月の泪を掬うように

 月に一度、満月の夜には密かにお月見会が開かれている。彼女はこれで三度めの参加らしいけれど、わたしは今日が初めてだ。彼女には何も言わなかったけれど、実はわたしは少しだけ緊張している。
「ねえ、美都ちゃん」
 わたしは、ずんずん前を歩いて行ってしまう彼女に声をかけて、少しだけ歩幅を大きくした。美都ちゃんは聞こえているはずなのに、振り向いてもくれないし返事もしてくれなかった。ほんの少しだけ、歩く速さはゆっくりになったけれど。
「ね、美都ちゃん。ほんとにこっちなの?」
 美都ちゃんは答えないまま、わたしの少し前を変わらず歩いていた。もう人通りもなくて、街灯が明るかった大きい通りからはだいぶ外れたところにいると思う。美都ちゃん、どういうつもりだろう。毎月こんなところまで来ているのかな。わたしは美都ちゃんのことが少しだけ心配になった。
「美都ちゃんってば」
「喋りすぎ」
 美都ちゃんははじめてわたしの方を振り返った。
いつもの美都ちゃんだ。美都ちゃんはいつもわたしに「あんまり喋らないほうがいいよ」とか「黙っていれば可愛い」とか、そういうことばかり言う。それが嬉しいわけじゃないけど、今はなんとなくほっとしていた。
「美都ちゃん、いつもこんなところに来てるの? っていうか、どんな人が来るの? 美都ちゃんみたいにわたし、友達も多くないしインターネットにも疎いし、うまく出来るかわかんないよ」
「いいの、あんたはそれで」
「でもさあ」
「いいから。余計なこと言わないで、黙ってて」
「……ごめん」
 わたしたちは再び歩き出した。美都ちゃんはいつもよりわたしにきつくあたっている、ように思えた。いつもの小言とはちょっと違うような気がした。嫌とかじゃなくて、なんだか、そんな美都ちゃんは見慣れなくて、美都ちゃんの身に何か起こっているのかもしれない、とわたしはやっぱり美都ちゃんが心配になった。
「あのさ、夕貴」
「なに、美都ちゃん」
 美都ちゃんはわたしの方を振り返らずに、足を止めることもなかったけど、今日初めてわたしの名前を呼んだ。彼女はなにかを躊躇っているようだった。わたしは美都ちゃんのことでなにか怒ったりしないのに、と心の中で思った。
「……あのね」
「うん」
 珍しく歯切れの悪い美都ちゃんの言葉を私は待った。美都ちゃんは大人っぽくて言いたいこともはっきり言えるひとだけど、実は不器用なところもあるのをわたしは知っている。
 たぶん、この瞬間の彼女の言葉は、今わたしが別の話題を出してしまえばどこかに吐き出されることもなく、彼女の心の中でゴミ箱に入ってしまうものだ。それくらい、彼女は自分の感情をすぐに犠牲にする。
「あのね」
 美都ちゃんがゆっくり息を吐いた。
「お月見会、ないの」
「……え?」
「全部、うそなの」
 ごめん、と言った美都ちゃんはわたしの目を見なかった。わたしは、そっかあと笑った。なんとなく、そんな気はしていたのだ。
「でもこれから、月を見に行くつもり」
「そうなんだ」
「うん。二人しかいないけど、いい?」
「わたしと、美都ちゃん?」
「そう」
 もちろん、いいよ、とわたしは頷いた。美都ちゃんは少しほっとしたような顔で笑った。
 ようやく着いた小さな丘のような場所は、誰にも見つからない小さな秘密基地みたいで、わたしは少しだけ緊張しつつもわくわくしていた。
「美都ちゃん、月、雲に隠れちゃってる」
「今日は風が強いから、たぶんそのうち出てくるよ」
「そっか」
 美都ちゃんはもしかしたら、今日をすごく楽しみにしていたのかもしれない、とわたしは思った。自惚れかもしれない。だけど、わたしと同じくらい、それ以上かも、美都ちゃんは嬉しそうな顔をしていた。
「ねえ美都ちゃん」
「……なに」
「言いたいことあるんでしょ。わたしに」
 美都ちゃんは一瞬だけ驚いたような顔をしてから、そりゃそうか、と呟いた。
「夕貴、わたしね」
「うん」
「……わたしね」
 俯いた美都ちゃんをわたしはぎゅっと抱きしめた。
「言っていいよ。言ってほしいもん」
「……口に出すのは、怖い」
「だってもう、知ってたよ。ずっと」
 美都ちゃんはわたしを抱きしめ返すことはしなかった。
「なら、夕貴が言ってよ」
「だって、美都ちゃん、すーぐうるさい、って言うでしょ!」
 抱きしめたまま、あはは、とわたしは笑う。自分の心臓の音が、うるさいくらいに聞こえた。もしかしたら、美都ちゃんの心臓の音が混ざっているかもしれないなと思った。
「……夕貴が喋ると、可愛いから」
「へ?」
「ほかの人がいるところで、あんまり喋ってほしくなかっただけ」
 思ってもいなかった言葉で、わたしは急に体温が上がったような感じがした。
「美都ちゃん、すき」
 あ、やば、って顔、多分したと思う。わたし。
「ほんとうに?」
 零れた言葉を美都ちゃんが拾って、わたしたちはようやく目を合わせた。美都ちゃんの瞳には、わたしだけが映っていた。
「ほんと。月の光に誓ってもいーよ」
「それは嘘っぽい」
 美都ちゃんは笑って、わたしの背中に手をまわした。遠慮がちに、きゅ、と手に力が込められる。
「ねーえ、美都ちゃんは?」
「ん?」
「美都ちゃんは、言ってくれないの?」
 ちょっと意地悪だったかも、と言ってから少しだけ反省した。
 少ししてから、美都ちゃんが顔を上げて、あ、と声を上げた。どうしたの、とわたしが聞くと美都ちゃんは今まで見た中で一番きれいな顔で、
「月が綺麗」
 と囁くように言った。まるで祈りみたいだ、とわたしは思った。
 もしかしたら、美都ちゃんも月の光に誓ったのかな。そんなことを想いながら、綺麗だね、とわたしも空を見上げた。



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