Episode1 | ナノ



何故俺は斑類として生まれてきたんだろう。
何故俺は重種なんだろう。何故俺は猿人ではなかったのだろう。


何故俺は、


何故、



――そう思う時がたまにある。

それはただの自分勝手な我儘だという事はわかっている。

けど思わずにはいられなかった。

君に出会った"あの時"から――。






弾丸とキスマーク







「酷いんじゃないの?!この私が居ながら他の女に手出すなんてありえないんだけど!」

目の前でぎゃんぎゃん喚く女に溢れ出る嫌悪感をひた隠しに出来る事は最早無理な事だった。


「…何か勘違いしているようだからこの際ハッキリ言っておくが、俺はお前と付き合っているつもりなど毛頭ないぞ」

「は…、ちょ、何よそれ!」

「遊びでいいからと言い寄ってきたのはそっちだ。だからその言葉通り俺はお前との関係を持っただけにすぎない。それにいつ俺がお前に付き合いを仄めかす事を言った?一言も言っていないだろう」

勘違いもいい加減にしてくれ。

そう言うと日高はカッと顔を赤くし怒りをあらわにしたのがわかった。

うっすらと日高の魂現が見えたからだ。

俺と同じ、蛟。


「あの先祖返りのどこがいいのよ!先祖返りったって所詮ただの猫じゃない!しかもあの子軽種でしょ?!軽種なんてありえない!!貴方重種なのよ?!自分の立場わかってるの?!」

「それにお前に言われるまでもなく自分の立場くらいわかっているつもりだ」

「じゃあ…っ」

「同じ蛟でなくても先祖返りというだけでアイツは重種の俺達よりも貴重さは遥かに上だ。お前だってそのくらい理解しているはずだ。だとしたら例え重種のお前よりも先祖返りのアイツを選ぶのは至極当然の事だろう?」

「っ、何、よ…それ…っ!重種は同じ重種同士同じ種の斑類と一緒になった方がいいに決まってるじゃない!軽種じゃあるまいし、何言ってるのよ蓮二!」


貴方は重種なのよ?!




日高が今日2度目となる言葉を発した瞬間自嘲にも似た笑みが俺の中からもれた。




『重種』




幼少期から言い聞かされてきた言葉だ。


特に祖父や祖母に嫌になるほど言われた。


『貴方は重種なのよ』と――――。









斑類は全体の人口の約30%で70%の大半を猿人が責める。
その30%しかない斑類の人口の割合は猫又・熊樫・蛇の目・蛟は3%、犬神人は15%、人魚は1%以下。斑類は猿人と違って「重種・中間種・軽種」の三構造で成り立つ典型的ピラミッド型を描く階級社会であり、重種はその頂点に立つ。

重種は三構造の中でも更に数が少なく貴重な存在だ。
故に重種を絶やさぬよう重種同士で子孫を残そうとする傾向にあった。
解りやすく言うと昔の金持ち貴族のような身分制度、政略結婚などが現代に残っているような感覚だろう。

重種が軽種、ましてや猿人と結婚して子供を儲けるなどありえない事とされているのだ。

勿論中には自由にしている重種もいるだろう。

だがほとんどの重種はそうもいかない。
生まれた時から気付けば顔も名前も知らぬ婚約者が存在している事などは珍しくも何ともなかった。

かく言う俺もそのような環境下で育ってきたのでただ漠然といつかは自分も顔も名前も知らぬ相手と結婚し子を儲けるのだろうと思っていた。
その事にさして抵抗も疑問も浮かばなかった。それが当たり前だと思っていたからだ。猿人のように自由な恋愛や結婚などありえないと思っていたから。


けれど、










『大丈夫…?』








あの日からだ。



洗脳されていたこの考えが酷く煩わしいものになってしまったのは。



まだ俺が小学生で東京にいた頃に出会った少女。

予期せぬ雨に打たれ寒さで弱り切って道の隅に座り込み動けなくなった俺にそっと傘を傾けてくれた少女。


『傘ないの?おうちの人は?動けないの?』


思った事を素直に口に出し聞いてくる彼女に俺は息も絶え絶えでうまく答えることが出来なかった。ただ虚ろな目で傘を差しだす彼女を見上げた。

『(…猿、か)』

彼女が斑類でない事は一目見て分かった。

彼女は俺の状況を察したのか傘を俺に渡し、小さなカバンからハンカチを出し濡れた頭を拭いてくれた。温かい掌が冷たくなった俺の頬に触れた。
そして子供用の携帯電話を取り出しどこかにかけているようだった。


