ありがとう


今日という日は、俺にとっては別に特別なものでもなかったりする。

「…楽しくなかった?」
隣から聞こえた不安そうな声に、俺はスポンジを動かす手を止めた。
視線を向ければ、俯きながら俺が洗ったものを拭いていく月子。
表情は、見えない。
今すぐ抱きしめたい衝動を抑えつつ、「そんなことないよ」と手を再始動させる。
それでも信じてくれなかったのか、月子は食器を洗っている間、一言も話してくれなかった。

哉太の帰った誕生日会後の部屋は、祭りの後の静けさというのか、しんみりとした空気に包まれている。
ベッドを背もたれにして座る月子の隣に、俺は腰を下ろした。
「今日は、ありがとう」
「………」
「楽しかったよ、本当に」
「…本当?」
「もちろん」
月子と哉太が祝ってくれたんだから、と隣に座る彼女を抱き寄せる。
素直に俺に体重を預けてくれる様に、愛しさを感じずにはいられなくて、月子の額にキスを落とした。
「羊からも、今朝電話もらったし」
「…」
「あとは…宮地くんと青空くんも、メールくれたよ。マメだよな、2人とも」
2人の性格が表れてるような文面を思い出し、思わず笑みが零れる。
「……嬉しい?」
「そりゃ嬉しいよ」
「本当?」
「本当」
「………」
まだ納得していないのか、グリグリと頭を擦り付けてきたので、ぐちゃぐちゃになるから、とやわらかい髪を撫でる。
「…ごめん」
ぽつりと謝罪の言葉を零せば、悲しそうな瞳が向けられた。
そんな表情、させたくなかったんだけどな。
「……やっぱり、楽しくなかった?」
「楽しかったよ。嬉しかったのも本当」
だけどさ、と続けると、彼女は先を促すように俺の服を掴む。
俺はその手を握り、もう一度、今度は頬にキスをした。
「申し訳ない気分も、あるんだ」
「どうして?」
「…祝ってもらっておいて言うのもなんだけど…今日は普通の日だと思うから」
そう言った途端に泣き出しそうになる月子を、俺はぎゅっと抱きしめる。
「普通の日なんかじゃないよ…?」
「…そう言ってくれると思ってた」

でもさ、月子。
俺はきっと、月子に会うために生まれてきたと思うから。
お前が生まれることが決まった時点で、俺が生まれるのは『当たり前』で『普通』なことだったんじゃないかなって。

だから、今日より、月子が生まれた日の方が、俺にはずっと特別なんだ。

「…だから、なの?」
「え?」
「錫也は、『おめでとう』って言われるより、『ありがとう』って言われる方が、嬉しそうだった」
ぎゅう、と縋りつくように俺を抱きしめてくれる月子に、愛してるよと耳元で囁いた。

…今日はもう、このまま離れたくないな。
心の中で呟いたと思ったのに、気付けば声にしていたみたいで。
「あ、明日も…学校だよ……?」
「でも、2限からだろ?」
起こしてあげるから、と逃げ道を塞ぎ、彼女の瞳を覗きこんで、無言で本日最後のプレゼントをねだった。

『おめでとう』って言われるほどじゃない。
ただ、一言、欲しいだけ。
月子に『ありがとう』って言ってもらうたびに、俺は生きてる意味を確信できる。
生まれた意味を、胸に刻めるから。

「生まれてきてくれて…ありがとう、錫也」

…そう言ってもらえるなら。
やっぱり今日は、特別な日かも。

「…こちらこそ」




ありがとう。




(…な、なんか…)
(ん?どうした?)
(今日の中で一番嬉しそうだけど…?)
(だって嬉しいもん。月子の2つめのプレゼント)
(ま、まだあげるって言ってな…!)
(はい、いただきます)


end



錫也誕生日記念!

20110701






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テーマ「人外ファンタジー」
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