スカートの裾を押さえ、もじもじと内股で後ろを歩く少女の姿を振り返る。きっと睨み付けられ、再び前に向き直りながら、大助は今朝のことを思い出す。
 朝、いつまでも起きてこない亜梨子を起こしに行った。それだけだ。
 普段と違う、ことの始まりはそれだけだった。

「ひああ?」
 これ以上ないほど両の目を見開き大助を凝視していた亜梨子が、おかしな声を出した。
 畳の上に敷かれた布団の上で顔を真っ赤に染め、パジャマの襟元を慌てて隠している。べつにボタンが外れていたというわけでもないのに。
 ――なんだ、この中学三年生の女子みたいな態度は?
 一之黒亜梨子はホルス聖城学園中等部の三年生であるし、もちろん女子だ。が、これが真っ先に思い浮かんだ正直な感想なのだから仕方ない。
 それほどまでに、普段の行いや態度が中学三年生の女子らしくないということで、そこは本人に反省し改めてもらわなくてはならないだろう。
 ピクリ、発作を起こしたように大袈裟に肩を震わせる。
 彼女はオロオロと周囲を見回した後(身を隠すものを探していたのかもしれない)、毛布を羽織ってパジャマを隠した。
 少年を見上げた亜梨子の瞳には涙が滲んでおり、大助に負けないくらい動揺している。
「お、おい……? ち、ちょっと待て……なんだ、その反応は?」
 なんだ、この可愛い反応は?
 年頃の女の子らしい態度に、思わず本音が出かかった。
 とどめに、亜梨子の表情だ。
 恥じらいに赤く染まった頬はもちろん、頼りなさそうに眉をハの字に下げて、大きな黒い瞳が涙で揺らめいている。
 出会った時から変わらない、快活そうなポニーテールが解かれていることも女らしさの拍車を駆けた。
 一瞬目を奪われ、そのことに気付いた大助は「相手は亜梨子だぞ」と奥歯を噛む。
「顔が赤いぞ、お前。熱でもあるんじゃ」
「ひああああ」
 あの亜梨子が顔を赤くしているんだ、これしかない。と思ったのだが、違ったようだ。
 再び喉の奥からおかしな悲鳴を上げ、後退る亜梨子。
「あ、後退るな! まるで俺がお前に何かしたみたいな――そうか、新しい嫌がらせだな?」
「ひ――」
「よし分かった! もう近づかない! 線引いたぞ、ほら、な? だから悲鳴を上げるのだけはやめろ! 色々とややこしいことになる! シャレにならない嫌がらせだけはやめろって、普段から言ってるだろうがっ!」
 上げかけられた三度目の悲鳴を遮り、捲し立てる。
 これ以上おかしな態度をされたら叶わない。今度は大助がじりじりと後退する。
「寝ぼけてるのか……?」
 今の亜梨子に、どんな態度で話し掛けたらいいのかわからない。
 距離を図りかねながら、それしかないだろうとおずおずと言い放った。
「亜梨子」

