「くそー、重い…っ!」 3時間目の歴史の授業が終わり、私は授業で使った資料や大きなタペストリーみたいな世界地図を資料室に返すべくよろよろと一人廊下を歩いていた。 実は今日、私は日直で教師から使い終わった資料などを資料室へ戻すよう言い付けられたのだ。日直はこういうのがあるから好きじゃない。いつもなら友達とお喋りをしているのに…と人知れず溜息をついた。 「っとと!ぎゃわ!」 油断していたのか、ふいにバランスが崩れ、自分の身長より高く重い地図の筒を腕から落としそうになって慌てた。これを落とせば自動的に両手で持っている資料集やプリントまで廊下にぶちまけてしまう。 でもバランスを取ろうとしても中々取れずによろけてしまい、脇で押さえるように抱えていた地図がぐらりと大きく傾いた。 「危ないぞ」 「!」 そのまま落下すると思われた地図は誰かの手によって支えられており、頭上から降ってきた声には聞き覚えがあった。 「や、柳君!」 「1人で運べる量じゃない。俺も手伝おう」 柳君はひょいっと私から一番重いであろう地図と、分厚い資料集を取り上げた。私の手元に残ったのは軽いプリントだけだった。 「え、でもいいの?悪いよ…!」 「一人で運んで全部廊下にぶちまけるよりはいいと思うが?」 「うっ…!それは、そう…かもしれないですが…」 「だろう?それに二人でした方が早く終わる」 「あり、がとう…」 「気にするな」 柳君はふっと笑ってゆっくり歩き出した。私も置いて行かれないようそれに続いて歩いた。 ――― 「どっこいしょっと!」 目的地である資料室に入り、返す場所にちゃんと資料を戻し、終わったー、と息をついてから柳君に向き直った。 「本当にありがとう、柳君!」 「いや、あんなによろよろと歩いてる後ろ姿を見せられたら手伝わずにはいられないだろ」 「はは…面目ないです」 私は苦笑しながら頭をかいた。 「あっ、そういえば今日日直でお昼に特訓出来ないんだ…先生にご飯食べたら日直は職員室に来てくれって言われてて」 「ああ、そういう事ならし仕方ないな」 「うん、ごめんね」 「それより、精市から聞いたか?臨時マネージャーの件」 「あ、うん。聞いた聞いた!1時間目終わったら幸村君がひょっこりきてビックリしちゃったよ」 「それで、引き受けてくれたか?」 柳君は資料棚から抜き出して流し見していた本をパタンと閉めると私を見た。 その目から慌てて逃げるように私は資料棚の方に身体を向け、棚にびっしりと並べられている本の背表紙を手で弄った。 「え、と…それはちょっとまだ、考え中で…」 「そうか…、てっきり俺はもうOKだと返事をしたものだと思っていたが」 「ごめん、最初聞いた時はいいかなって思ったんだけど、色々考えちゃって」 「まだ力を自由に制御出来ないお前を夕方に一人で帰らせる訳にはいかないし、待ってる間、時間を潰すのはそう簡単じゃないだろう?お前がうちの部に来てくれたら俺達も助かる。いい話だとは思うが」 「うん…、それは、そうなんだけど…」 「何が引っかかるんだ?」 「えっと……」 言うのを、ためらった。 誤魔化そうとも思ったけど、ちらりと見た柳君の真剣な目を見たら誤魔化すことは無理だと覚った。 私は少し躊躇いながらも、資料棚に並ぶ本の背表紙を見ながらゆっくり口を開いた。 「その…部活って、やっぱり青春の一部な訳じゃない?テニス部なんて特に強いし、みんな生半可な気持ちでやってない、でしょ?勿論それを手助けするマネージャーに臨時とはいえ誘って貰えたのはすごく嬉しかったの。幸村君も私になら任せてもいいって、そうに言ってくれたのとかすごく嬉しかった。私も一度はやってみようかなって思ったけど、」 「けど?」 「やっぱり…、ダメだよ…」 「何故だ?」 「私、マネージャーやってもいいかなって思った理由、すごく…、すごく不純なの…!よくよく考えたら、ちゃんと頑張って部活やってる人本当に申し訳ない理由で…」 柳君に素直に話していたらじわじわと時間差で恥ずかしくなり、顔を赤く染めている自覚があった。横顔ですらそんな姿を見られるのが恥ずかしくて嫌で。 私は両手で顔を覆い資料棚にこつん、と頭を付けた。 「ほんとに、恥ずかしい理由で…」 「その理由とは何だ。別にこちらが無理に頼んでいるんだ。