Episode1 | ナノ




ザーーッ…

ポツポツと降り始めていた小さな雨粒はいつの間にか大きくなり、本降りへと変わっていた。

「いいのかな、私なんかがテニス部の部室に行っちゃって…」

「構わないよ、まだ授業あるし誰にも邪魔されずに話せる場所はそこくらいだから」

にこりと笑うと幸村君は靴を履き、折りたたみ傘を開いた。隣を見ると柳君も手持ちの傘を広げていた。
ど、どうしよ、私今日傘忘れちゃったんだよな…。
男子テニス部部室は校庭の端にありテニスコートの脇に建っている。そこまで行くには少しばかり距離がある。
雨空を見上げながら ブレザーを頭に被って行くか…、と思った時だった。

「あ、もしかして美村さん、傘忘れた?」

「あはは…、うん…」

実は…、と首をかいて苦笑した。

「なら俺の傘に入りなよ。折りたたみでも結構広いから」

「い、いいの?」

「うん、いいよ。濡れて風邪でもひいたら大変だからね」


そういうと幸村君は私の肩に優しく手を回し傘の中へと導いてくれた。そんな風に女の子扱いされた事がない私の胸は思わずドキリと跳ねた。


「あ、ありが…」

「千秋、俺の傘に入れ」

突然ぐいっと強い力で腕を掴まれ後方へと引っ張られた。
振り返るとそれは柳君で、幸村君に抱かれた私の肩をちらりと視界に入れてから幸村君を険しい顔で見た。

「精市、こいつは俺の傘に入れる。手を離せ」

そう言う柳君の声は少し棘のあるような声色で、幸村君は肩を竦めて笑うと私の肩に回していた手をゆっくり放した。


「千秋、こっちにこい」

「え、っと…でも…」

「千秋!」

「っ! は、はい…っ!」

少し強めに名前を呼ばれ、反射的に返事をしてしまった。恐る恐る柳君から幸村君に目を移すと幸村君は笑っていて、私の背中に手を添えると柳君の方へ行くようそっと押してくれた。

「ありが、とう…入れてもらう、ね、柳君」

「…ああ」

柳君は私が傘に入ったのを確認すると素っ気なく「行くぞ」と言い部室に向かい歩きだした。
私は置いて行かれないよう柳君の隣を急いでついて行った。








「……ふふっ、蓮二ってば独占欲強すぎでしょ」


前方を行く私たちの後姿を見ながら幸村君が楽しそうに呟いた。










弾丸とキスマーク










部室前に着くと柳君と幸村君は傘を閉じ扉のすぐ横に立てかけた。
私はというと目の前の立派な建物をまじまじと見上げて「ほえー」と感心の声を上げた。毎日帰宅部活動に勤しむ私には部室というものに縁がなく容易く近づいたりするような場所ではないので随分珍しく感じたのだ。

「美村さん、どうしたの?入って」

「あ、うんっ」

がちゃりとドアノブをひねり幸村君が部室のドアを開けた。

「……どうやら先客がいるようだな」柳君が言った。

…え、先客?



「あっれー、幸村部長に柳先輩じゃないっスか!」

「げ、マジで?何、柳と幸村君もサボり?」


幸村君の後ろからひょいっと顔を出して覗くと、そこには2人の可愛い系男子がいた。
あれ、この人達、どこかで見たような…。

幸村君は「サボりはサボりだけど色々事情があるんだよ」と言いながら部室内に入り、それに続くように私と柳君も中へと足を踏み入れた。


「それよりブン太は何で授業受けないでココにいる訳?」
「仁王がずっと学校来てねぇしつまんねぇから赤也に誘われて2人でモンハンしてた。真田には内緒にしてくれよ!なっ?!」
「えー!何責任転嫁してるんスか!モンハンしようって誘ったの丸井先輩じゃないっスかぁ!!」
「うっせバカ!」


それぞれ会話を繰り広げる中、私の存在に気付いた黒髪で釣り目の可愛い男子が突然こちらを凝視し始めた。
そして暫くしてから「ああああああっ!!」と私を指差し大声を上げたのだ。それに驚き目を丸くしていると
「アンタ、あん時の人じゃん!俺が打ったボールで頭ぶつけて顔面から地面に突っ込んだ人!!」
かくいう私も「あ、あの時の少年!」と彼らの存在を思い出していた。この可愛い系男子2人は私がボールを後頭部に受け気絶し、目覚めたときに私の顔を覗き込んでいた2人だった。


「あのボール当てたの俺なんス!だ、大丈夫でしたか?あん時普通に帰って行ったっスけど、ふらふらしてたしどう見てもヤバかったっスもん…っ」

本当に心配してくれているようで釣り目の可愛い彼は眉をハの字に下げ私の顔を覗き込むようにして近づいた。
まさかそこまで他人の事を気にかけていてくれたなんて思ってもみなくて、私の胸は既にきゅうんと彼にときめいていた。見た目も可愛くて中身も可愛いだなんて、この子いい子過ぎる……っ!!

