わたしたち王牙学園の生徒にとって、バダップさまの名前は「完璧」の代名詞といえる。かっこよくて、頭がよくて、将来有望株のバダップ・スリードさまの名前を知らない人はいない。そしてまたわたしの名前も、「どうしてバダップさまの彼女になれたのかわからないような子」という補足付きで全校生徒に知れわたっていた。まったくうれしくない、けど、本当のことなのでわたしは反論なんて到底できやしなくて、今日も陰からこそこそと投げ付けられる嫌みに耐えなきゃいけないのだ。


・・・・・


いつものようにやって来る明日はバレンタインデーで、王牙学園は士官学校ではあるがやっぱり女の子たちはみんなピンクいろの話に花を咲かせている。その話の中によく出てくる名前は、さすがというべきかミストレーネさまがとても多い。しかしエスカさまだって負けてない。そしてわたしの彼氏であるバダップさまはというと、ミストレーネさまとエスカさまを足したものと同じくらいだ。


「おかしいよね……君もそう思うだろう?」

ミストレーネさまは静かに、けれどはっきりとイライラを表にだして教卓のまん前の椅子に座っている。うれしいのかうれしくないのか微妙なところだけれど、わたしは一番成績の良い国語の授業だけエスカさまやミストレーネさま、それからバダップさまと同じクラスだった。もちろんバダップさまの近くに座るだなんてことはなく、わたしはいつもバダップさまから遠く離れたはしっこの席にひっそりと座るのだが。

「君もそう思うよね?エスカ」
「さあな……」
「大事なことだ真面目に聞きなよ!」

エスカさまはミストレーネさまのイライラと同じくらい、めんどくさいという雰囲気をさりげなく、しかしはっきりとにおわせて話をしている。「どうしてバダップが俺よりも……バダップには彼女がいるじゃないか」「あのちんちくりんの#苗字#なまえが」ミストレーネさまは一言よけいである。わたしはなんだかバダップさまに申し訳なくなってうつむいた。ごめんなさいごめんなさいと心の中でつぶやく。それはもちろん誰にもきこえることはなくって、わたしの心のなかに黒いかげを落としていくだけだった。なんていうんだっけ、こういうきもち、えっと……


・・・・・


「惨めじゃないのかい?」

今は夜9時34分。消灯時間まであと1時間30分といったところだ。各々明日の準備をしたり、早い人はもう寝てしまっていたり。みんな自由にすごしているわけで、わたしだって部屋でのんびりしていた。そんなときにドアが壊れるんじゃないかってくらいの音で叩かれたうえに、その客人が王牙学園の3トップのひとりであるミストレーネさまだったらだれだってとんでもなくびっくりするだろう。しかしわたしがよほど変な顔をしていたのだろうか、ミストレーネさまはドアを開けたかっこうのまま固まってしまっている。「なにがですか……」わたしがしばらくして状況を理解して言葉を発すると、ようやくミストレーネさまも口を開いた。

「まわりからの扱いだよ、仮にも君はあのバダップ・スリードの彼女だというのに」

ふん、と顔をそむけてミストレーネさまはいうけれど、そんなの仕方ないじゃないか。いまさらそれが変わるわけでもないし、わたしに変えられるとも思えない。わたしが告白したあの日から状況は全く変わってないんだから。そもそも、みんなが不思議に思っているなんでわたしが彼女でいいのかってことも、わたしが一番知りたいに決まっている。あの日、わたしは偶然放課後の教室でバダップさまに出会ってしまった。言葉を交わせるのもこれが最初で最後だろうと思って、つい、告白してしまったのだ。まさかバダップさまが頷くだなんて思ってもみなかった。わたしはミストレーネさまにずいと近寄る。はやく帰ってほしかった。

「別に、もう慣れましたから」
「じゃあ明日のバレンタイン・デーは?」
「あげませんよ、バダップさまなら他の可愛い女の子からたくさんもらえるでしょう」
「やきもち?」
「ちがいますよ」
「ふうん、じゃあ……あれはなに?」

ご丁寧にわたしの肩の上から、わたしが隠そうとしていたキッチンを指差してミストレーネさまはにこり、いやにやりと笑った。キッチンにはチョコレートや薄力粉、牛乳や卵などブラウニーの材料がある。「ぶ、ぶらうにーの材料ですけど」「誰にあげるの」「別にだれでもいいじゃないですか」「へえ……?」にやにやとわらうミストレーネさまに、わたしはいやな予感しか感じない。

「ちょっとケーキが焦げたようなにおいがするねえ」

やっぱり。ミストレーネさまは心底いやなひとだと思った。そう、わたしが焼いたブラウニーは焦げてしまったのだ。わたしはミストレーネさまがくるまで部屋でのんびり、というよりも、その焦げてしまったブラウニーとむきあっていろいろ考えていた。3回目なのに、やっぱりわたしはなにをやってもうまくいかないな、となかばあきれてしまったような面持ちでブラウニーをじっと見つめていた。インターホンが鳴ったときにとっさに隠したのできっとここからは見えないけれど、においまでは気が回らなかった。

「バダップにあげればいいのに」
「いえ、いいんです、別に」
「焦げてたっていいと思うよ?」
「べ、べつに、ほんとにいいんです」
「素直じゃないなあ」

わたしを押しのけてミストレーネさまは外履きのまま部屋へ入る。「ね?」なにがね、だ。わたしは頷くのもしゃくで、くちびるをかんでミストレーネさまをにらみつけた。

「おいで、バダップの部屋まで連れてってあげる」


・・・・・


「なんで黒いんだ」
「あ、う、……その」

怒るというより、不思議でたまらないというような顔でバダップさまはいう。わたしはうううと言葉につまって下をむいた。仕方ないじゃないか。そりゃバダップさまはなんでもかんでも完璧にできるのかもしれないけど、わたしは練習したってこれなんだから。やっぱり来るべきじゃなかったのだ。ミストレーネさまに口答えなんてできないけど、それでももう少し止めるべきだった。

