鈴原センパイと雲居くん
初めてできた後輩、それが雲居だった。ただそれだけだ。多分。
中学、高校とエスカレーター式に進級できるうちの学校では、部活も中学一年から高校二年までみんな一緒に活動していて、だから、雲居とは四年間、毎日のように一緒にいたってわけだ。部活はサッカー部で、うちのサッカー部は弱かったから人数も少なかったし滅多に表彰もされなかったけど、それでも少人数なりに、皆で切磋琢磨しながらやってきたつもりだ。レギュラー争いの忙しい隣の戸森高のやつらよりも縦の絆は強かったと思う。そんなところで張り合ったって、試合で強くなきゃ意味ないんだけど。
雲居はサッカーが上手かった。入った時からそうだ。小学校のころ、少しだけクラブに入っていたと言っていたけど、詳しくは知らない。あまり、昔の話はしたことがなかった。はじめ、同じポジションになったことでおれたちは仲良くなった。他愛もない話もしたし、好きなバンドのCDも貸し借りしたりして、普通の先輩後輩よりは仲良くなった。おれが部長になってからは、同級生から雲居を贔屓しすぎ、なんて言われてたけど、実際、雲居が上手いのだから贔屓でもなんでもない。いちおう、部活とそうじゃない時の区別はしていたつもりだし。
「あーあ……」
「和樹センパイ、ため息つきすぎ」
「だってさあ……」
おれはもう一度大袈裟にため息をついて机に突っ伏した。ファミレスは丁度よく雑音が響いて、気を紛らわすのにはちょうど良かった。昼の混雑タイムが終わっても、店内にはまだ客が沢山いた。遠くで鳴る呼び鈴の音が聞こえて、店員さん大変だなあなんてぼんやり考えた。
「ほんと、まさか先輩に食事誘ってもらえるとは思ってなくてビックリしたんですよ、俺」
「ごめんな、いきなりで」
「いいですけど。なんで俺? って思ったけど、俺は和樹先輩のこと大好きなんで全然。あ、今日もカッコいいっすね!」
「どーも……」
山本はニコニコ笑いながら頷いた。昨夜本当にただの気まぐれで食事に誘ったら、二つ返事でオーケーされた。忙しいんじゃないのか、と思ったけど、おれは人のことをとやかく言える立場じゃない。山本はすごくおれのことを慕ってくれているから、呼び出せば来ないわけがないのだ。それを自覚したうえで呼びつけたくせに、忙しくないのかなんて、おれにそんなことを言う資格はない。
「で、どうしたんです? 先輩はとりあえず雲居を誘うもんだと思ってましたけど」
「おれ、あいつとサシで飯食ったことない」
「はあ? 変な冗談っすね」
「ほんとだって」
またまた、と山本は笑って流した。おれも何だか面倒になって、はは、と軽く笑った。
「じゃ、ほんとに今日は俺だけのためなんすね。雲居の代わりじゃないんだ」
「山本は山本じゃん」
「まあそっすけど」
人の代わりばっかやってるんで、と山本はまた笑った。おれは笑えなくて小さく「そっか」と呟いた。
「最近、どうよ部活は」
「どうって、言われても……あ、中一が十人も入ってきたんですよ。しかもみんな強いの。俺たちもうビビっちゃって」
「何言ってんだよ、流石に中一には負けねえだろ」
「そうですけど、ここからまだ五年も伸びるって考えたらなんかすげえなあって思って。まあでも、高山とか雲居とかは逆に燃えるって言って、高校のメニュー超きつくしてるんですよ。最近」
「あ、そっか。部長は高山になったのか」
「雲居だと思いました?」
「うーん、いや、そんなことないけど」
「そうなんだ? 先輩はてっきりずっと目をかけてきた雲居に自分の後を継いで部長になってほしいのかと思ってましたけど」
違うんだ、と山本はこちらを見た。
「……雲居は部長にならなくても仕事回されるっしょ」
「あー、まあ、確かに」
「だから、いいんだよ。責任まで負わなくたって」
脳裏に一年前の自分の姿が浮かぶ。雲居にはおれみたいになってほしくないというのが本音だった。仕事も、試合でも活躍しているのに、そのうえ部長なんてやらなくていいんだ。雲居は。先生の機嫌とったりOBとアポとったり、そういうのは、エースの仕事じゃない。
「自分は全部やってたくせに、よく言う」
「やってたから、やめろって言えるんだよ」
「うわ、説得力ハンパない」
「だろ」
