Episode1 | ナノ





朝パチリと目を覚ましたら不思議な事に全て元通りに戻っていた。










弾丸とキスマーク







「おは、よう…? お父さん、お母さん…?」
「何で疑問形なのよ。寝ぼけてないでさっさと朝ごはん食べちゃいなさい」
「う、うん…」

昨日まで猿の顔した両親が朝起きたら『人間』の姿だった。

両親だけじゃない。道行く人も以前のように普通の『人間』の姿だったのだ。
いや、それが普通の事なんだろうけどこの2日くらい私の目にはありえないモノで見えていたのでどうにもこうにも変な気分だった。
そして学校に行っても昨日までの騒がしさと迫りくる危機感はなく言い寄ってくる人もいない。

「(どうしたんだろう、急に…)」

疑問に思ったが思い当たる節は1つだけあった。

これはやっぱり、昨日幸村君がくれたお守りのせい…なんだろうか。
いくら考えてみても全くわからない。
けれど、もうみんなが動物に見えない!それだけで十分じゃない!わたしはむふふっと笑うと、スカートのポケットに入れてあるお守りをきゅっと握りしめた。




――しかし、だ。何故だろう。



昨日まで私に熱い視線を向けていた人た達が今は真逆の脅えた顔をし私を見るのだ。
用事があり「あの、」と声をかけても「す、すみません…っ」と謝られたり「あ、あああ、ゆ、許してください…!」と命乞いみたいな事をする人もいるくらいだ。
これは一体どうなってるんだ。
そして、「蛇だ…」「よりによってどうして蛇なんだ…」「かなわねぇよ、あんなの…」とかすかに絶望に似た声までもが聞こえてくる。

「(蛇って、私の事か…?)」

みんなが動物に見えなくなり、ようやく周囲も落ち着いたなぁと感じたのに小さな違和感だけはいつまでたっても消えなかった。













「じゃあ美村、このプリント会議室までよろしく頼むな」

「はーい」



お昼休み。
あと10分で休みが終わってしまうという頃にたまたま職員室の前を通りかかった私は現国の教師に呼び止められると大量のプリントを運ぶというちょっと面倒な仕事を押し付けられてしまったのである。


「ああもう、私の貴重なお昼休みがぁ…」


ブツブツと文句を言いながら1階の端にある会議室のドアを足で器用に開け、中に入った。
そしてそのまま机の上に「よっこらせ」と年寄り臭くプリントを適当な場所にドサリと置くと私は「ふぅ」と額に少しばかりかいた汗を腕で拭った。

久しぶりに入った会議室は静かで、窓はカーテンでしっかりと閉められていて薄暗かった。窓に近づきカーテンの布をそっとずらし外を見た。

少し、曇っていた。
今は6月上旬。ついこの間、例年よりも幾分か早い梅雨に入ったばかりだ。

「雨、降るのかなぁ。傘忘れちゃったのに…」

そう曇り空に向かい呟いた途端、ガララッピシャン、と会議室のドアが開いて閉まる音がした。
ハッとし、振り向くとそこにはすらりと背の高い細身の男が一人。


「柳、君…?」

「千秋、」

柳君は会議室のドアのカギをガチャリとかけると私に向かい突進するかのようにツカツカと近寄ってきた。

「え、柳君?何でここに…」

柳君は首を傾げる私の前まで来るとぴたりと足を止めた。背の高い柳君は私を見おろし、柳君より20センチほど背が低い私は彼を見上げ、暫しお互い見つめあう形となった。

「や、柳君?ど、どうしたの…?」

「まさか」

「え?」

「まさか本当にお前が"先祖返り"だったなんて」

「先祖、返り?」

彼の言葉にゆっくり首を傾げた。
柳君は突然現れ一体何を言っているのか。私にはまったく分からなかった。

「千秋、とりあえずそのポケットにあるモノを出せ」

「ポケット?」

「昨日精市に貰った、布で出来た小さな袋だ」

「あぁ、アレね!」

私はポケットから幸村君から貰ったお守りを取り出した。

「でもこれが一体どうしたの?」

「捨てる」

「うええええ??!!」

柳君は私の持っていたお守りを半ば奪うように取り上げると窓をあけ容赦なく外に向かい思いきり放り投げた。そして素早く窓を閉めカーテンをひくと再び私に向かい合った。それは止める間もないくらいの一瞬の早業だった。

「ちょ、ちょちょちょちょ!ちょっと柳君!いきなり何すんの!せっかく幸村君から貰ったお守りがァァァア…!!」

「アレでいいんだ。言っておくがお前、今かなり蛇臭いぞ」

「へっ、び…っ?!」

いきなり女子に向かって何を言い出すんだこの人は!
でも蛇って…、今日何度か耳にした単語だった。

「だが精市にも少しは感謝しないといけないな」

「え?」

「あの袋の中身は蛇の鱗だ」

「うろ…、」

「ただアレがなければ俺がいない間に今日もまたお前は複数の雄から言い寄られていただろうからな。だが…」

柳君の言葉に訳が分からずポカーンとしていた私を柳君がジッと見つめた。
そして次の瞬間柳君は私の二の腕を両手で掴むと自分の方へ引き寄せ、私の首筋に顔を埋めた。

「どぅわあぁあ!やややや柳君…?!急に何?!どうしたの?!」

「精市の"匂い"がお前からするのが気に食わない」

「ええええ!いきなりどういう事ですか!てゆうか柳君くすぐったい!首んとこですりすりしないで!アハハ!」

「いいから。少し静かにしてろ」

そんな事言ったって!しかも匂いって何?!ってか何なの柳君!アレ、この人こんな人だったっけ?!柳君はいきなりこんな事するような人じゃなかったよ!どうしたの柳君!ご、ご乱心ってヤツですか?!


