ちょうどよく煩くてひどく静か
わたしはそこそこに騒がしい空間というものが好きだ。たとえばリビングのテレビから溢れる笑い声、ライブハウスの後方、昼間のカフェテリア。耳に直接入ってくる音と言うよりは、なにか、空気の塊をひとつ介して聞こえるくらいの音が心地よく響くとき、なんだか無性にいい気分になって、眠りたくなるときさえある。よく、電車の中で眠れないというひとがいるが、あれはきっと何かを不快に感じているからなのだろう、と思う。わたしは電車の中ですぐに寝てしまう。雑踏が心地いいから、というのもきっと大きいと思う。規則的な揺れと変わり映えのしないアナウンス、生ぬるい空気。寄り掛かって寝られるから、端っこの席に座るのが好きだ。わたし以外のひとが端っこの席に座りたがる理由は知らないけれど、みんななにかに寄り掛かりたくて、あの席を求めているんじゃないかな、と思っている。
このことを浅見くんに話したら、考えすぎじゃない、と微笑と共に軽くあしらわれた。浅見くん曰く、みんな、出来れば隣にひとが座ってほしくないから端に座るんだという。他の席と違って、片方は人が座らないことが確約されているから。なるほど、とわたしは少しだけ納得した。電車の中でくらい人となるべくかかわらずに生きていきたいという気持ちも分かる。電車の中でたまたま知り合いと出会ったときほど気まずいこともそうそうないものね。どんな顔すればいいのか、いつも迷ってしまう。
……まあ、迷うほど偶然が重なっているわけじゃないんだけど。
「なんの話してたんだっけ?」
わたしが首をかしげると、浅見くんもさあ、と肩をすくめた。
浅見くんは最近茶色く染めた髪の毛を無意識に少し気にしているようだった。浅見くんはもともと色素が薄いほうで、私からしたらそこまで変化したようには思えなかったのだけど、本人は気に入っているみたいだから変な突っ込みをいれるのはやめよう、と決めていた。
とはいえ、前髪、そんなに引っ張ったら禿げるぞ、とか考えるのは許してもらいたいな、ごめんね。心の中だから。きっとこれくらいの思想の自由は許されているはず。
「……なに? そんなに見て」
「ううん、なにも」
わたしは慌てて目を逸らした。どうやら、わたしの視線は気付かれてしまっていたようだった。ちょっと恥ずかしい。あれ、でもわたしが恥ずかしがることなんて何もないよね? もしかして。
「浅見くんさ」
「うん」
「浅見くんって頭悪かったっけ」
「すごい頭いいよ」
「だよね」
「うん」
そんなに自信もってうん、って言えるか普通? と思ったけど事実なので口に出すのはやめた。負け惜しみに聞こえたら負けだ。
「なんで補修来てるの」
たぶんわたしにお笑い好きの幼馴染がいたらここで「補習中に喋んなや!」と突っ込みを入れてくれると思う。お笑い、詳しくないから分からないけど、幼馴染もいないから知らないけど、でも多分、そう。
「テストの日、休んだから」
「なんで?」
わたしの知る浅見くんは真面目で、風邪でもテストを休まないようなひとだ。
「姉貴が、」
死んでさあ、と、浅見くんはさっきと殆ど変わらない声色で言った。わたしは少しだけ、しまった、と思った。聞いてはいけないことを聞いてしまったみたいに急に心臓が激しく動き出した。
どっどっどっ。
血が流れるのと一緒に、全身から汗が噴き出しているような感覚を覚えた。
「……そ、なんだ」
ほかに何か。言うことがあるでしょう、とわたしは自分自身を責めた。だけど肝心な時に言葉と言うのはなにも出てこないもので、こういう時になにを言えばいいか、二次関数よりも先に教えてよと少し苛立ったりもした。矛先を外に向けるのは、楽だから。
「うん。葬式、はじめて行ったなあ」
浅見くんは淡々としていて、怖いくらいだった。思えば、彼が髪の毛を少しだけ明るくしたのもテストが明けてからのことだった。
「そういうときも、補修、受けなきゃいけないんだね」
「それは俺も思った」
葬式、行ったことある? と浅見くんがわたしに聞いた。わたしは一度、おばあちゃんのお葬式に行ったことがあるはずだけど、記憶があまりないので「行ったことない」と首を振った。
「立野、たぶん葬式好きだよ」
「……え」
「葬式場でさ、心地よくなって寝てそう」
そんなことない、と言おうとして、やめた。
どきっとした。
少しだけそんな自分が想像できたし、葬式場の静かな騒がしさはきっとちょうどいいだろうな、とも思った。
「葬式場で寝るのは死んだときだけでいいよ」
そんなこと思っていなかったけれど、言い訳のようにわたしはそう言って笑った。確かに、と浅見くんも笑ってくれた。
「もし俺が死んだらさ」
浅見くんが真面目な顔で言うから、わたしはぼんやり、歪んでるなあと思った。
「うん」
「俺が死んだら、葬式で寝てていいよ」
「……分かった」
お葬式は親族しか入れないんだよ、とわたしが言ったら浅見くんは
「分かってるよ」
と真面目な顔で頷いた。
「そっか」
「うん」
わたしは浅見くんのそばに一生いる自分のことを、少しだけ想像した。
「浅見くんより先に死にたいな、わたし」
そういって二人だけの秘密みたいに静かに笑って、それから、補修なんて寝ちゃえ、とわたしたちは机に突っ伏した。