お前が動機なんか気にしなくていいんだぞ?」 「で、でも…私がダメなの」 「言ってみろ。お前の中で引っかかってる理由とは何なんだ?聞いて怒ったりしないし、それにダメならダメだときちんと言うから、だから言ってみろ」 小動物でも宥めるように柳君はそっと私の後ろ髪を指で梳いた。 「千秋」 「…………って、思ったから…」 「…? 聞こえない。なんだって?もう一度――」 聞き返した柳君に、私は精一杯の声を絞り出して言った。 「……マネージャー業引き受けたら、柳君と、ずっと一緒にいられると…思ったから…、」 ぴたりと、私の髪を梳く柳君の手の動きが止まった。 「臨時でも、マネージャー業引き受けたら…柳君と部活でも一緒にいられるって、幸村君から誘われた時に、一番最初に思ったの…、ごめん、なさい…」 お昼休みと、部活帰りは一緒にいられる。 けど、好きだって気付いたら私はどんどん欲張りになっていった。 朝も昼も夕方も、帰るまでずっと、出来るだけ一緒にいたいって思うようになった。 幸村君から誘われた時はびっくりしたけど、私の頭の中を一番最初に駆け巡ったのは、マネージャーになったら部活中もずっと柳君の傍にいられるんだっていう事だった。 「でもよく考えたらこれってちゃんと部活をしている人にすごく失礼なんじゃないかって、思ったの…。だから、すぐに答え出なくて…、でも…」 断ろうと、思ってます…。 静かにそう呟いてから私はゆっくり両手を顔から外した。 「せっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい」 「…何故謝る?それにお前が不純というなら俺はもっと不純だ」 「え?」 思わぬ言葉に私は顔を上げた。 目が合った柳君はゆるやかに微笑んでいて私の髪を撫でていた手は私の頬へ移り、するりと撫でた。 「始め、精市に臨時のマネージャーをと話を持ちかけたのは俺だ。そして、千秋を推薦したのも俺だ」 「え、柳君が…?」 「理由は なるべく練習に集中する為。それにお前の今の状況は精市も承知している。もともと居たマネージャーが抜けた穴は想像以上に大きかったから、全員賛成するのも目に見えていた。だからすぐにこうやって精市から勧誘の話が行った」 「そう、だったんだ」 「けれど、それはすべて建て前で、本当は単に俺がお前を傍に置いておきたかっただけだ」 「!」 まるで、心臓が鷲掴みされたような感覚だった。 「出来るだけ俺の目の届く場所にいて欲しい。ただ、それだけの理由だ。……どうだ?俺も十分不純だろ?」 柳君はくすりと笑うと片腕でそっと私を抱き寄せて髪にキスをひとつした。 「本当なら、お前が俺と一緒にいたいと言う理由を言った時、普通は怒ったり叱るものなのかもしれないな。…でも俺は嬉しくて仕方なかった」 「柳君…」 「この事は俺達だけの秘密にしよう。そうすれば、誰からも何も言われない」 「…あはは、なんか変な秘密」 思わず零れた笑いに私はそっと柳君の胸に額を押し付けた。ブレザーから柳君の匂いがした。少し甘えたような私に、柳君も少し笑った。 「引き受けてくれるか?マネージャーの話」 「…こんな私でよかったら」 「お前じゃなかったら何の意味もない」 そう言って、柳君は抱きしめる腕の力を少しだけ、強くした。 嬉しかった。柳君から傍にいていいんだよって言って貰えたみたいで。 それが本当に嬉しくて、私は柳君の胸に更に顔を押し付けてからぎゅっと背中に腕を回して抱きついた。 「…幸村君にバレないようにしないとね」 「いや、精市にはもうとっくにバレてるだろうな」 「ふふ、そっか…」 でもいっか、なんて言ってからまた二人で笑い合って、私はそのままそっと手を伸ばし、柳君の頬に恐る恐る触れた。 柳君の肌は思わず嫉妬してしまうくらいとても綺麗で、壊れ物にでも触るかのようにそっと、優しく柳君のそれを撫でた。柳君はそんな私の様子をじっと黙って見ていた。それからゆっくりと目が合って。まるでお互い引き寄せられるかのように、しっとりと唇を重ねた。 だから世界は呼吸を止める この人が好きなの。 好きで好きで、たまらないの。 愛しくて、 たまらないの。 2013.11.10 satsuki 加筆修正 2013.11.25 |