今だ私の首筋に顔を埋め鼻をこすり付けたりしている柳君にあたふたしながらも必死にくすぐったい感覚に耐えていたが不意に柳君から香ってくる"匂い"に気が付いた。

「(あれ…?何だろう、香水?柳君からなんかいい匂いが……)」

柳君の首筋あたりからふわりと香る上等な香水のような香りは、どこか甘いような。何というか、とにかく惹きつけられる香りでずっと嗅いでいたいようなとてもいい匂いで。それのせいかわからない。わからないけど次第に思考回路が奪われ、まるでのぼせたようにふわふわとした気持ちになっていった。

そう思ったら身体が急に熱くなるような感覚に陥り、気付いたら私も柳君の首筋に顔を埋め、まるで縋りつくかのように柳君の背中に腕を回し、しがみ付いていた。


「千秋」

柳君が少し顔をあげ私の名前を呼んだ。

「(やなぎ、くん)」

私も彼の呼びかけに答えたかった。名前を呼びたかった。けれど声が出なくて。
ばくばくと心臓が早鐘の如く鳴りとにかく全身が熱かった。徐々に呼吸も荒くなってきたように感じた。
こんなの初めてで、こんな気持ち、初めてで。
どうしていいかわからなくて柳君の制服を必死に掴み、助けを求め縋るように彼を見上げた。

すると柳君は一瞬ピクリと反応してから私の頬にかかった髪を除けるように触れ


「…やはり先祖返りの強い匂いはこれくらいじゃ押えられそうにないな」

どこか切羽詰まったように、かすれる声でそう囁くと柳君は私の頬に触れていた手をそのまま首の後ろに回し、ぐいっと力強く私を引き寄せると柳君のしっとりとした唇と私のそれとがぴったりと合わさった。

「ん…っ!」

突然感じた感触に思わずビクリとして柳君の身体を押し返し抵抗した。
だが抵抗すればするほど柳君の力が強くなり、その体はいっこうに離れようとしなかった。それをいい事に柳君は私の唇と舌を何度も何度も、しつこく吸い上げた。


「はぁ、…ん…っ」


初めての熱いキスに次第に体の力がなくなり、くたりとなる頃にようやく柳君は唇を離した。どれだけの間キスしてたのだろう、それすらわからないほど私たちは唇を合わせていた。
けれど、まだそれで終わりではなかったらしく柳君は再び私の首筋に顔を埋めるとツッと濡れた唇を首のラインに這わせたかと思うと私の制服の一番上のボタンを片手で器用に外し、襟元を少しずらすとそこに唇をあてがい強く吸った。

「い、た…っ」

ピリッとした今まで感じた事のない小さな痛みに顔を歪ませた。
暫くしチュッというリップ音と共に柳君が顔を上げた。
そして、最後にもう一度味わうように私の唇を吸い上げた。

「……俺の"匂い"が付いた。これで暫くは大丈夫だろう」

な、何が……?

私のもっともな心の叫びは口から発せられることはなく、ただただ呆然と、肩で呼吸をしながら目の前の柳君を見つめた。
当の柳君はというと私の身体から離れると何事もなかったかのように少し乱れた制服を整えた。そんな様子を見ながら私は背後にあるカーテン越しの窓に力尽きたように背を預けズルズルとゆっくり下へと沈んでいき、へたりと床に座った。

そもそも何で私は柳君とあんな事を…。あんな、なんか…ちょっとエロっちぃ事を……!!

先ほどまで自分の唇にあった熱い感触を思いだしただただ赤面した。
まさかファーストキスがこんなに濃厚でビックリするほどあっさりナチュラルに奪われるとは思わなんだ。それより何で私、キスされた…?

「大丈夫か」

「えっ」

すっと目の前に差し出された手に顔を上げると柳君が「立て」と手を差し伸べてくれていた。
先ほどの事もあるので少し戸惑いながらも私は柳君の手を取り、「ありがとう…」と立ち上がった。


「お前が言いたい事はわかっている」

「え?」

「何故突然お前にキスをしたのか、だろう?」

ズバリ言いたいことをピタリと言い当てられ私は目を丸くした。


「それを含め、今からお前の周りで起こっている出来事すべてを説明する」

「? 出来事、すべてって…?」

「千秋、数日前からお前の目には人間が動物に見えたりしているんじゃないか?」

「なっ!何で、どうして柳君がそれを…?!」

「やはりそうか」

柳君は何か考えるように顎に手をあてた。


「では、これから出来るだけわかりやすく一から話そう」


柳君は一体何を知っているんだろう。
私は息をのんで柳君を見た。





「千秋、まずお前は人類じゃない。斑類(まだらるい)の猫又だ」






「…………。…………は?」







あらゆる毒に蝕まれた救済

(柳君、頭おかしくなっちゃったの?)(俺は至って正常だ)





2013.07.21 satsuki
加筆修正2013.11.20