「アンタ病院に行こうって言っても聞かないで勝手に帰っちまうし…。ああもう、こんな…っ、こんな顔になっちゃってるじゃないッスか…っ!」

「顔は元からこんな感じですけれども?!つかこんな顔って言いやがったなこの野郎!」

言った途端可愛い系男子2人は爆笑に包まれていた。え、腹立つんだけど、何なのコイツら。

「ウケる!アンタ超ノリ良いッスね!」
「アハハ!別にノッてるつもりなんざ微塵もないんですけどね?!」
「ハァ…。赤也、ふざけないでちゃんと謝りな」

呆れたようにため息をついて幸村君は片手を腰に当てた。

「ごめんね、美村さん。この前美村さんにボール当てちゃったのはコイツなんだ。2年の切原赤也。その隣にいるのが俺達と同じ3年の丸井ブン太。2人ともテニス部だよ」

部室内に置いてあるソファーにふんぞり返りながらPSP片手に丸井君が「シクヨロー」と片手を上げた。そして続けた。

「つーか柳、ここ3日くらい学校休んでて今日も休んでたはずだよな?いつ学校来た訳?」

「昼休みだ」

「マジか!昼休みっていくらなんでも重役出勤過ぎんだろ!」

丸井君はまた笑った。けど私はその話に首を傾げた。

「え…柳君、ずっと学校休んでたの?」

「あぁ、この時期はどうしてもな…」

柳君は少し気怠そうに息を吐き出した。

「美村さんは斑類が 猫又、犬神人、熊樫、蛇の目、蛟、人魚の6種類いるのは蓮二から聞いた?」

「あ、うん」

「蓮二はね、その中の"蛟"なんだ」

「みずち?」

「そ。蛟はね、ワニ。ちなみに俺は蛇の目…ヘビで、この2人は美村さんと同じ猫又ね」

「えっ」

衝撃的事実をさらりと言われた気がするんですが。
幸村君はロッカーの端に立てかけてあるパイプ椅子を取り出し広げるとそこに座るよう私の前に置いてくれた。その隣に同じようパイプ椅子を出し幸村君も座りながら「ブン太、赤也、お前たちは何とも無いんだからソファーは蓮二に座らせてあげな」と言った。そして、柳君は怠そうに1人ソファーに身体を沈め、丸井君と赤也君は元から出ていたパイプ椅子に素直に座った。

「それで蓮二の両親も蛟なんだけど、両方水中系の親から生まれた子供は自律神経が凄く弱い場合があるんだ。大体季節の変わり目に弱いんだけど、その中でも特にこの梅雨の時期が一番ツラい。しかも寒さに弱くて体温が下がり過ぎると最悪死ぬ場合もある」

「死…、え…、えええええ!!それは大変だよ…っ!!柳君大丈夫なの?!」

「あぁ、大丈夫だ。少し怠いだけだからな」

そう言って柳君は部室備え付けのエアコンのリモコンを手に取るとピピっと操作し真ん中にあるテーブルにそれを置いた。「……」ちらりと見ると除湿設定フルパワーだった。

「てかさ、もしかしてっつーか、もしかしなくてもお前今噂のプレミアか?」

私と幸村君達のやり取りをじっと見ていた丸井君が口を開いた。隣では赤也君が「え?!」と驚きの声をあげた。

「ああ、そうだよ。美村さん…えっと、この子は美村千秋さんって言うんだけど、彼女はブン太の言うとおり『先祖返り』。噂の超プレミア種だよ」

「あー、やっぱ?前見た時と匂いが違ってたからさっきは全然気が付かなかったぜ」

「ちなみにだけど、俺が思うに美村さんがどうして突然『先祖返り』として覚醒したのかは、あの日赤也が打ったボールが美村さんの頭に当たった衝撃が大元の原因だと思ってる」

「「え?!」」

私と切原君の声が綺麗に重なった。

「恐らくだけど美村さんが先天的、潜在的に持っていた『先祖返り』という性質があの出来事をきっかけに突如として現れたんだと思う。だってボールが当たった次の日からだったでしょ?美村さんが急にモテたりしたのも、周りが変な風に見えるようになったのもね」

「あう…その通りでございます…」

「あれ、なんか俺…もしかしてスゴイ事しちゃった…?」

「もしかして、じゃなくて実際そうなんだよ」

ふふ、と笑って幸村君は柳君を見た。

「それで蓮二は『先祖返り』の事をどこまで話した?」

「まだ詳しい話はしていない。プレミア種、繁殖能力が強い、というところまでだ」

なるほどね、と頷き幸村君は再び私を見た。

「『先祖返り』ってね、本当に貴重な存在で俺達も一生に一度会えるかどうかっていうくらい珍しいものなんだ。それで『先祖返り』は猿人と斑類双方の特長を持ち合わせるから、通常の猿人、斑類、両方に対して強烈なセックスアピールを発するんだ。それに美村さんの場合、覚醒直後でその能力を制御出来ないから尚更強烈だったんだろう。だから美村さんは急にモテたって訳」

