恋をしている


何かが倒れたような物音がして、何事かと私は保健室の扉を勢いよく開く。

そこにいたのは、この部屋の主。
そしてその主に抱きついている、1人の女子生徒だけだった。


「ごめんなさい」という言葉を残して、彼女は扉を開けたまま立ち尽くす私の横を通り過ぎる。
高野先生はと言えば、彼もまた立ち尽くし、私を見ていた。
その表情は、驚き以外の何物もない。
でも、見るからに彼女が一方的に抱きついて、そのまま走り去ってしまったのだということがわかる。
…わかる、のに。
息をするのが困難になりそうなほど、動揺してる私がいる。

なに、この真っ黒な気持ち。

笑顔を作れない顔を隠すために、私は俯きながら保健室に足を踏み入れた。
持ってきた書類を机に置き、小さく会釈をして彼に背を向ける。

「…ま、待て」
少しだけ、焦ったような声。
腕を掴む先生の手は、いつもより力強い。

大丈夫です。
わかってます、誤解なんかしてません。
だから今は行かせてください。
そう言いたいのに、言葉が出ない。

代わりに零れたのは、我慢してたはずの涙だった。

こんなことで泣くなんて、弱すぎる。
これくらい、笑って大丈夫って言える大人になりたいのに。

「…すみません」
あったかい手をゆっくりとほどき、私は今度こそ保健室を後にした。


高野先生と話せないまま、数日。
話せないというより、私が彼を避けてしまっていたのだ。
彼女は、卒業前だからと告白してきて、きちんと断ったのに急に抱きついてきたのだと、先生はその日にメールをくれた。
電話は、私が出なかったから。

信じていないわけじゃない。
高野先生がすすんで彼女を抱きしめたわけじゃないってわかってる。

それでも、やっぱり割り切れなくて。

高野先生に子どもっぽい悪態をつく前に、この気持ちを鎮めなくてはと思う。
彼に会うときは、こんな醜い感情なんて要らない。
そうして、私は高野先生を避け続けた。


「…きみ、Gフェスの子だよね」
それからまた数日。
やっと高野先生に会う決心がつき、保健室の扉の前に立っていると、知らない男子生徒に声をかけられた。
「俺、そっちの円城寺と同じクラスなんだけど…知らない、よな?」
突然のことに驚いてしまった私は、頷くことしかできない。
やっぱり、と目の前に立つ先輩は、少し寂しそうに笑った。
「…まぁ、いいや。あのさ、きみ、いま付き合ってる人とか…」
先輩がそう言いかけた瞬間、ガラリと勢いよく扉が開く。
「…あ…」
そこから現れたのは、私がこれから会おうとしていた人。

「うちの保健委員に何か用か」

刺々しい言葉に、真っ赤だった先輩の顔は、一瞬にして真っ青になる。
「いえ…」と先輩は呟いて、その場を去っていった。


「入れ」
腕を掴まれ、高野先生は私を保健室に引っ張り込む。
ガチャリと鍵を閉め、そのままぎゅっと私を抱きしめた。
「電話、出ろよ」
「……ごめんなさい」
「最近ずっと来ねぇし」
「…ごめんなさい」
さらに力強く抱きしめられ、我慢しようと思っていた涙が溢れてくる。
久しぶりに感じた高野先生のぬくもりに、涙を止められない。
そんな私の頭を、彼は優しく撫でてくれた。

「…泣いたっていい」
ぽつりと高野先生は呟く。
「怒ってもいい。あれは避けられなかった俺が悪い」
本当に悪かった、と先生は言った。

…悪く、ないのに。
先生は何も悪くなかったのに、勝手に嫉妬して、身勝手に先生を避けてしまった私なんかに謝ってくれて。
やっぱり、先生は大人だ。

「…さっきの、だけどな」
「はい…?」
「告白されそうになってんじゃねぇよ」
「……え…?」
「まぁ、お前はそういう反応だよな…」
鈍いやつ、と私の頬を軽くつねる。
目を擦りながら先生の顔を見上げると、そこにはいつもより無愛想な表情が貼りついていた。
涙に濡れた目元に優しくキスを落とされ、もう一度、ぎゅうっと抱きしめられる。
「…先生」
「大人は傷つかなくなるわけじゃない」
耳元で響く先生の声。
何かを抑えているようで、私はしっかりと先生の背中に腕をまわした。
「嫉妬だってするし、怒りもする。ただ、なんでもないフリが上手くなるだけだ」

だから、お前だけじゃない。

先生の言葉に、また涙が溢れる。
その私の顔を覗きこみ、ひでぇ顔だなと笑った。
「…じゃあ先生も、あの、さっきのって…」
「ん?」
「その…嫉妬、ですか?」
もごもごと動く唇に、先生のそれが重ねられる。

「…文句あるか」

囁かれた言葉に私は思わず笑ってしまった。
私の涙の溜まった目尻を拭いながら、先生も笑う。
「それがいい」
「え?」
「泣いたって怒ったっていい。でも、最後は笑えよ」
「…はい」

…そのままのお前が、好きなんだから。

その言葉に、一瞬にして幸せな気持ちになる私。
あなたに優しく抱きしめられて、不安も寂しさもなくなっていくのがわかる。

まだ子どもみたいな私だけど。
大人なあなたに追いついてないけど。

いま、実感してるの。

これは、大人とか、子どもとか、関係ないよね。




恋をしている。




end



20110722



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