芽生えはじめたもの


『これ、どうぞ』

スキー教室のとき、そう言って手渡されたカイロ。
握りしめても、今はもう効果は発揮しないほどに固まっている。
なのに私は、それを捨てられないでいた。

あのときの冷たい手にじんわりと広がったぬくもりを、私はまだ思い出せる。

いじわるなままでいてくれてたらよかったのに。
そうしたら、私はこんなに戸惑うことも、心が揺さぶられることもなかった。

スキー教室が終わって数日が経つ。
胸にくすぶった熱は、未だに消えてくれない。

「…直江、先輩…」

屋上で呟いた名前は、誰の耳に届くことなく風にさらわれていった。


「何をしているんです?」

キィ、という音のあとに、聞き慣れた声。
何度となく嫌味を言ってきた、敵対してきた人の声。

なのに私の胸は大きな音をたてて跳ねる。
ゆっくりと振り向いた先には、今の今まで考えていた人が立っていた。

「…あ」
「風邪をひきたいんですか?」
言葉には棘があるのに、口調は優しい。
戸惑い続ける私は、彼を見つめるだけで精一杯だった。
「…聞いてるんですか」
「は…はい」
「何をしてたんです?」
「え、と…」
あなたのことを考えていました、なんて言えるわけない。
「…考え事を、してました」
そう言って、私は彼に背を向ける。

このままずっと見ていたら、何かがおかしくなってしまいそうだった。

「そうですか。まぁ、あなたの考え事なんて、そうたいしたことでもないんでしょうね」
ふん、と笑う直江先輩。

どうして。

言ってることは憎たらしいのに。

どうして、そんなに。

声が、優しいの。

近付いてくる足音。
俯く私の隣で止まり、フェンスに寄りかかる音が聞こえた。
「完全下校時間まで、あと20分ですから」
「…はい」
それを言うことが目的だったのかと思ったのに、直江先輩はそこから動く気配はなかった。
思わず隣を見上げると、彼はまっすぐ私を見ている。
ポケットに手を入れ、言ってみれば『らしくない』直江先輩だった。
「…何か」
「僕も考え事があるんです」
「そう、ですか」

何を考えているんだろう。

彼の瞳は私を射抜くばっかりで、何も教えてはくれない。

無意識に、私はポケットに入っている冷たいカイロを握りしめた。

「寒いんですか?」
「…え?」
「これ、どうぞ」
差し出されたのは、あのときと同じカイロ。
「使ってください。僕はもう帰るだけですし」
ぐい、と目の前に押し出されたカイロを握る。
あの日と、同じもの。
「…ありがとう、ございます」
「どうせ使い捨てですから」

走る沈黙。
ポケットの中の冷たいカイロを握る手に力がこもった。

どうして隣にいてくれるの。

優しくしないで。

…わからなくなる。

「…やめて、ください」
考える前に、勝手に言葉が零れていく。
「優しく、して…意味がわかりません」
「…」
「このカイロだって…私、なぜか捨てられないんです」
握っていたカイロをポケットから取り出した。

ぬくもりが戻ることはもうない。

なのに、捨てられない。

どうしてなのかわからない。

あのときのぬくもりを思い出すと、捨てたくないとまで思う。

どうして私、こんなにも。

「…僕がどうしてここに来たか、わかりますか」
「…へ?」
いきなりの話の転換に、私はつい間抜けな声をあげてしまう。
「実は僕にもわかりません」
「…はぁ」
「理由のない行動に、驚いているところです」
遠くの方を見ながら話す直江先輩の頬が、心なしか赤いような気がする。
そんな彼の横顔を私は見つめた。

「だけど、あなたがいた」

視線がぶつかる。

「僕が来たかったのは、きっとここなんです」
「…どうして」
「わかりません。…けど」
ふ、と優しい笑顔を浮かべる直江先輩。
ドクンと胸が高鳴った。

「あなたに会いたかったのかもしれませんね」

彼の冷たい手が私の頬を撫でる。
目がそらせない。
近付いてくる瞳が、私を囚えて離さない。

私と直江先輩の距離が数センチまでに縮まったそのとき、下校時刻を知らせるチャイムが鳴った。
「…っ」
彼は顔を真っ赤にして私から離れる。
「っ、時間、ですね…」
「直江、先輩…」
「…危なかった…」
ぽつりと呟き、私の手をカイロごと握る。
「ふぇ?」
「帰りますよ」
「…は、はいっ」
思わず彼の手を握り返した。
すると、屋上の入り口で先輩が立ち止まり、私を振り返る。
「あの…?」
「…今はまだ、わからないままでいい」
「……え」

「大事に、しまっておいてください」




芽生えはじめたもの




(ねぇ幸人、京一は?)
(…屋上だ)
(え、なんで?)
(さぁな)
(ふぅん?)
(……無自覚も、厄介だな…)


end



直江先輩は無自覚さん。
自分の気持ちがわからなくてモヤモヤすればいい。



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