 それから、亜梨子は普段通りの様子を取り戻した。
 つい先日“さくら”から受け取ったロッドに対する注意もあり、大助はあまりにらしくない彼女の様子に、まさか彼女自身ではないのではないかと疑いも持ったのだが――単に、寝ぼけていただけのようだ。
 それにしても、まだ寝ぼけているんじゃないだろうな?
 一之黒邸を出た亜梨子が言った、「このスカート、少し短すぎないかしら?」という言葉を思い出しながら、そう思う。
 いつも下着が見えることもお構いなしに蹴りを入れてくるくせに、今更何を言っている。
 今思えばようやく女らしく振る舞う気になったのか、と喜ぶべきところだったのだろうが、さっきは動揺し過ぎてそれすら思い付かなかった。
 というか、普段が普段だけにいざこんな態度を取られるとこっちの方が対応に困る。
 ……破壊力。
 そう、破壊力抜群なのだ。
 男としての理性や、ただの同居人やただの監視対象などといった、今まで構築してきた二人の間に存在するもの全てを砕いてしまう、そういう破壊力を今の亜梨子は持っている。
 いつものはしたない姿とのギャップに、戸惑いが隠せない。跳ねる鼓動を、抑えられない。
 幸い、特環の局員として、動揺を表に出さないようにすることくらいはできる。落ち着き払ったフリをして、大助は足を動かす。
 もう一度後ろを振り返り、亜梨子を見やる。当たり前の如く睨まれた。
 何故か拳を握り締めていた亜梨子を横目に、大助はその少女の言い付け通り前を向く。
「なんか、怒ってんのか? 俺が何かしたか?」
「え? お、怒ってはいないわ」
 これも違うか。
「そうか。……それならお前が拳を握りしめて、俺の手に狙いを定めてる理由を訊いてもいいか? 今度は直接攻撃か。言っとくが、いつまでも反撃しないと思ってたら痛い目に遭うぞ」
「そ、そう。言葉責めに限定されるわけね。この変態。ゴミ以下の、えーと」
「むりやり悪口を付け足すくらいなら黙ってろ。綺麗な顔のままでいたかったらな」
 亜梨子の言葉が切れる。
 不審に思い後ろを振り返ろうとしたところで、「と、とにかく、振り返ったら殺すわよ」と言われてしまい、前を向いているしかなくなってしまった。
「握りしめた拳をこう、ここね、この尖った部分を眉間に三ミリほど埋め込むわ」
「具体的に言うな。本気丸出しで怖い。なんで振り向くことさえ許されないんだ、俺は……」
 恐ろしい想像を抱かせる言葉を聞いているうちに、どうしてか安心している自分がいた。
 さっきすれ違った、高校生らしきカップルが脳裏をちらつく。
 ……もしあのカップルのように手を繋がれたら、どうしようかと思った。
 その時こそ、本当に、何もかも破壊されていたかもしれない。



「槍型の様子がおかしい?」
 ああ、と大助が頷くと、“霞王”が呆れ顔で屋上のフェンスに背を預けた。
「今の話しだけだと、のろけ聞かされてるようにしか思えねぇんだけど。要するに槍型がてめぇを意識し始めて、そんな槍型の態度にてめぇも戸惑って気まずくて仕方ないってだけじゃねぇか。ヨカッタデスネー」
 何故か苛ついている様子の“霞王”の言葉に、大助は眉を寄せる。
 正直、心にしこり続ける違和感さえなかったら、その通りでぐうの音も出なかっただろう。
 今でもあまり間違っていないように思えてならない。
「……茶化すなよ。こっちはマジで話してんだからな」
「じゃあ何だ? やっぱりそのロッドのせいで、槍型自身じゃないとでも言うつもりかよ。あり得るのか、そんなこと?」
 う、と言葉を詰まらせる。
「元々イレギュラーな“虫”だ。亜梨子の身体が乗っ取られたことだって、一度や二度じゃない。あり得ないことじゃあないだろ」
「なら、オレ様が戦ってみてやるよ。それでわかんだろ」
「やめろ。花城摩理だって保証はないんだぞ。そんなことして、もし亜梨子だったらどうするつもりだ」
 フェンスから背を離し、今にも校舎の中へと歩いて行きそうな戦闘狂をたしなめる。
 舌打ちして、面倒くさそうにしながらも“霞王”が従った。再度フェンスに腰掛け、不機嫌そうに眉を潜めている。
「まあ、適当にカマかけてみればなんとかなると思うけどな……いざとなったらお前も呼び出す。ほっつき歩いてるんじゃないぞ」
「あ、おい。カマかけるったって、どうすんだよ」
 屋上のドアに手をかけようとしたところで呼び止められ、大助は頭を掻く。
 確か、今日は体育があったはずだ。そのあとにロッドを盗み、亜梨子の反応を見れば――判断もつくだろう。
 正直で、嘘の下手な亜梨子のことだ。きっとロッドがなくなったとなれば、俺に気付かれないように更に慌ててそわそわと挙動不審な態度を取るに違いない。
「反応を予想できるくらいには、アイツの行動に慣れちまったもんでな。こんだけ近くで見てたんだ、多分わかる」
「……」
 “霞王”が眉間の皺を濃くした。
 不思議に思い、「どうしたんだ?」と問いかけてみてもお前と話す口はないとばかりに黙ったままだ。
「やっぱりのろけてるだけなんじゃねぇか。馴れ合ってんじゃねぇよバ“かっこう”」
「は? いきなり何言って……おい!」
 低い声でそれだけポツリと呟いてから、“霞王”が大助の横を通り抜けて階段を降りていく。
 表情は前髪に隠れていて読み取れなかったが、不可解な程機嫌が悪かった。
 訳わからん。強い風が吹き抜ける屋上に一人残された大助は、乱れた髪を押さえながら校舎に入った。
 “霞王”の言葉を思い出す。
 確かに、言われてみれば、亜梨子の様子は俺を意識し始めたように見えなくもない。
 今朝からの様子に、ときめいてしまったことも認めよう。
 けれど……絶対的に違う気がするのだ。
「のろけ……ねぇ」
 そんなつもりは、これっぽっちもないっつーの。



 体育の授業が終わるなり、大助は即座に着替えを済ませて早足で教室に戻った。
 扉を開く。
 中に誰もいないことを確認し、教室に踏み込んでから後ろ手で扉を閉めた。
 鞄がかかった机に近付き、もう一度教室を見回す。
 鞄に伸ばしかけた手が、躊躇して止まる。
 いくら監視対象、いくら亜梨子と言えど、女の子の鞄だ。勝手に開けたらマズいということくらい、誰にでもわかる。人目を盗んでそうする様は泥棒のようだし、ストーカーじみているとすら思う。
 彼女に対する疑惑を晴らすためとは言え、こんなことしていいものかと躊躇いが手を止めた。
 だが、もし大助の考えが当たっていたとしたら――
 そのままにする訳にはいかない。
 手っ取り早く、気付かれず、かつ確実にわかる方法はこれしかない。
 あまり時間がかかっても、クラスメートが戻ってきてしまう。壁にかかった時計の針が音を立て、大助の背中を押した。
 鞄のふたの留め金に指をかける。
 中をのぞき込むと、教科書とノートが目に入った。それに隠されるようにして入っているポーチは、男が見てはいけない物だろう。見なかったことにして鞄の奥に手を突っ込む。
 コツン、と指先に硬い感触が伝わった。
 銀色のロッドだ。亜梨子の二の腕ほどの長さのそれを取り出し、手早く教科書などを元の位置に戻す。
 鞄のふたを閉め直すと、大助が教室に入ったときそうしてあったように、机の横にかけ直した。
 手の中にあるロッドを自分の懷に隠し、終了。
 壁の時計を見上げる。
 三分と過ぎていない。そろそろクラスメート達が戻ってくる頃だろうと自分の鞄に手をかけ、何事もなかったかのように次の授業の準備をし始めた。
 男子から順番に、続々と教室に戻ってくるクラスメート。続いて恵那や多賀子と共に教室に入ってきた少女の姿を見つけ、その行動を視線で追う。
 机に向かい、机にかけた鞄を開け――少女の顔が強ばった。
「そ、そんな……どうして――」
 そこにあるはずのものがないことに気付いたのは明白だ。
 挙動不審に視線をさ迷わせている少女に背後から近付き、肩を掴む。
「亜梨子? 何してんだ?」
 ……さて、どう返す?
 ビクリと背筋を伸ばし、振り向いた少女の顔は、間違いなく亜梨子だ。その顔だけは。
 ロッドの影響が出るかもしれないとは言え、他の人間の意識が入っている可能性があるとはにわかに信じがたい。
 ……できることならば、亜梨子であって欲しい。
 けれど、次の瞬間。少女はそんな大助の心中を読み取り、まるで安心させるかのように、いつもの屈託ない笑みを浮かべた。
「なんでもないわ。次の授業の準備をしていただけよ」
 ロッドがなくなったことなどほんの少しも態度に出さず、にっこりと微笑む。
 いつもの、一之黒亜梨子のように。
 笑いながら、あまりにも自然に嘘を吐く少女の姿に、抱いていた疑惑を確信する。厄介なことになったと思うと同時、どこかホッとして亜梨子の肩を引っ張った。

 そこにはもう、今朝感じた破壊力はない。







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