「そうなの?!ってかセ、セックスアピールって?!」

「ま、簡単に言うとフェロモンだな。お前は男を誘惑するフェロモンを常に垂れ流し状態でほっつき歩いてるって事だ」

「え…っ」

「フェロモンってのは全然あっていいモンだけど、度を越すと相手にも自分にもタダの害にしかならねぇ。んで、お前は確実にその後者だろうな。…って、あああっ死んだあああ!」

丸井君は私に話しながらガチャガチャと弄っていたPSPをゲームオーバーと共に中央の机に放り投げた。

「とにかく美村さんは斑類がこぞって手に入れようとする逸材だ。だから、下手すると誘拐とか路地裏に連れ込まれて襲われちゃうかもしれないから十分気を付けてね」

にっこり

「ひ…っ!」

笑顔と言葉が合ってません幸村君……っ!!!!

私は大声で叫びたくなる衝動を必死に抑えた。


「あ、でも今は柳先輩の匂いと混じっててそんなに強いのは感じないっスよね」

「あー確かに、言われてみればそうかも」

くんくん、とPSPを止めた丸井君と赤也君が私に向かい鼻をひくつかせた。

「あぁ、それはさっき蓮二が自分で匂い付けしたからね」

「つーか柳先輩の匂いしたんで最初部室入ってきたとき普通に柳先輩の新しい彼女かと思いました。つーか先輩って柳先輩の新しい彼女っスか?」

「かっ、のっ…ッ?!」

赤也君の純粋な目で問われ私はボンッと顔を赤くした。それを見て柳君が少しピクリと反応した様な気がしたけど今はそれに構っている暇はない。

「ち、違うよ…ッ!彼女なんかじゃないってば!」

「え、そうなんスか?」

「そ、そそ、そうだよ!私が柳君の彼女とかそんな事ある訳ないって!そんな、私が彼女とか柳君に失礼だもの…っ!そ、そんなのありえないって…っ!」

彼女とかという言葉にも縁のない私は変にドキドキしてしまい思いきり否定をした。それに私が有名なテニス部に所属していて尚且つ頭も良くて容姿端麗で完璧な男である柳君の彼女とか…!嘘でもおこがましいと思う。ってか嘘だとしでも柳君に対してホントに失礼だと思うのですよ…っ!心の底からそう思った私は全力で手を横に振りみんなに向かい否定した。


その瞬間、何故か部室内の温度が一気に5度くらい下がった気がした。


丸井君と赤也君は一瞬で青ざめ、横にいる幸村君は「ぷっ!」と顔をそむけ吹き出した。

「あれ……?」

しかも部室全体の温度を下げるような冷気を放っているのは多分柳君、だ。
な、何故…?
私はゆっくり、恐る恐る柳君の方を見た。柳君は長い脚を組み、ソファーの背もたれに片腕を置き、その腕を曲げ頬に手を添えてかなり不機嫌そうなオーラを放っていた。

え、何で…?私は自然と冷や汗を流した。

「私、何か間違った事言った…?」

「ふふ、間違ってるというか…ちょっとね、みたいな」

え、何がなんだかわからない。相変わらず面白そうに笑う幸村君を横目に私は温度の下がった空気におろおろするしかなかった。この状況で笑顔の幸村君がすごい。

「さて、美村さん。そろそろ本題に入ろう。会議室で蓮二から『先祖返り』の他に何の話を聞いた?体調の悪い蓮二に代ってこれから俺が説明するから」

「あ、えっと…斑類の事を。これを…柳君から貰いました」

私はポケットから『よいこのまだらるい』という学習絵本を取り出して見せた。

「あぁ、なるほど」

「うっわ!なっつかしーなそれ!」

「ホントッスね!昔俺も読んだッスよー!」

「え、マジで?」

どうやら丸井君と赤也君は絵本を見て本気で懐かしがっているようだった。これは本当に斑類が小さいときに読む本だったのね…。ちょっと怪しい宗教のモノかもしれないと疑った事を心の中でひっそりと謝った。

「じゃあ俺達斑類の基本的な事が分かっているなら、さっき話していた話からもう少し突っ込んだ話をしよう。これから1番大事な事を話すからね」

「1番、大事な事?」


幸村君はにこりと笑って言った。



「そう、『魂現』の話だ」






ネイキッド・ワールド






2013.07.30 satsuki
加筆修正 2013.11.20