「……焦げちゃって」

ぽいっとなげすてるようにわたしが言うと、バダップさまはまたわたしとブラウニーを交互に見る。元凶のミストレーネさまはというと、あまりのバダップさまの無関心さにびっくりしたのかさっきから黙ったままだ。きっとミストレーネさまはわたしたちがまわりに知られてないだけでラブラブなんだろうとか思ってたんだろうけど、そんなわけない。

「なんでこんな時間に?」
「……食べたくなって……?」

むなしい。まるで尋問だ。バダップさまは納得しているのかしていないのか、腕組みをしたままやっぱりなにも言わない。もういい、というかもういいことにしてほしい。もともとわたしたちが付き合っているってことがおかしいことばっかりだったんだから、こんなところですんなりうまくいくわけもないのだ。もう帰ろう、ミストレーネさまには謝って帰ってもらおう。「すいません」、もう、帰ります。

「そうか、」

なら俺が焼いてやろう。

「は」

ハモった。ミストレーネさまとわたしが。バダップさまはそんなわたしたちには構わずもういそいそと準備を始めている。キッチンの戸棚からボウルやゴムべら、パウンドケーキの型までもが取り出されている。バダップさまが相変わらずの真剣な表情のままで料理器具を扱うその風景はなんだか不思議すぎてよくわからなかった。

「えっ、ちょ、」
「なまえ、材料はあるか」
「あ、はい、あるにはありますけど……」
「もらっても構わないか」
「は、はい」

勢いにおされてついつい返事をしてしまった。そのあとわたしは一旦部屋に材料の残りを取りにかえって、ミストレーネさまは寝不足は肌にわるいとかもうめんどくさくなってきたとかで自室へ帰られた。結局とばっちりを受けたのはわたしだ。私の部屋の3倍はあろうかという部屋で国語の授業よろしくちんまり正座をして、バダップさまのブラウニーが出来上がるのを待っていなきゃならなくなったのだから。居心地のあまりよくない部屋で無言でまつことおよそ1時間。チョコレートの良いにおいとともに運ばれてきたのは、まるで雑誌に載っているおしゃれなカフェのものような、やっぱり完璧なブラウニーだった。しかも聞けば思った通り、つくったのははじめてだというじゃないか。やっぱりバダップさまだ。できないことなんてなんにもないんだろう。

「食べるか」
「は、はい」

バダップさまはブラウニーを小さく切ってフォークにさす。遠慮がちに受け取って小さくお礼を言うと、バダップさまはやっぱり真剣な顔のままこくりと頷いた。大きなテーブルの上にならぶふたつのブラウニーはまるで月とスッポン。バダップさまのブラウニーを横にならべてしまったおかげでさっきよりもよけいひどく見えた。これを食べたら、謝って帰らせてもらおう。そしてわたしはぱくりとブラウニーを口にする。チョコレートのあまい味が口の中にひろが

「うぇっ、っぶ!」

らない!なにこれ、口の中がひりひりぴりぴりする。後味はにがい、のにからい。なにこれ、おいしくないにもほどがある。いったい何をまぜたらこんなものができちゃうのだろうか、わたしのだって決しておいしいとはいえないけれど、それでも原材料がおなじとは到底おもえない。これならまだわたしのほうがさすがにマシだ。

「ば、ばだっぷさま……これ」
「まずいか」
口の中がまだいたい。バダップさまはめずらしく頭の上にクエスチョンマークをうかべている。しかし私は涙目だ。まずいとかまずくないとかの問題じゃないのだ、これは。どうして見た目はものすごくきれいなのにこんな味に、だってこれ、あのバダップさまがつくったのに。

「おいしくない、っていうか……」
「なんだ」
「ええと……おいしくない、です……」

こんなことを言うのはもちろんためらわれた。だってわたしの目の前にいるのは「あの」バダップさまなのだ。全校生徒がおそれ、敬愛し、将来はこの国を引いていくであろう軍人、そしてわたし自身もなぜだかわからないけれど、わたしの彼氏。なんでも軽々とこなしてしまう、超能力者よりもすごい力を持った彼氏である。

「そうか」

ふむ、とバダップさまはあごに手を当てて机の上のブラウニーをみつめる。「毒見はしたのだがな」テーブルの上には、さっきと変わらずべちゃりとつぶれて焦げているわたしのブラウニーと、生クリームとハーブがのったバダップさまの見た目だけ完璧なブラウニーがならぶ。バダップさまはくるりと無駄のない動きでわたしにむきなおった。

「まあ、いいんだ」
「へ?」

バダップさまはまたいつものような真剣な顔で、「このケーキはミストレーネにやろう」とブラウニーを切ってラッピングをはじめる。わたしはさっきのバダップさまの言葉を理解できない。いいんだ、なんて妥協するなんてバダップさまらしくない。わたしがもんもんと考えている間にもてきぱきとブラウニーは包まれていく。「俺は完璧じゃなかったな」バダップさまはやっぱりまだ淡々とした声でいう。わたしはううっとことばにつまった。バダップさまの料理以外のことを考えれば、料理なんてとるにたらないもののような気もするけど。バダップさまはやっぱり見本のように結ばれたきれいなリボンを整えながら、また言葉を続ける。「だとすると」、そしてすこしだけ、でもたしかに頬をほころばせた。

「お前がいれば完璧だな」


いちばん甘いのは、チョコレートじゃなくてバダップさまだったらしい。








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