これは千秋が斑類として覚醒する以前の、俺達がまだ高校2年生だった頃の話。












「あ、蓮二。やっほー」

「ああ、精市」

突然背後から声をかけられ振り返るとそこには両手に大きな紙袋を持った精市が笑顔で立っていて、がさがさと紙袋を揺らし小走りでこちらに近付いてきた。
ちなみに精市の持つその大きな紙袋は何だとかそんな事はいちいち聞くのは不粋というものだ。

「随分貰ったな。今から部室に置きに行くのか？」

「そ。教室に置いちゃうと邪魔で授業にならないからね。蓮二は？」

「俺はさっき置きに行ってきた」

「そっか、まあしょうがないよね。今日はバレンタインなんだし」

「そうだな」

精市の言葉に俺は小さく苦笑した。

何を隠そう今日はバレンタイン。教室はおろか、今俺達が立ち話をしている廊下にすらチョコレートの甘い香りが漂っている始末。
この2月14日だけはどうしても毎年こうなってしまうのは最早仕方のない事なのかもしれない。

今まで関わりなどなかった女子からも今日だけは積極的に話しかけられる。
そして、重種にはどうしてもチョコレートが集まってしまうのもこの時期ならではだろう。
自慢ではないが現に俺も既に大量のチョコレートを貰っていた。


「そういえば蓮二は貰えた？チョコ」

「話を聞いてなかったのか、貰ったチョコならさっき俺も部室に」

「そうじゃなくて。貰えたの？…本命チョコ」

にこりと笑った精市に俺はハッと言葉を飲み込んだ。

本命チョコと言われて俺の脳裏に浮かぶのは『彼女』だけ。

…答えなどわかっているくせにそれを聞くか。


「…貰える訳などないだろう。俺と彼女はただの同級生で、ただの知り合い程度の仲だ。そういう仲では、…ない」

「そう」

「そうだ」

「でも」

「…」

「でも、何が起こるかわからないのが人生であって、2月14日という日なんじゃないかな」

俺はそう思うけど。

自信に満ちた笑みを浮かべ俺を見る精市に対して俺は多分間抜けな顔をしていただろう。

昔から精市は突然突拍子もない事を言う奴だった。


「ふふ」

「ふ…、そうだと…いいな」

精市の笑顔につられるようにして俺も苦笑した。


「じゃあ俺はそろそろ行くよ。コレ、置きに行かないと」

「ああ、また部活の時にな」



精市と別れ、また一人で廊下を歩く。

頭に浮かぶのは『彼女』の事ばかり。
俺が昔から恋い焦がれる人――。

「千秋…」


ぽつりと彼女の名前を呟くと心臓をぎゅっと鷲掴まれたような痛みがし、それと同時に足の歩みも止まってしまっていた。


彼女は…、千秋は誰かにチョコを渡したんだろうか。俺のデータでは彼女は毎年親しい女友達にしかチョコを渡さないはずだ。
心配しなくとも男にはあげないはずだ。

でももしあげていたら？

きっと俺は激しく嫉妬をするだろう。

今彼女に親しい特定の相手はいない。

でも絶対とは言い切れない。

絶対なんて、この世にはない。

もしも彼女に、そう考えるだけで不安で仕方なかった。



「――柳、くん？」



突然俺を呼ぶ声にハッとし顔を上げると目の前に俺を心配そうに見上げる千秋の顔があった。

何故、ここに――

「柳君、大丈夫？ずっと立ち止まったまま俯いてたから……体調悪いの？」

「い、いや…、そういう訳じゃない。すまない、心配かけたな」

「そう？ならいいんだけど…よかった、体調悪い訳じゃなくて」


そう言って千秋はほっとしたように笑った。

「っ」

途端にドクリと大きく脈打つ俺の心臓。

常に傍にいて欲しいと思うのにいざそういう状況になると上手く喋れない自分がもどかしかった。

彼女の前でだと、どうしても緊張してしまう。

冷静沈着な柳蓮二はどこへいったんだ。

「あ、そうだ！柳君これ、えーっと…」

千秋は片手に提げていた赤い小さな紙袋の中から何かを取り出し「はい」と俺に手渡した。

それを見て一瞬俺は目を見開いた。

「これ、は…」

俺の手の中にあるのは紛れもなく、チョコレートで。しかも手作り。

「実は…昨日調子に乗って作り過ぎちゃって…友達にもあげちゃったし、どうせならいつもお世話になってる人にあげたいなーって思って…ほら、柳君には1年の時から委員会でお世話になって今だって何かと助けてくれるし…」

ほんのり頬を赤く染めて少し慌てたように言葉を連ねる千秋。

予想外の展開。

まずい。

想像以上に、嬉しい。

まさか貰えるなんて思っていなかったから。


「……ありがとう」


笑顔でそう返すと千秋はまた更に頬を染め上げた。

「め、迷惑じゃなかった？柳君、いっぱい貰ってるって友達言ってたから。それに口に合うかわかんないし…」

「そんな事はない。お前から貰えて嬉しい」


すごく、嬉しい。


誰からどんな高価なモノを貰うよりも、君からのモノが何より一番、嬉しい。


「…へへ、喜んでくれたのならよかった」

「ところで」

「え？」

「俺以外にもチョコはあげたのか？」

「え？えーっと、仲良しの女の子の友達3人、かな？」

「男には？あげたのか？」

「う、ううん、男の子は柳君だけだよ」

「そうか…」

俺があからさまにほっとしたのがわかったのか千秋が少しむっとした。

「どうせ私は柳君みたいにモテないですー！お父さん以外にチョコ渡す人なんかいませんー！」

ふんっと小さな子供のように拗ね、そっぽを向いた千秋に俺は思わず小さく吹き出した。

「そう拗ねるな。良かったじゃないか、今年は父親以外の異性に渡せたんだ」

「んー…まあそれはそうだけど何かなぁ…」

「何かとは何だ」

「うぶっ！ひゅうににゃにふんのーっ」

「ふ…っ」

生意気な事を言い出した千秋の両頬を自分の手で挟んでやると思ったより変な顔になって面白かった。

こんな風にただふざけあえるだけで幸せで仕方ない。

千秋と笑いあえるだけで幸せで仕方ない。

どうあがいてもコイツが好きなんだと自覚させられる。


「もー！やなふぃくんはなひてー！」

「千秋」

「うん？」

いつも遠くから見ているだけの俺だが、今日は、今日だけは、千秋本人に独占欲を出してもいいだろうか。


「俺以外の男に、絶対にチョコを渡すな」



君を俺だけのモノにしたい。

でもそれは無理だから。せめて今だけは、わがままを言わせて。


「千秋、返事は？」

「は、はひ…！」



なんせ精市曰く、何が起こるかわからないのが人生であって、2月14日という日なのだから。


そして、真っ赤になった千秋に、俺はまた吹き出したのだった。













(千秋が斑類として覚醒するのはそれから数か月後の事)
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happy Valentine!!
ちなみにこの時の千秋さんは柳君の事が恋愛感情で好きではありません。全くもって。１ミリも。ただすごくカッコイイのに良い人ってだけです(笑)