書かれている円の中心に立たされているのだから。
「ちょ、何なんだよ二人とも…!」
「八木先輩、すみません。少し苦しいかもしれませんが我慢してください」
「え?何言って…」
「柳君、先輩に水を思いきりかけて!」
「は?!ちょっ、やめ…!!」
バシャァァアッ!
柳君は持っていたバケツの水を先輩の背中目掛け一気にかけた。
その瞬間八木先輩は「うわぁぁぁあっ!」と苦しそうに叫び声をあげ、背後にいる鬼も同じく絶叫し、先輩はその場に倒れてしまった。
それとほぼ同時。
私は掌をぴったり合わせるようにパンッと叩いた。
そしてその弾かれた音と共に青白く光る、透明な薄い壁が地面に書かれた円に沿うようにあがり、倒れる先輩の周りを囲っていた。
そして先輩に憑いていた赤黒い靄はブワッとこちらに襲い掛かるように巨大化したかと思うと一瞬にして小さく縮小し倒れる先輩の影へと隠れた。
柳君は突如現れた青白く透き通る壁と靄の一瞬の行動。その二つ同時に起こった出来事に目を見開いていた。
「……これ、は、」
「今、結界を作ったの」
「結界?これがか…」
柳君は私の傍に寄り、青白く薄く伸びる壁をまじまじと見つめた。
「柳君がさっき先輩にかけてくれた水は御神水なの。それをかけられるとだいたいの妖怪は憑いた人の体から逃げようとする。それを逃がさないように結界を張って閉じ込めたの。この地面に書いた魔法陣は結界を作る為のモノだったの」
「そう、だったのか…。」
柳君は納得するように頷くと「それで、これからどうするんだ?」と聞いてきた。
私は結界の中で倒れている先輩の影にいるモノをゆっくり視界に捕らえ、答えた。
「今から本格的に憑いている鬼を払います」
いざ、参らん