広大なイベント会場の一角は、戦闘を繰り広げたせいで壁には大きく亀裂ができ、床には崩れ落ちた瓦礫が山を作っている。見るも無惨なその状態は、もはや原型を留めてはいなかった。
 どうするかと悩む暇もない。元々立ち入り禁止区域だ。問題になるからこそ、知らないふりをして早々とこの場から立ち去ってしまおうということで亜梨子と大助の意見は一致した。

 腰が抜けて立ち上がることができない亜梨子を、大助が背負って歩く。
「あんまり心配かけんなよ」
「心配、してくれてたのね」
 そういえば急いで来たと言っていたっけ、と亜梨子は思う。
 先程は色々とあってよく気が付かなかったが、ハルキヨへの怒りようといい、ひどく焦っていた気がする。
「当たり前だろ。……一応、お前を監視してるんだから、下手にうろつかれると困るのはオレなんだよ」
 言い訳のように付け足された言葉が、少年の照れ隠しなのだということはなんとなく気付いていた。
 出会ったばかりの頃こそ血も涙もない、悪魔のような男なのかと思っていたが、今思えば、それは亜梨子が大助のことをよく知らなかったからそう思っていたのだろう。
 わかりにくく、ひねくれた態度ばかり取ってはいるが、大助なりに心配してくれていたのだと理解する。
「そうよね〜ご主人様の安全を心配するのは、奴隷の義務よね?」
「耳をつねるな……っ、落とすぞテメェ!」
 亜梨子は笑う。
 そんな風に言いつつも落とす気配がないのは承知の上だ。なんだかんだ言って、大助は優しいのだから。
 茶化してはいるけれど、亜梨子は嬉しかったのだ。
 大助が、自分を心配していてくれたことが。
 誰か他人を心配する。そんな単純なことを、今までの大助はしようとしていなかった。いや、心配していないふりをしていたと言った方が正しいだろうか。
 虫憑き。
 一号指定の悪魔。
 そう言われているからといって、人の心がわからない訳じゃない。何でだろう、と亜梨子は大助の身体を抱き締める。何で、そんな簡単なことが、皆わからないのだろう。
 背おられている亜梨子からは、大助の表情は見えない。
 それでも、不安には思わなかった。
 どんな顔をしているのか、想像するしかないけれど――
「……まさか、ハルキヨを一つの場所にとどめちまうなんて。お前、すげえよ」
 表情が見えない大助の声は、純粋な尊敬の声だった。
 亜梨子としては、やりたい事をやってきただけ、なのだが。所在の掴めないハルキヨを一つの場所に留めておくという事は、そんなにもすごいことらしい。特環の包囲網を潜り抜けて放浪している彼は、大助からしてみても厄介で、よくわからない存在として認識されているようだ。
 そんな存在を、引き留めた。
 彼が満足しなかった場合、亜梨子には、引き留めた責任を払う義務が生じてしまったとも言える。
 果たして、自分に満足させるだけのことができるだろうかと、微かな不安が胸を過る。
 したいと思う。できたらいいと思う。やって見せなくてはならないと思う。
 亜梨子自身、それをやりとけだいと願っている。
「私、強くなるわ。摩理のためにも、ハルキヨのためにも。虫憑きの戦いを、終わらせるためにも」
 虫憑きとは何なのか?
 言葉にするだけなら簡単なこの疑問。それは、あまりに難題だ。
 誰もがそれを考え、誰もがその答えを手にしようとしただろう。
 この難題に立ち向かい、納得できる答えを得ることは、きっと亜梨子や大助が考えている以上に難しい。それを理解していても、問わずにはいられないのだ。
 だって――
 だって、亜梨子には――
 今体温を感じているこの背中が、他の人間と同じではないなんて、思えないのだから。
 生意気だけど根は優しい、たった一人しかいない、普通の男の子だ。
「上だけ見て、歩き続ける」
 ぐっと首を曲げ、上を見上げる。
 亜梨子の瞳に、果てしなく続く、青い世界が広がった。
 遠い、遠い、手も届かない、どこまでも続く、青い空。
「何が見える?」
「え?」
「上、見上げてさ」
 大助に問いに、亜梨子は――
「……そうね、大助の笑顔があったらいいわ」
 え、と呆けたような声。
 大助の動きが、一瞬止まる。
「全部見つけたら、笑いなさい。さすが亜梨子様、ってね」
 抱きしめたままの背中からは、やはり表情はわからなかった。
 ただ一言、柔らかい声が聞こえる。
 それだけで十分だ。






上を向いたら何が見えるの?
(そうね、あなたの笑顔があったらいいわ)
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