私とお弁当箱

各駅停車の四人掛けの席で、私はお弁当箱とお話した。真っ昼間で、誰もいないのぼり電車だったから気にせず声を出してお話した。
お話相手のお弁当箱は、中身のからあげがなんと一晩冷蔵庫に入れてあったそうで、お箸でつつくと小石のように固かった。
お弁当箱のお話は耳に痛かった。

「小学生のころ、九時前には寝るようにって母親はとても厳しかった。私は十時のドラマを見たかったのに、もう寝なさいって母親は決して許してくれなかった。でもそれだけだった。それ以外には、なんの不自由もない生活をしてた。好きなものをいっぱい食べた。好きなだけ寝た。好きなだけ母親に抱きついた。中学生になってからは、夜更かしもするようになった。小学生のころの反動で、午前五時に寝るのが当たり前になってた。夜中の番組が妙におもしろかった。くせになってた。それが今になっても抜けない。気がつけば骨がすかすかになってた。ほんとうにおどろいた。ほかにも身体のなかにはたくさんの異常があるんだろうと思ったらそれだけで寿命が縮みそうだった。私は自由だったから、自分の意志でこんな生活を続けてきたから、誰のことも責められないことに気がついた。後悔しても遅かった。あまり考えないようにしてるけど、私は一晩冷蔵庫に入れたままのからあげなんだと思うと、どうしようもない、やりきれない気持ちになるの」

車窓の景色は真っ白だった。なにも見えずに、車内のアナウンスだけが電車の通った道筋を知っていた。

「分かります」

私はうなづいた。

「…ほんとうに?」

お弁当箱がいらだたしく訊ねる。

「だったらあなた、いくつよ」
「19です」
「うそ。もう一度考えて」
「…18」
「ほらね、だって、あなたまだ、くさくないもの。お弁当くさくない」

私は、お弁当の独特なにおいが好きではなかった。ごはんと、おかずがねっとりと混ざり合った、なんともいえないお弁当のにおい。
お弁当箱本人(箱?)も、自分のにおいは好きではないらしかった。

「19じゃないあなただから、まだこのお弁当はおいしく食べられるはずよ」
「うそですよ、だって私、いま胃のなかがぐにぐにうるさいもの」
「不安事があるの?」
「そりゃあ、ありますよ、誰にだって。お弁当箱にだって、ぐちりたいことがある世のなかなんでしょう?もう真っ白だ、でたらめ」
「それでも、お弁当箱なんかとお話してくれたんだから、あなたはおいしいって思えると私は思う」
「いやいや、言ってる意味が分からない。むしろ、お弁当箱のお話は耳が痛くて私は嫌いだ」
「18歳ねえ」
「…ばかにしてるでしょ」
「ねえ、からあげ、からあげ、食べてみて」
「どうして」
「おいしいから。絶対、きっと、おいしく食べられると思うから」
「お箸おってもいい?」
「手掴みでいいよ。誰だってね、人に話せばすっきりするようにできてるの。あ、もちろん人の悪口を言ってはだめよ。からあげが、ますます固くなって、冷たくなるから」

私は、18歳の私は、お箸でからあげをつまんで、口に入れた。
ほんとうは、私がもうすぐ誕生日だということを知っていてくれたことが、ほんのすこしだけ、うれしかったのだ。

「…やわらかい」

からあげを一つ口にすると、お弁当箱はそれから何も話さなくなった。白い景色がからりと晴れる。
車内アナウンスが、いつもごちゃ混ぜの駅名を呼び、それにあわせて電車は静かに動きをとめた。人が一気に流れ込んでくる。人間の世界である。
私は、お弁当箱のふたを閉じた。
お弁当の独特なにおいが私を囲んでいた。窓の景色は快晴で、私はやわらかいからあげをゆっくりと飲みほした。





2012/12/03

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