大人の階段

「ねえパパ」
春海は背中越しに父親の孝義に声を掛けた。
春海は分厚い本をさらさらと捲っていた。孝義からすれば、文字を追うスピードは普通の人よりもかなり速いように思う。
「どうした?」
孝義はギターの弦の調節をしつつ、春海に尋ねる。
「私ね。明日でもう15歳なんだなって」
「……そうだな、大きくなったな」
目を細めて笑う。
「何言ってるの、まだ子供だってば」
「……」
間髪を入れずに春海は孝義の言葉を否定する。自分で「もう15」などと言っておいて、矛盾している。子供とは、娘とはそんなものなのだと、何処かの本に載っていたような気がする。
これが普通だ、と言い聞かせて堪える。
「でね、これからはパパって呼ぶのをやめるね。お父さんって呼ぶから。それから……」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ」
「何?」
怪訝そうな顔をした春海に、孝義は口をつぐんだ。特に変なことを言われたわけでもない。ただ、少しだけ嫌な予感がして、だから止めたのだ。

「あのね、私、2ヶ月前から付き合ってる男の人がいるの」
嫌な予感は的中した。
一人娘の春海のことは、自分が一番よく知っている。一番愛している。そう思っていただけに、自分の知らない春海の世界が無限に広がっている気がして、少し怖くなる。
「今は大学受験期でね。あんまり会えないんだけど、たまにカフェで勉強会したりするの。私が一方的に教えてもらうって感じなんだけどね、大学受験なのにごめんねーって。でも、いいよって笑ってくれてね、……」
孝義にも幸せな春海を応援したい気持ちはある。当たり前だ。
けれど、全ての感情がイエスと言っているかというとそれは嘘だ。父親の性である。
「パパはな、春海」
「ん?」
「春海に幸せになってほしいと思ってる。だから、歳上だろうがガキだろうがそれは自由だ。けどな」
息を吸う。
自分が繰り返してきた挫折が、蘇るようだった。
「自分がしなきゃならない選択を、他のやつに委ねたりだけはしないでくれ。な?」
「……わかった」
「ところで、キスはもう済ませたのか」
「はあ!?」
みるみるうちに春海が赤面していく。これはしてるな、なんて孝義は何故か冷静になった。
「まあ、どんなに頑張っても本当のファーストキスはパパだからな、安心しろ」
「なにそれ、いつの話してんの。キモいんだけど」
言いながら笑う。
この心地良さは、歳とかそんなものは関係ないんだと、春海は思った。

「12時」
「うん」
「15歳おめでとう、春海。はいこれ。誕生日プレゼント」
「え、これ……」
差し出されたのは、少し古い、春海には馴染みのあるギターだった。さっきまで、孝義が調節していたものだ。
「ま、練習していつかライブでもするか」
「……ばかじゃないの」
「そうかもな」
笑うと、春海は泣き笑いのような顔で孝義のギターを抱いた。カードを押さえて少し弾いてみると、案外大きな音で2人で目を瞬かせる。

「……ライブ、してもいいけど」
「え?」
「でも、その時は大人になって、パパよりギターも上手くなった時だから!」
春海の宣言に、孝義は胸が一杯になった。
ライブがどうしてもしたかったわけじゃないのだ、本当は。けれど、そうやって春海に言ってもらえるのが嬉しかった。春海がなんだかんだ自分のことを大好きなのが分かっているから、余計ににやついてしまう。
「そうだな。……で」
「ん?」
「パパって呼ぶのはやめるんじゃないのか?おちびちゃん」
にやつく顔を冗談で誤魔化してそう言うと、春海の顔はみるみる赤くなった。

「……パパの馬鹿!」


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