ありがとう


扉を開けた瞬間に、耳に届いた破裂音。
その音の元であろうクラッカーを持つ星月学園理事長の奥方様は、ただ驚いている俺の顔を見つめている。
「…何の日だ、今日は」
やっとの思いでそう言うと、彼女は「やっぱり」と言って笑った。



「…誕生日?俺の?」
「そうです!やっぱり忘れてたんですね」
くすくすと笑いながら、月子は料理をテーブルへと運んでいく。
なんだかそれだけで楽しそうな彼女を見て、俺の頬も自然と緩んでいた。

だからか、と月子に聞こえないように呟く。
今朝、出掛けに、今日は早く帰れそうだと伝えたときの月子の顔は、なんとも嬉しそうだった。
最近は帰りが遅い日が続いていたから、そのせいだとばかり思っていたが。
「このためだったのか」
「はい?」
「いや、何も。美味そうじゃないか」
「ふふ。頑張りました!」
コトリと置かれた皿に盛られた料理のいい香りに、普段はおとなしい食欲が刺激された。

日ごと綺麗になっていく月子は、料理の腕も上達してきている。
高校生の時分にはお茶も満足に淹れられなかったのにと思うと、時間の流れを感じた。
あの不味いお茶も嫌いじゃなかったし、飲めなくなった今、少しの寂しさがないわけでもないが。



そういえば、と思い出す。
初めて誕生日を祝ってもらったのは、月子が高校生のときだったか。
郁が教育実習生として来たあの季節。
あのときも、俺は自分の誕生日に対してあまり関心がなかったような気がする。

「俺は成長してないな」
ぽつりと呟けば、月子は不思議そうな表情を貼りつけた顔で俺を見つめていた。
「いや。なんでもない」
「?変な琥太郎さん」
そう言って笑う月子を眺めていると、なんだかあたたかいものが胸に広がっていく。


ああ。
幸せだな。

侑李の気持ちを真っ直ぐに受け入れられなかった俺が、誰かを好きになっていいのか。
幸せになっていいのか。
未だに躊躇いはあるけれど。


「でも料理の前に、まずは…」
ふふふ、と可愛く含んだように笑いながら、月子はテーブルの真ん中にケーキを置く。
ローソクに火を点け、リビングの電気を消した。
「さぁ、消してください」
「ああ」
向かい側の席に月子が座るのを待ち、ふっと火を吹き消す。
ぼんやりと浮かぶ火に照らされた月子の笑顔が暗闇に飲み込まれ、代わりにぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。

「誕生日おめでとうございます!」

俺の生まれた日を祝福する声と音。
火が消えたあとの焦げた匂いと、それに混じった美味しそうな料理の匂い。

すべてが幸せに繋がっているように思えた。



ぱたぱたと小走りで明かりを点けに行く月子の足音を追い、席を立つ。
ぱちりと月子が電気のスイッチを入れた瞬間、俺は月子を後ろから抱きしめた。
「わ、琥太郎さん?」
「……」
愛しい気持ちが湧いてくる。
こうして抱きしめていても、本当に包まれているのは、きっと俺の方なんだろう。

「……琥太郎さん」
ぽつりとやわらかい声が腕の中で響く。
「今、幸せだなって、思ってますか?」
ぎゅう、と抱きしめる腕に力を込め、肯定の意を示した。
ふふ、と小さく笑い、月子は俺の腕にそっと触れる。


もっともっと、幸せになりましょうね。


優しく囁く声。
視界が滲むのがわかり、月子の肩に顔を埋めた。



幸せでいることに、未だに躊躇いはあるけれど。

それでも手放したくないと思えるほどになったのは、俺が月子を幸せにしたいからだ。
そのためには、俺が幸せでいなければならないらしいから。

2人でひとつの幸せを。

泣きそうなくらい、優しい幸せを。

2人で紡いでいけたなら。

「…感謝してる」
「琥太郎さん…」
「……愛してるよ」


言い尽くすなんて、できないくらいに。




ありがとう。




(実は、明日もパーティなんです)
(明日?)
(陽日先生と水嶋先生が来てくれるそうです)
(騒がしくなるな…じゃあ、今日しかないな)
(え…!こ、琥太郎さん!?)
(プレゼントは寝室でもらうことにするよ)


end



琥太郎先生おめでとう!


20111013






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テーマ「人外ファンタジー」
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