身勝手な願い

十月の夜は少し冷える。昼間は容赦なく照り付ける太陽も、冬が近づくにつれて沈むのが早くなる。夜空を見上げれば、まだ七時だというのに真っ暗で、星がまばらにきらきらと瞬いていた。
「せんぱーい、待ちました?」
ぽん、と肩を叩かれると同時に聞きなれた元気な声が僕に声をかけた。今来たところと伝えれば、その男――高槻は安心したようにニッコリ笑った。
「良かった。最近、夜は結構寒いから」
「はは、このくらいじゃ風邪なんてひかないよ」
「そうかな」
オレは先輩を心配してるんですよ! そう言って高槻はふん、とそっぽを向いた。
高槻は高校の頃の後輩で、特に同じ部活だったとかそういうわけじゃないけれど、卒業しても仲良くしている後輩の一人だった。初めて話したのは多分、僕の最後の体育祭だったと思う。二人ともリレーの選手で、僕が高槻からバトンを貰って走ったというだけだ。
「ご飯どうします? 最近ちょっといい居酒屋見つけたんすけど……」
「いいね。そこにするか」
「お、やった。近いんで歩きで行けますよ」
行きましょ、と高槻は僕の前を楽しそうに歩き出す。高槻とは月一くらいのペースで会っていて、後輩というよりは何でも話せる親友みたいだ。一緒にいて居心地のいい相手なんてそうやすやすとは見つからないから、僕はラッキーというか、なんというか。
「それにしてもお前はいつもいいとこ見つけてくるよなあ。ツテでもあるわけ?」
尋ねると、高槻はないですよそんなの、と言って振り向いた。
「先輩のために探してるんです〜」
「え、マジで?」
「マジです」
真顔で言ってから、高槻は僕の顔を覗き込んでにやっと笑った。
「あっ嘘ついたな!」
せっかくちょっと感心したのに。そう思いながらなぜか僕の顔にも笑いがこみ上げてくる。高槻を見ているとどうしてだか怒る気にならない。これも昔からだった。
暫く夜の細い道を進むと、一軒の居酒屋があった。ここでーす、とバラエティのリポーターよろしく僕に笑顔を向けてくる高槻を軽く小突く。いてえ、と全く痛くなさそうな声で騒ぎながら高槻はその店の引き戸をガラガラと開けた。
いらっしゃい、と店長らしき人の渋い声が響いた。中は丁度よい雑音に溢れていて、何となくほっとする。カウンター席に座ろうとすると、高槻がこっち、と僕を連れて奥の方の個室に入った。
「なんで居酒屋で個室なんだよ。合コンでもする気か」
「しませんよー、合コンなんて。変なこと言うなあ先輩」
高槻はにこにこと機嫌よさそうに笑っている。僕も特にカウンターに拘っていたわけでもないから、素直にその椅子に座った。
「個室のある居酒屋も珍しいな」
「そうなんですよ。あと、店長特性のから揚げが超旨いんすよ」
「いいね。頼もう」
「先輩ならそういうと思いました」
から揚げ好きすぎません? と笑うので、美味しいんだからいいだろと言い返した。
店員に生ビールとから揚げ、それからおつまみを数種類注文すると、その若い店員は注文を繰り返してから一礼してこちらに背を向けた。居酒屋の店員にしてはマジメだなあ、なんて思っていたら、高槻がその子を呼び止めてなにかを耳打ちした。僕からは何も聞こえなかったが、その口角が上がっているのは見てとれた。
今度こそ店員が個室から出ていくと、高槻は何事もなかったかのように座りなおした。
「……」
「いやあ、楽しみっすねから揚げ!」
「ちょっといい、ってこういうことだったんだな」
「え?」
「あの子、いい子そうだし高槻には勿体ないくらいだよな。まあ、お前は顔はいいんだしちょっと優しくされたら落ちるんじゃないか」
僕が笑うと、高槻は眉をひそめた。僕と高槻の間に微妙な空気が流れる。あれ、何か変なこといったかな。むしろ褒めたように思うんだけど。
「――ま、いっか」
「はあ? 何のことだよ高槻。僕は何も良くないんだけど」
「後で分かるんで!」
その空気を壊すように高槻が明るくその場を収めたので、僕はしぶしぶそれに乗っかった。ビールとおつまみが運ばれてくると、僕と高槻は乾杯、とジョッキを合わせた。
「それにしても久しぶりっすね。あれ? そんなこともないか」
「一カ月前にも会ってるからな」
「月一って、遠距離の彼女みたい! ぎゃはは」
高槻は綺麗な顔に似合わない爆笑をした。何が面白いのか、僕にはよく分からない。
「そういえば、高槻は彼女出来たのか」
「そういう先輩は?」
「……質問に質問で返すのは良くない」
「あー、いないってことかあ」
「ばっ……! 今は忙しいだけで」
反応を見るに、高槻にも彼女はいないらしかった。ああでも、そうか。この店の店員の女の子を狙ってるんだっけか。
僕はと言えば今は彼女より家政婦、家政婦より仕事のアシスタントが欲しいという感じで、しばらくは彼女なんてできそうもなかったし、作る気もあまりない。
「から揚げお持ちしました〜」
から揚げが運ばれてくると、僕は年甲斐もなく顔が緩んだ。から揚げの味は人によって意外と違いが大きい。これはどんな味がするんだろうかと考えるだけでわくわくした。まあ、高槻のおすすめなんだから十中八九間違いないだろう。
