運命の君

朝七時。俺は半ば職業病のようにその時間ぴったりに目を覚ました。身体に掛けていた薄いブランケットを剥いで体を起こすと、その振動で隣に眠る智が少し顔を歪めた。
そうだった、今日は智がいるのだ。
「まだ寝てていいよ、智」
聞こえていないだろう、と思いながら智に小さく声をかける。智は夢でも見ているのだろうか、緩みきった顔で目を閉じていた。
幸せそうな智の寝顔をずっと見ていたい気持ちはあったが、今日は仕事のある日だ。俺はベッドから足を下ろして、できるだけベッドを揺らさないように細心の注意を払いながら立ち上がった。確認すれば、智の表情は柔らかいままだった。
アイロン済みのワイシャツの袖に腕を通し、ベルトが付いたままのスラックスを履いてクローゼットの中のネクタイハンガーからネクタイを取り出す。紺がいいか、それともダークレッドの新作か。少しだけ迷った末、俺は紺色のネクタイを取り出して締めた。
初夏の昼間の気温は30度になるというが、朝はまだひんやりとしていて長袖のワイシャツが丁度いい。窓を開ければ涼しい風が部屋の温度を一瞬にして下げたように感じられた。昨夜の熱をまだ帯びたままの部屋には丁度いいと、俺は自嘲気味に感じた。
朝は食べないが、智は成長期だから起きてきたら朝ごはんを食べるだろう。俺はお湯を沸かして保温ポットに移し、キッチンにあるパンの袋を机の上に移動させた。
家を出る時間になって、部屋を覗いてみると智はまだぐっすり寝ているようだった。
今日は学校じゃないのか、と言いたくなったがそれをとやかく言う資格は俺にはない。俺は、行ってくると智の頭を軽く撫でて部屋を出た。玄関の鍵を開け、ドアノブに手をかけたところで智の足音が廊下に響いた。
「遼、仕事?」
気怠そうな声が耳に響く。智はまだ少し寝ぼけているみたいだ。ふらふらとした足取りにこちらが見ていて不安になる。
「仕事だよ。智は今日は学校休み?」
「まあね。土曜だし」
「俺の時は土曜も学校だったんだよ。ないならいいけど」
机にパン出しといたから、と伝えると智は頷いた。お湯も沸かしてあると言ったら自分は朝いらないくせにと笑われた。
「あのなあ。俺はお前を思ってやってるんだから笑うなよ」
「ハイハイ。ありがと、遼。朝の手間が省けて嬉しいよ。あっ、もしかして昨日のこと反省してるの? やり過ぎたって」
鋭い発言に心臓が早くなる。よろめく智を心配するのも、結局はそれが原因だった。確かに、昨日のことは正直もう思い出したくない。何時もより酔っていたとは言え、記憶がないということもなく朝になった今でも鮮明に覚えている。普段は智を傷付けまいと優しく、ゆっくりと事を進めることを自分に徹底していた。ただでさえ俺たち2人には許されないことなのだ、なのに。
「……悪かった」
「僕は気にしてないんだよ? っていうか、気にしてるのは遼だけでしょ」
「気にしてないってお前なあ」
俺たちは兄弟だぞ。そう言おうとして飲み込んだ。言ったら終わりの度胸試しみたいなものなのだ、これはきっと。
口をつぐんだ俺を見て、智は俺から少し目を逸らした。顔が少しだけ赤い。
「ほんとだって。……いつも、ああしてくれて良いのに」
「馬鹿か」
「馬鹿じゃないよ」
もう子供じゃないんだ。智はそう言い放った。イヤイヤ俺からすればまだお子様だ、と俺は脳内ではそう自分に言い聞かせながらも、真っ直ぐ此方を見て激しくしろという智に少しだけ嗜虐心が芽生えた。
朝から何を考えてるんだ、俺は! 急に目が覚めたように恥ずかしくなる。早くこの場からいなくなってしまおうと、俺はドアノブに手をかけた。
「……行ってくる!」
「日付変わる前に戻ってきてね」
智に返事はせずに扉を開く。さっきまで涼しかった風は太陽の強い日差しを取り込んだ生温い空気になって俺の体じゅうにまとわりついた。俺は日光に目を凝らしながら、駅の方へ向かって歩いた。
すっかり葉を付けた桜並木は、この季節には良い日除けになる。暑さを感じつつも、地面で揺れる木漏れ日を朝から見られるのも悪くはない。何にしても今は気を紛らわせたいのだから、それには充分な風景だ。――いつもなら。
どうして今日に限って頭から離れないのだろう。昨日のことも、今日の朝の智の顔もだ。駅までの道は十分ほどで、無心で歩くには平坦すぎるし、かと言って何か有益なことを考えつくには短すぎる。そうなると、結局何となく頭にあることをそのまま考えてしまうことは必定だ。無性に腹が立つ。こんなことを望んではいないのに。
これは運命だ、と思った。運命なんて字面じゃ良いように考えられそうだけれど、こんなものは悪趣味な冗談にもならない。できれば避けて通りたい運命だってこの世にはあるものだ。よくある漫画のように俺たちが義兄弟であったならどんなに楽だったことか。
「日付が変わる前に、ねえ」
素面でマジメに抱けってか。どんな顔で? シャワーを浴びる間も、その日の夜だってその次の朝だって、どんな顔をすればいいんだ。苦しいだけだ、そんなのは。
けれど、今のままということもいずれ立ち行かなくなるのも分かっているのだ。そうしたら、その時はどうなるんだろう。俺も智も、他の人を好きになったことがない。だから、この関係を運命と形容した。しかし運命は必ずしも幸せなものであるとは限らないのだ。
けれど、それでも気持ちを押し込めて智を捨てるような気には今はなれそうもなかった。少なくとも、歩いているだけであいつのことを考えてしまうようなうちは。
「――飲まずにいられるか、これが」
案外と家を出る直前の智の言葉は俺に効いている、と思わず苦笑した。あいつの言葉に力があるのか、それとも惚れた弱みなのかは分からないけれど、どちらにせよだ。
駅に着いた俺はラッシュの混雑に耐えるべく、考えるのをやめた。


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