答え合わせ
誰に何を言われても仕方ない。
僕はあのとき、確かに逃げてしまったのだ。
「だから、今日は逃げちゃダメだからね?」
そう言うと、葉月は口の端を上げ、彼女たちに近づいていった。
清嘉学院の最寄り駅。
駅前のファーストフード店。
昨日の自分の発言に自分で困惑し、これはもう僕だけではどうしようもないと葉月を呼び出した。
そこまではよかったものの、逃げた僕を散々に罵倒し、お腹が空いたとセットメニューを僕に奢らせ、果てには店内で偶然見つけた彼女と円城寺さんに話しかけるという始末。
確かに休日だし、急な呼び出しに応えてくれたことは喜ばしいところだけど…
はぁ、と小さくため息をつき、カフェオレの入ったカップに口をつけた。
「…大丈夫ですか?」
隣からかけられる声に、僕の動作は一瞬止まってしまう。
…そうだ。
正面で調子よく円城寺さんと楽しげに話している葉月に気をとられていたが、僕の隣には彼女がいたんだった。
忘れていたわけではないが、どうにも顔をそちら側に向けられず、視界に入ってこなかったという落とし穴があって。
右肩には、いやと言うほど彼女の気配が伝わってきていたのだけど。
「な、何がですか?」
「あ、あの、元気がないようなので…!」
「…いえ、別に」
呟くように言い、僕はまたカフェオレに口をつける。
彼女の方を振り向くことができず、ちらりと視線を向けることしか、この状況にいるだけで精一杯の今の僕にはできない。
「……あ」
そう思っていたのに、すんなりと彼女の方に顔を向けたのは、思いがけず彼女の顔に一瞬にして影が落ちたからだ。
「いえ、あの…別に元気がないわけでは!」
「え…」
「少し考え事をしていただけで…!」
あなたに、そんな顔をさせたいわけではなくて…
「…そうですか?」
ほっとしたような表情で微かに微笑んだ彼女の反応に、さっきまで騒いでいた心臓が穏やかに鼓動を刻み始めた。
「…それより、すみません」
「え、何がですか?」
「せっかく円城寺さんといたのに、葉月が強引に…」
「いいんですよ。話があるって呼び出されただけですし、もう終わってますから」
「み、美影!!」
「えー、偶然!俺も話があるって京一に呼び出されたんだよね。もう終わってるけど」
「葉月!!」
火照る頬をそのままに、咎めるように葉月の名前を呼べば、返ってきたのは含んだような微笑み。
隣の円城寺さんも同じように微笑んでいる。
…これはもう、嫌な予感しかしない。
「じゃあ、これから美影ちゃんと俺は作戦会議をするから」
そう言うと、葉月は彼女の前に自分のトレーを移動させる。
「えっ」
「葉月!?」
いいから、と笑いながら僕に2人分のトレーを持たせ、促すように僕を立ち上がらせた。
「ほら、ひめも!」
円城寺さんもいやににっこりとした笑みを浮かべ、困惑しながら立ち上がった彼女に手を振っている。
文字通り、僕らは追い出されるようにして店を出た。
「…すみません、また葉月が…」
「い、いえ!最後は美影も一緒になってましたから…」
すみません、と謝る彼女の顔が、少し赤くなっていることに気づく。
「…大丈夫ですか?」
「え?」
「顔、赤いですよ。具合が悪かったり…」
「い、いえ!大丈夫です!」
そう言いながら、彼女は隠すように頬に手を当てた。
「…本当ですか?」
「ほ、本当です!」
「………」
「大丈夫です!元気ですよ!」
鞄をぎゅっと抱きしめ、訴えるように必死に言う彼女。
「無理はしてませんね?」
「はい!」
「…あなたは、無理をする人でしたから」
ぽつりと呟いた言葉に、彼女は一瞬驚いたように目を見開き、そして何故か嬉しそうに微笑んだ。
「…なんです?」
「いえ、なんでもないです」
ふふ、と笑う彼女に、自分の頬が緩むのがわかる。
以前なら、どうして笑ってるんだとか、きっと腹をたてて彼女を問い詰めていただろう。
『京一は変わったね』
葉月の言葉が頭の中を過る。
…そう思うよ、葉月。
心の中で、僕は答えた。
彼女に対して腹がたつどころか、こうして傍にいるだけで、穏やかな気持ちになっている僕がいる。
普通に話せないかもしれない、なんていうのはただの杞憂だったのだ。
…この笑顔を、ずっと見ていられたら。
そう思うのは、きっと彼女が僕から見て他の女性より可愛いからだとか、そんな理由じゃない。
もっと単純で、それはもう一言ですんでしまうくらいに簡単な答え。
「…今日は、これから何かありますか?」
「?いえ、特には…」
「では、と、途中まで送りますから…」
「え…」
「…少しだけ、遠回りして帰りませんか」
もう、はっきり気づいてしまおう。
いつから導かれていたのかはわからない。
でも、逃げるも何も。
遅かれ早かれ。
彼女を好きになる以外に、僕に道はなかったのだ。
To be continued...