食べてみるとしみ込んだ醤油とソースの味が口いっぱいに広がって、思わずため息が零れた。断じてから揚げのために生きているわけではないが、この瞬間は生きててよかったと確実に感じられる。幸せだ。
「ふふ、先輩はほんとにから揚げ好きですねえ」
「お前は食べないのか? 冷める前に食べたほうが」
「先輩に全部あげますって。っていうか、今日は全部オレのおごりなんで」
高槻はさらっとそう告げて、残りのビールをぐっと飲みほした。
「はあ? なんでまた。聞いてないぞ」
「今言いました。それからね、先輩」
高槻がおもむろに立ち上がって個室の外の店員を呼ぶと、先ほどの女の店員がかわいらしいショートケーキを持ってきてテーブルに置いた。丁寧にそれを置いた後、彼女はさっきと同じように一礼をして個室からすぐに去った。
「ちょ、ちょっと待て。なんだこれ」
「あ、歌った方がいいですか?」
「はあ!?」
何のことだ、と高槻に食って掛かると、高槻はそんな僕を無視していきなり歌い出した。
「……そういうことか」
その歌はだれしも聞いたことがある、年に一度の誕生日を祝うものだった。
「おめでと、先輩」
「完全に忘れていたよ」
「ええー、マジすか? もう途中でばれたかと思ったのに」
先輩、的外れなこと言うからさあ。高槻はまた笑った。
「プレゼントはなにが良いですか?」
「うーん……」
色々とあまりに唐突で、つい考え込んでしまう。
「あ、今じゃなくてもいいですけど――」
「あ、そうだ」
「何かありました?」
「うん。敬語」
え、と高槻が目を見開いた。
「お前さ、そろそろ敬語やめない? お互い社会人なんだしさ、もう先輩も後輩もないだろ」
「え……と」
高槻は戸惑ったように俯いて目を泳がせた。いつもは驚かされる側だから、ちょっとだけ気分がいい。
「お願い、何でも聞いてくれるんだろ?」
「……ええ、まあ」
「ええまあ、じゃないでしょ」
「……うん」
急にしおらしくなった高槻を見て、僕の顔がにやける。うん、だって。変な感じだ。
「先輩って呼ぶのも無しな」
「じゃあ何て呼べばいいんで……いいんだよ」
「何でもいいけど。康太でいいんじゃん? 沖田って呼ばれるの、何となく慣れないし」
苗字は歴史上の人物を想像されて、呼ばれるたびに知らない人にこっちを見られたりするからあまり好きではない。
「康太?」
「そうそう」
僕は満足げに頷いた。
「じゃ、ケーキ食べますか!」
「康太」
「んー? なんか緊張するな、それ」
くすぐったさを感じて、僕はまた笑った。
「――もう、いいよね。康太」
「へ?」
「オレ、これまで我慢してきたけどさ。黙ってても気付いてくれないみたいだし。それとも気付いててそんなこと言ってんの?」
「な、何が」
「好き」
その瞬間、僕はまず高槻の顔を見て、それから手元のケーキを見て、もう一度高槻の真面目な顔と目を合わせた。事態の把握と共に顔が耳まで熱くなる。
――なんだこれ。
「えー……っと、高槻?」
「正樹って呼んでよ。康太」
呼べるか! 僕はそう叫んでこの場から離れたかったけれど、なぜか縛られたみたいに動くことができなかった。
「……ねえ、だめかな」
高槻は少し自信なさげな、悲しそうな表情を目に浮かべていた。違う、そういうわけじゃないんだ。悲しませたいわけじゃない、けど、高槻は僕の一番の後輩で、親友で、これからも一生仲良くしたくって。そういう意味なら僕は高槻が大好きだよ。だけど。
「呼んだところで、高槻が悲しくなるだけだよ」
「だめなんだ、やっぱり」
「親友としてなら、いくらでも呼ぶよ」
「ひどい人だなあ」
高槻は酷く傷ついたみたいだった。どうして早く気付けなかったんだろう、と僕は黙ってしまった高槻を前にして考えた。いつから僕を好きだったんだろう。どうして僕だったんだろう。好きになってあげられないのに。
「正樹、帰ろう。送ってくから」
「――友達扱いってことね」
「ほら、早く」
だけど、申し訳ないけど僕は友達としての高槻を失いたくない。その好意を使っても、僕は高槻とこれまでみたいに一緒にいたいんだ。残酷と言われても何も否定はできない。
居酒屋を出ると、高槻がこちらを見てきっぱりと言った。
「送らなくていいし、今後も定期的に会う。店もオレが決めるから」
ああ、よかったと思った。高槻の明るい口調に僕は安心して、頷いた。
但し――と高槻が付け加える。
「次からは、落とす気で行くから。ちょっと優しくすれば、落ちるかもしれないしね」
そう言って、高槻は流れるような手つきで僕の唇に軽い口づけを落としてニヤリと笑った。顔が一瞬で熱くなる。高槻はぼくの反論も許さないうちに僕に背を向けた。
「じゃあね。康太」
名前のところを強調されて、どきん、と心臓が鳴った。

――ちょっとやばいぞ、これは。





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