5000hit | ナノ

鼻歌を歌いながら、水たまりの中へ飛び込んでみる。びちゃりと跳ねかえった泥水が服についたけれど、それも先程までの豪雨のせいで汚れていて今更なので気にもならなかった。ふんふんと続ける鼻歌に、数歩後ろを静かについて来ていたリゾットが無表情で声を掛けてきた。



「まるで子供だな」
「いいでしょ、楽しいから」
「そうか」
「そうだよ」



短い会話を繰り返しながら、少しずつ家への距離を縮めていく。実はついさっき訪れた公園で、リゾットと些細な喧嘩をしてしまったのだ。本当に小さなことなのだけれど、譲れないものはあって、それが少しばかりヒートアップしてしまったのだ。どちらが悪い、と聞かれればそれは答えられないくらいどうでもいいことだったのだけれど、こうやって今、彼と私の間に見えない小さな溝を作ってしまうくらいには威力があった。

謝ればいいだけなのだ。どちらが悪とかはどうでもいいから、仲直りをすべきなのはわかっている。わかってはいるのだけれど、妙なプライドを保つために心はそう簡単に口を開かせてはくれなかった。だから今、無表情とはいえ話しかけてくれたリゾットには結構驚いていたりする。

意を決してリゾットを振り向こうとした視界の端に、小さな男の子と柄の悪いオジサンがぶつかるのが見えた。そのせいで視線はリゾットにはたどり着かず、そちらの方へと向いてしまった。



「ご、ごめんなさい……」
「ボクぅ、これなあ、結構高いスーツなんだよ。親はどこだ?あぁ?」



泣きそうな顔で謝る男の子に対して、決して子供に向けていいようなものではない凶悪な表情を浮かべたオジサンが詰め寄る。見かねた私は、慌てて男の子とオジサンの間に割って入った。



「ちょっと、謝ってるんだからもういいじゃないですか。小さな男の子になにして、」
「おい嬢ちゃん、テメェに用はねェんだ。すっこんでろ」
「嫌です。小さな子にそんな態度取るもんじゃないですよ」



ぎろりと睨みつけてくるオジサンに怯みそうになるが、後ろで震えている男の子のことを考えると今更引くわけにはいかなかった。どうしようか、と少し思案していると、目の前のオジサンがいつまでたっても退く気配のない私に痺れを切らして殴りかかろうと動いていた。考える方に意識を集中しすぎていたせいで一瞬反応が遅れてしまい、もう手遅れというところまで拳は迫っていた。うおおグッバイ無傷の私、なんて呑気に考えていると、オジサンの拳をぱしりと受け止めるようにして横から手が割って入った。
あまりに見覚えのありすぎる腕に、さっきまでリゾットとデートしていたことを一瞬にして思い出した。あ、怒ってるかも。



「オレの連れがすまなかったな。なんだ、スーツが汚れたのか?」



口調は穏やかで服装も居たって普通のものだが、滲み出るオーラとその顔つきはどう見たって堅気の人ってものじゃなくて、オジサンも怯えているように見えた。いやなんでもない、とどもりながら答えたオジサンに、それなら失せろ、と冷たく言い放ってリゾットは掴んでいたオジサンの手を放した。転がるように逃げて行ったオジサンの後姿を見送りながら、やっぱりリゾットは格好良いな、なんて思ってしまう。ふと服の裾を引っ張る感覚があって、男の子を庇っていたことを思い出して、振り返って男の子の目線に合わせてしゃがんだ。



「大丈夫だった?」
「うん、グラッツェ!お姉ちゃん!それからお兄ちゃんも」



元気よくお礼を述べる男の子を微笑ましく思っていると、横から手が伸びてきて男の子の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。



「気を付けて遊べよ」
「うん!じゃあね」



グラッツェ、ともう一度言ってから走り去っていく男の子を見送っていると、今度は伸びてきた腕が私の腕を掴んで引き上げた。そのままの流れで抱き締められて、一瞬心臓が跳ね上がる。



「何度言ってもお前は聞きやしないな。余所の子供なんて構わなくていいだろう」
「うるさい。そんなこといいつつリゾット優しいじゃない」
「それはお前にまで危害が及びそうだったからだ。危ないことに首を突っ込むんじゃあない」



さっきの公園でしたのとほとんど同じような内容に、少しうんざりする。けれど、先程とは違って入って来た私を心配する言葉
のいくつかに、そんな感情はすぐに消えてしまった。現金だなんて、いまさらだ。

ごめんなさい、と素直に謝ればリゾットは優しく私の背中を撫でてくれた。なまえが怪我をしなくて何よりだ、と機嫌よく帰ってきた声に、思わず私の頬も緩んでしまう。本当に、優しい人だ。

喧嘩のことも含めてもう一度謝ると、そっと腕が緩んで抱き締められたまま向き合う形になってしまった。そして近づいてきたリゾットの顔に目を閉じれば頬に柔らかい感触があって、続いて可愛らしいリップ音が聞こえた。オレもすまなかった、と謝るリゾットの首に腕を回して、首を振れば、そっと頬に当てられた手にもう一度見つめ合う。目を合わせて笑い合って、唇を重ねた。その時にリゾットのフード越しに、淡い七色の架け橋を青空に見止めた。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -