ありがとう
月子に電話をかけながら、とある建物に足を踏み入れる。
「よぉ。まだ起きてたか?」
起きてたよ、と明るく弾んだような声が返ってきて、俺の頬は思わず緩んだ。
「そ、そうだな。もうちょっとかかる…」
帰宅時間を聞かれ、少しだけ焦る。
音をたてないように細心の注意を払い、時計を見つつ歩を進めた。
「…あ、あのさ…」
目的地に近づくに連れ、だんだんと声のボリュームを落とす。
注意を払えば払うほど研ぎ澄まされていく神経は聴覚をも敏感にしていき、電話口の俺の声が響いていないか、正直、気が気じゃない。
「に、荷物、送ったんだけどよ。それ、時間とか関係なく届くらしい」
その言葉には無理があるだろうと思いつつも、気付くなよ、と心の中で祈りながら、目的の扉の前に立つ。
通話口を一瞬だけ押さえ、目の前にあるボタンを押した。
電話の向こうで、聞き慣れたチャイムの音が鳴る。
「あ、ほら、来たんじゃね?」
こんな時間に?と怪しがる月子を促し、電話を切った。
最後にもう一回、時計を確認。
12時ジャスト。
日付が変わった。
「…ただい」
ま、と最後まで言わせてもらえず、俺の唇が何かに塞がれる。
視界いっぱいに広がるのは、ずいぶんと毛並みのいい体躯をした熊。
の、ぬいぐるみ。
「おかえり、哉太」
その熊のぬいぐるみの後ろからひょいっと顔を覗かせたのは、満面の笑みを浮かべた月子だった。
18日ぴったりに、荷物ではなく俺が届くなんていう計画を見破られていたことに気付き、頬に熱が集まるのがわかる。
「…気付いてたのか」
「ふふ。普通は気付くよ。夜中に荷物だなんて」
「くっそ…」
呟きながら扉の内側に入り、後ろ手にドアを閉めると、月子が俺の腕の中に飛び込んできた。
「お、っと…」
軽い身体を抱き留め、いい香りのする髪に顔を埋める。
「…ただいま」
「うん…おかえり」
しばらく、俺は月子のぬくもりを確かめるようにぎゅっと抱きしめた。
玄関先で何やってんだ、と思わないでもないが、月子の腕も俺の背にまわされていることだし、気にしないことにする。
今は少しでも長く、なんて、2人の想いが重なってる気がして、俺は月子を抱きしめる腕の力を強めた。
もぞもぞと俺の腕の中で身じろぎ、月子は俺を見上げる。
頬が緩んでるように見えるのは、俺の気のせいではないんだろう。
「…プレゼント、用意してあるから」
「お、マジで?」
「料理だって、頑張って作るからね」
「大丈夫かよ…」
「もう!錫也に習ったから大丈夫だもん!」
「なら安心だな」
「哉太のバカ」
「…嘘に決まってんだろ」
…知ってるよ。
撮影旅行から帰ってくるたび、料理の腕が上達してること。
俺のために頑張ってくれてんだなってこと。
「…つか、貰いすぎだな」
「え?」
「プレゼント」
この命を。
その笑顔も、このぬくもりも。
幸せだって。
あの日の決断がなかったら、なかったものだったかもしれない。
そのときも、いつだって、お前は傍にいてくれた。
「…まだだよ、哉太」
「え?」
「私たち、まだまだ幸せになるからね」
きっぱりと、月子は俺に向かって言い放つ。
自信に満ち溢れた、力強い言葉。
ふいに滲んだ視界の中で、月子は優しく微笑んだ。
「泣き虫」
「な、泣いてねぇし!」
「…私が、哉太を幸せにしてあげる」
「それ、俺のセリフだっつーの!」
額と額を合わせ、お互い思わず笑い出す。
クスクスと笑う間に軽いキスを繰り返し、そのくすぐったさにまた笑った。
なんて幸せな、誕生日の始まり。
「…もう寝っか」
「うん。撮影旅行、お疲れさま」
「おう。起きたら撮ってきた写真見ようぜ」
「わぁ、楽しみ!」
いつの間にか足元に倒れていた熊のぬいぐるみを抱き上げ、月子は部屋へ入っていく。
その後を追い、寝る準備に取りかかった。
「おやすみ」
「おやすみ」
木霊のような挨拶を交わすと、月子が俺の腕に頭を乗せてくる。
久しぶりの幸せな感触に、俺は抵抗なんてするわけもなく、目は閉じたまま。
「誕生日おめでとう、哉太」
「……ん」
改めて言われ、なんだか照れくさくなった俺は、寝ぼけたふりで誤魔化した。
ありがとう。
…起きたら、言うから。
end
哉太誕生日おめでとう!
20120318