『今お医者さん呼んだからね!すぐ来てくれるみたいだから頑張ってね、来るまで一緒にいるからね』

俺に優しく触る温かな手に冷たくなった俺は酷く安堵し、ずっと寄り添ってくれた彼女が天使に見えた。俺の手を握る柔らかな手。明るい笑顔。自分の生死に係わる状況なのにこの時間が永遠に続けばいいとすら思った。


「よかったね、お医者さん来てくれたからもう大丈夫だよ。それじゃあ、わたしもう行くね」



救急車が来た途端あっさり手を離しバイバイ、と笑顔で手を振る君の手を放したくなかった。

いや、違う。


君を、手放したくなかったんだ。



『あっ…!』

『え?』

『なま、え…、』

『わたしの?』


俺は必死に頷いた。

『わたしの名前は――』







君は、









お前は――――、













あの日からだ。
俺の中に彼女が常に存在するようになったのは。

そして、これが恋だと気付くのにそう時間はかからなかった。


あれからまた彼女に会えるのではないかと同じ道を何度も通ったがついに会えることはなかった。
神奈川に引っ越してからも道行く人に気を配った。学校でもどこでも。もしかしたら彼女に会えるのではないかと夢見て。東京から神奈川に引っ越したのだからもう会えるはずもないのに。



ただただ、俺は彼女を探してた。



いつか彼女に出会えたらあの時放した手をもう一度繋ぎたかった。

ただただ、彼女に会いたくて、恋焦がれた。

例え彼女が俺の事を覚えてなかったとしても、焦がれていた。



斑類は斑類と。そう教え込まれてきたがそんな事はもうどうでもよくて。

斑類だとか、猿人だとか、もうどうでもよくて。

"彼女"が好きだった。

"彼女"という"人間"が好きだった。


だからだろう。


あの日から、あの時から、"斑類"や"重種"というものに囚われる家族や周りの人間、そのしきたりに囚われる自分自身。俺に絡みつくすべてのモノが煩わしく思えて仕方なかったのは。

重種に産まれた事を誇らしく思う事はあっても、こんな風に思う事はなかったのに。

彼女に出会ってから俺は変わってしまった。


でも不思議とそれが嫌ではなかった。












「――、ちょっと聞いてるの蓮二!?」

「ああ、そう大声を出さなくても聞こえている」

過去に思いを馳せていたが日高の声で現実に引き戻された。
思わずため息を吐きだし目の前で眉を吊り上げこちらを見る日高に視線を戻した。

「とにかく、あの子じゃなくて私を選んでよ…!うちだって重種の家系よ?絶対蓮二に後悔させないし、どう考えたって悪い話じゃないわ。だから私と付き合ってよ…、ね…?」

日高が甘えるように上目使いでこちらを見上げ俺の腕に自分の腕を絡ませながら身体を密着させた。

確かに日高の家系は重種の家系で蛟が多い。家も資産家らしく付き合うのも結婚するのも申し分ないだろう。
他の男なら喜んで飛びつくくらいの高物件だ。だが俺はそんなものどうでもよかった。

「何度も言うがお前と付き合う気はない。離れろ」

密着した日高の腕を拒否するよう振り解いた。

「なっ、何で?!」

「何でと言われても付き合う気がないからだ」

「だって先祖返りなんてただ単に猿と同じで繁殖能力が高いくらいでしょう?!どうして私よりあの子がいいのよ!?あの子と私の何が違うの?!」

しつこい、そう思い日高と話してからもう何度目かすら分からない深い溜息を吐きだした。

「何が違うのかと聞かれれば、気持ちの問題だ」

「気持ち?」

「日高、お前の事はすまないが何とも思っていない。ハッキリ言って好きだとも嫌いだとも思わない。だがアイツは、千秋の事は











――愛してるんだ」
















『よかったね、お医者さん来てくれたからもう大丈夫だよ。それじゃあ、わたしもう行くね。バイバイ!』

『あっ…!』

『え?』

『なま、え…、』

『わたしの?』







――あの日から、








『わたしの名前は千秋だよ。美村千秋!』










そう、あの瞬間から、俺の心は彼女だけのモノで。





もう一度出会えたのならその手を離さないと決めていた。







もう一度、出会えたのなら、君を離さないと、








そう、決めていたんだ。






(やっと出会えた)







埋めたかったのは誓いの最果て





(愛し、君)







2013.08.30 satsuki