またの機会に
「お仕事が終わったら…部屋に来てください…」
夜中になってしまう、と、やんわり断ったつもりだった。
なにぶん空気の読めないお嬢様は、それでも待ってますと元気よく答えていたけれど。
深夜に男を部屋に呼ぶなんて、彼女はきっとどうかしている。
深くため息をつき、小さくノックすると、まるでドアの前で待っていたのではないかというくらいに素早く開けられた。
「こ、こんばんは!」
「…遅くなって申しわけありません」
「いいんです!は、入ってください…!」
ぐいぐいと腕を引っ張られ、いとも簡単に、俺は彼女のテリトリーに入れられてしまったのだった。
「……?」
入った瞬間、やわらかな香りが鼻腔をくすぐる。
部屋に置かれたテーブルに視線を向けると、ティーセットが目についた。
カップはひとつ。
その横にはクッキーの入ったカゴが置かれている。
彼女は椅子の傍に立ち、自分たちが普段やっているのと同じように、恭しく椅子を引いた。
「…どうぞ」
「……は?」
「どうぞ、柊さん」
頭は混乱していながらも、にっこりと微笑む彼女の笑顔に引き寄せられるように、されるがままに腰をかける。
「今、淹れますから」
そう言って、慣れた手つきで紅茶を用意する彼女。
「………っ」
その姿は令嬢そのものだった。
ピンと伸びた背筋。
しなやかな動作。
普段とは違う横顔。
3年で、彼女は変わってしまったのだろうか。
執事としては、嬉しいことであるはずなのに。
俺の知っている人物でない彼女に、俺はひどく動揺していた。
3年前のあの日、観覧車の中で呟いた言葉は、嘘ではないのだけれど。
「お茶が入りました」
「………あ」
静かに置かれたカップに、もう一度だけ動揺した。
静かな彼女を、パーティ以外で俺は知らない。
「…ミルクティー、好きじゃなかったですか?」
「いや…そういうわけでは」
なかなか手をつけないことを不思議に思ったのか、覗きこんできた顔が不安げに揺れていた。
そうではないという意味を込めて口をつけ、小さく息をつく。
…美味しい。
「…どうでしょう」
「大変、美味しいです」
「本当ですか?」
「ええ」
「よかった…!」
「……なぜこのようなことを?」
嬉しそうに微笑んでいた彼女の表情に、緊張の色が走った。
静かに向かいあって座り、俺を見つめる。
「…私、3年、待ったんです」
「……はい?」
「あの日から、3年です」
「あの日、ですか?」
「…一緒に、観覧車に乗りましたよね?」
ドクン、ドクン。
“あの日”。
俺が“柊薫”になった日。
あの人と決別した日。
そして、あなたに。
「“またの機会”は、まだですか?」
「…っ」
「それとも…もう、忘れてしまったんですか」
泣きそうに歪んだ表情に、胸がつまる。
忘れるわけ、ない。
細やかな所作は俺たちが教えた。
令嬢にさせたのも、変えてしまったのも、俺たちで。
だけど、彼女の内側は変わってなかった。
泣き虫で、優しくて。
弱くて、強い。
何も、変わってない。
ああ、やっぱり。
あなたの傍は。
「…心地いい、です」
潤んだ瞳を見つめたまま、あのときと同じ言葉を口にする。
今度は誰かにかき消されることもなく、きっと彼女に届いただろう。
気持ちまで、伝わってしまえばいいのに。
そんなことを思った自分がいた。
「心地いい、ですか…?」
「ええ」
「それが…あのときに言ったことですか?」
「はい」
「…観覧車が?」
「いいえ、“ここ”です」
「?」
あなたの傍が、ですよ。
そう呟くと、さっきよりも真っ赤になった彼女が俺を見つめ返していた。
「…私も」
「はい」
「とっても、心地いいです」
「…そうですか」
3年前には声にもできなかった言葉を、3年も待ってくれたあなたは、聞いてくれるだろうか。
今度は、すれ違わずに。
好きだと言えるだろうか。
…まぁ、それは。
またの機会に。
(き、今日は無理を言ってすみませんでした…)
(構いません。…ですが)
(はい?)
(他のご兄弟を、こんな夜に部屋に呼ばないように)
(え…?)
(俺だけにしておいてください、ってことですよ)
end
柊さんストーリー
若干ネタバレですが…
一人称が“俺”になったときが
何のかわからないけどピーク!