きみだけに聞こえて
はらはらと、吸い込まれて。
「ゆ、き」
無意識にそう呟くと、颯斗くんはピタリと動きを止めた。
鼻と鼻がぶつかりそうな距離に、私はおもわず顔をそらす。
「…月子さんは最近、僕を焦らすのが本当に上手になってきましたね?」
「ち、違うよ!雪が降って…」
「ですが、今の僕にはあなたしか見えません」
「は、颯斗くん、ずるい…」
「ええ、僕はずるいんです。あなたのことに関しては」
にっこりと微笑んで、私の頬に手を添える。
一瞬で顔を元の位置に戻されてしまった。
向けられた視線がなんだか熱い。
「でも、今ずるいのは、あなたの方だと思いますよ?」
「う…」
囁くように言われ、頬に熱が集まってるのがわかる。
それでも私は、窓の外に目を向けた。
向けて、しまったのだ。
「…そんなに、雪が気になりますか?」
「え、あ…」
「こんなに近くに、僕がいるのに?」
言葉を返そうと開いた口は、呆気なく颯斗くんに塞がれる。
吐息さえも飲み込まれるような、激しいキス。
言えない気持ちをぶつけてこられてるみたいで、なんだか切ない。
ねぇ、颯斗くん。
こんなキスされたら、私──
「…何を、考えているんですか」
どれくらいの間、唇を重ねていたんだろう。
頭がボーッとして、颯斗くんの声が少し遠くに聞こえた。
「まだ、雪のことを?」
悲しそうな声が聞こえて、私はゆっくりと首を横に振る。
「…颯斗くんの、ことだよ」
「……そうですか」
ほっとしたように呟き、颯斗くんは私をぎゅっと抱きしめた。
いつもより強く抱きしめられてる気がして、彼の背中に手をまわす。
ほとんど無意識に、ぽんぽんと背中を叩いていた。
まるで小さい子をあやすように。
「苦しいですか?」
「ううん」
「……僕は」
「…」
「僕はまた、あなたに心配させていますか?」
咄嗟に答えられなくて、その代わりに背中に回した手に力を込めた。
心配じゃ、ないと思うの。
だって、颯斗くんが自分で決めた道だから。
前を向いて、自分の道を進んでくれた颯斗くんだから。
応援したいって思ってるよ。
ただ、自分に負けそうなだけ。
言わないって決めた言葉が、ふいに零れそうになるだけ。
だから、私は、
「大丈夫」
しがみつくように、颯斗くんの胸に顔を埋める。
「颯斗くんなら頑張れるって、信じてるから」
泣かないよ。
平気だよ。
笑って、いるから。
だから安心して。
「…あなたの“大丈夫”を、僕は信用していないのですが」
抱きしめられたまま耳元で囁かれる言葉に、身体が強張る。
「すみません」
「…」
「…たとえあなたを残していくことになっても、僕は僕の夢を叶えるために行きます」
そう言った颯斗くんの言葉は力強くて、本気なんだと私に伝えているみたいだった。
『あなたを残していくことになっても』
応援したいのに、迫ってくる現実が、私の心に暗闇を落とす。
笑わなきゃ。
笑って送り出すの。
それが私にできる唯一のこと。
間違っても、
「あなたは言ってください」
「…え?」
「僕は残していってしまう立場です。なので…言えませんから」
颯斗くんの指が、私の頬を伝う。
「颯斗く…」
「だから、あなたが言ってくれませんか」
“寂しい”って。
とろけそうなくらいにやわらかい微笑みを向けられ、私の視界はすんなりとぼやけてしまった。
「…笑ってようって、決めてたの」
「はい」
「間違っても、言っちゃダメって思ってたの」
「はい、わかってます」
「…ずるいよ、颯斗くん…」
「言ったでしょう?僕は、あなたのことに関しては、ずるいんです」
ふふ、と笑い、私を抱きしめる腕に力を込める。
「…あなたがくれた夢ですから」
同じように、大切にしたいと思ったんです、と囁いた颯斗くんは、今日一番の優しいキスをくれた。
「…颯斗くん」
唇を寄せて。
耳元で囁く私。
「 、 。」
きみだけに聞こえて。
(よく聞こえなかったので、もう一度言ってもらえますか?)
(…いやです)
(それは残念ですね。僕はもう一度聞きたいのですが)
(……や)
(もう一度。ね?)
(………はい)
そらそら!
卒業後って遠距離恋愛
多くないですか…
とりあえず
ウィーンって遠い!
20110122