溢れた


あいつの手を握ったときに感じたぬくもりだとか、キスしたときの唇のやわらかな感触だとか、意地でも忘れるもんか、って思ってた。
だってそれは、俺とあいつが確かに恋人だったんだってことを、俺に思い出させてくれるものだったから。

この『幸せ切符』もそう。

2枚作ったこの切符が俺の手元に1枚しかないのは、あの日、もう1枚をあいつに渡したからだ。

あの日以来、『恋人』ではなくなった俺たち。
あいつが『生徒』として見せる笑顔に、俺の胸はあったかくなると同時に、強く締めつけられていた。

俺にも笑顔を向けてくれる。
でもやっぱり、同級生たちに見せる笑顔と一緒。
俺はお前の担任で、特別な笑顔を向けられる権利なんて持ってないんだよなって。
そう思って落ち込むこともしばしば。

大切なものほどあっけなく壊れてしまうと知った俺は、臆病になって、自分の弱さを棚にあげて、向かい合うことから逃げていた。
向かい合わないことによって自分を守って、何でもないふりをしていたんだ。
そんな俺を捕まえて、正面からぶつかって、弱さごと包み込んでくれたのは、あいつだった。
俺が持たない強さを、あいつは俺に教えてくれた。

笑顔で別れた俺たちだったけど、悲しくなかったわけじゃない。
たくさん泣かせたし、きっと、あいつは独りで泣くことだってあったはずだ。
そんなときに、傍にいてやれなかった。

一度は手放した手だったけど。

でも、今度は、と思う。

シビアな初恋をしたもんだ。
まぁ、継続中なんだけど。

今日はこれから、卒業して初めてあいつと会う。
卒業式のあとは何かと忙しくなってしまって、落ち着いたのはあいつが学校を出てしまった後だった。
電話やメールはその後にしたけど、直接会うのは今日が初めて。
昨夜は遠足の前日みたいになかなか寝つけなかったくせに、今朝はものすごく早く起きてしまった。
ちらりと時計に目をやる。

…電話。

声が聞きたい、と無性に思った。
寮の部屋を出る前に、携帯を取り出し、どうしたもんかと考える。
あいつは準備の途中かもしれないし、今電話なんかしたら邪魔になるかもしれない。

………

でも、と呟き、俺は画面にあいつの番号を表示させ、通話ボタンを押す。
数回コール音が鳴った後に、明るく鈴を転がしたような可愛い声が俺の耳をくすぐった。
ちょっと慌ててる声からして、やっぱり今は忙しかったのかもしれない。

悪かったな、と思いつつ、うるさい胸を押さえて深呼吸をする。
感動して声が出ない。
なんだ、これ。

『…陽日先生?』

心配そうな声のトーンに、思わず息を飲む。
もう一度俺を呼ぶ声にも応えられなかった。

…声が聞きたかっただけなのに。

たくさん、たくさん言いたいことがあるんだ。

言葉にするには多すぎて、何から言えばいいんだろうって、俺の中をぐるぐる回ってる。

なぁ、夜久。

今日はいっぱい話をしよう。

あの日、止まってしまった恋人の時間を、今日からまた、一緒に過ごそう。

溢れそうな想いをなんとか押し留めながら、そう言おうと思ったのに。

俺って結構、脆かったみたいで。


「…大好きだ」




溢れた。




(い、いきなりすぎます…!)
(わ、わわ悪い!つい…)
(もう……あの、陽日先生)
(ん?)
(『幸せ切符』…今日、使えますか?)
(…ああ、もちろん!)


end



ポータブル版プレイしました!
直獅先生は切なすぎる…

この人だけ、学生時代に
イチャイチャしてない!
健全!


20110112
羊くんの誕生日。






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