まあ、ただのおれのエゴかもしれないけど。可愛い後輩たちには、やっぱり辛い思いとかはさせたくないじゃん。
「雲居、元気? 最近」
「知らないんですか? ほんとに喋ってないんだ、雲居と」
「まあ……もう引退したし」
話す機会がなくなれば話さなくなる。それだけのことだ。
「えー、そんなもんですか?」
「そんなもんだよ」
所詮、おれはただの先輩。
それに、おれは雲居と距離を縮めるのが少し怖い。
「センパイ?」
「……なんでもない」
「雲居となんかあった?」
「なんにも」
喧嘩するほど仲がいいとよく言うけれど、喧嘩なんてしたこともない。勿論それはおれが先輩で、あいつが後輩だからだろうけど、おれ達は多分一生このままでしかいられない。ずっと、先輩と後輩のまま。
「なあ、山本」
「はい」
「大学に入れば、年齢が違っても同級生になることもあるし、就職だって一〇歳年上の人が同期の可能性もあるじゃん。そういう時、別にその人と親友になれないってことはないじゃん」
「そうですね」
「おれはさ……多分、雲居と一生の友達になりたいんだよ。先輩とか後輩とかじゃなくてさ。だけど」
「自信がない?」
何もかもお見通しだとでも言うように、山本が言った。山本はおれと考え方が似ているから、言いたいことが分かったのかもしれない。おれも、分かってくれると思って、山本を呼び出したのかもしれない。
「雲居は、おれのテンションに付き合ってくれてるだけなのかなって思ったら、申し訳なくなってきちゃって。あいつさ、結構パーソナルスペースに入れてくれるまで時間がかかるじゃん。もしかしたら、おれが強引に入っていっただけで、あいつはホントはおれのこと苦手だったりするんじゃないかな、とか思って」
「センパイ、変なとこでネガティブですよね。笑える」
「笑うなって」
「真剣に聞いてほしいんですか?」
「……別に」
ならいいでしょと山本は言って、それからおれの手をいきなり握った。
「――じゃあ、俺にしとけば」
山本の低めの掠れた声が耳元で囁く。顔が一気に熱くなった。思わず見開いてしまった目と、山本の眼が至近距離で合う。おれは慌てて目を逸らして、それから誤魔化すように大きな声を出した。
「は、はあ!?」
「俺だったら先輩の親友になれるよ。一生、一緒にいてあげる。強引なところもカッコいいと思う。どう? ……コイビトになってあげてもいいし」
距離を縮めたまま、山本は見たことのない顔で微笑む。握られたままの手に視線を落とすと、さらに恥ずかしくなった。
「な、何言って」
「なんてね。冗談」
「は?」
パッと手を放される。笑顔も、いつものだ。おれは冷や汗をかくのを感じた。なんだこれ。
「やだなあ先輩、マジにしないでよ。――それとも、俺に惚れちゃった?」
「惚れてない!」
「センパイ、雲居には申し訳ないとか色々言うくせにおれには遠慮ゼロですよね。ま、役得だけどさ。……ね、先輩?」
「……何」
「雲居って、モテるんですよ」
「え?」
「いつまでも先輩のカワイイ修司くんじゃないってこと。一番側に置いときたいならさ、自信なくてもちゃんと会って話しなよ」
「別におれは……」
「だから、そういうのはいいんだって。何にも行動しないくせにうじうじ悩んでたら、そのほうが嫌われますよ」
じゃ、そろそろ帰りましょう。どうせ聞きたいことはもうないんでしょ? 山本はそう言うと立ち上がった。山本はちょっと怒ってるみたいだった。どうしてだろう、と思ったけど聞いちゃいけないことだけは分かった。
「大学入ったら奢ってやるから」
「えー。今日は?」
「割り勘」
「先輩の方がいっぱい食べてたでしょ!」
「冗談だって。仕返し」
「……ずるいね。先輩って」
個別会計を済ませて、おれたちはファミレスを出た。もう夕方で、あたりは暗くなりはじめていた。
「今日はありがとな、山本。また連絡するわ」
「先輩」
「ん?」
「次会う時は、返事してね」
「え? 何の」
「告白」
じゃあ、と山本は手を振って駅の雑踏に消えた。おれはその場に取り残されたと気付いてから呆然とした。
返事って。告白?
「マジかよ……」
あーあ、おれが仕向けたみたいなものじゃん、こんなの。おれは情けなく呟いて、その場にしゃがみ込んでため息を吐いた。