見てしまった。放課後の教室。日直の仕事なのだろう、机に突っ伏して眠っている少女の隣で、頬に絆創膏を貼った少年が日誌を書いている。
 ふいに、少年がペンを動かしていた手を止めた。日誌を書き終わったのかもしれない。顔を上げ、眠っている少女を眺めている。廊下からでは角度が悪く、前髪も邪魔になって、少年の顔は見えない。
 何をするでもなく寝顔を見つめる少年と、そんな光景を息を潜めて盗み見ている自分。急に馬鹿らしくなり、気付かれないうちに離れようと思ったが――思わず足を止めた。
 中学生とはいえやはり男とわかる少し骨ばった少年の手が、少女の髪を触る。後頭部のポニーテールを軽く持ち上げてみたり、長い髪を指で鋤いたり。遊ぶみたいに触りながらも、その手つきは見たこともないほど優しい。
 顔が近付く。
 髪に軽くキスをして、少年の手がようやく――少女から離れた。
 少年が顔を上げる。それからまた、目の前の少女を見た。

 どうしようもないくらい腑抜けた、穏やかな笑顔で。

「……ばっかみてえ」

 あんな顔の人間が、戦えるはずがない。自分の戦う相手が、あんな顔をしていていいはずがない。
 彼が自分の強さを認め、対等に戦った上で勝利を手にし、自分は故郷へ帰るのだ。全てを取り戻し、今度はアンネという自分を認めさせる。
 そして初めて、名前を呼んでもらうのだ。
 だから。
 だから、彼は、あんな顔をしていてはいけないのに。
 強いままで、いつか自分が追い付くのを待っていなければいけないのに。
 あんな顔をしたままでは、彼は絶対に自分を見て戦ってはくれない。




(霞王)



 日誌を書き終わり、いつの間にか眠ってしまったらしい少女を見てため息を吐く。
 日直の仕事が終わったら今日こそハルキヨを見つけ出すわよ! そう息巻いていた亜梨子の姿を思い出し、大助は時計と心地良さそうに眠っている亜梨子を見比べ、今日はもう無理だろうと判断した。
 ここのところずっとハルキヨ探しを続けていたし、それ以外にも、特環の手から逃れている虫憑きと戦闘になったりもした。何をしていたのか、オレが寝込んでいる間に病人の大助よりも顔色を悪くして帰ってきたこともある。
 疲れているのだろう。本人は、その疲労に気が付いていないのかもしれないが。
 本来虫憑きではない、戦い慣れない人間がそんな生活を続けていては、いつ限界がきてもおかしくないのだ。
「親友のため……か」
 そこまで仲のいい友人なんていたことのない自分にとって、花城摩理と亜梨子の関係は想像し難い。だが、本当に大切な存在だったのだろう。それくらいは、大助にもわかる。
 ………少しだけ、羨ましかった。
 未だに寝息をたてている少女を眺め、なんとなくその頭に手をやった。これで起きるかと思ったが、まだ起きない。
 後頭部のポニーテールを軽く持ち上げてみると、癖のない長い髪が手の中からさらさらとこぼれ落ちる。三日に一度、一之黒家お抱えの美容師に長さを揃えてもらっているだけあって、枝毛一本すら見つからない。三日に一度って。初めてそれを知った時は、性格はアレでも箱入りのお嬢様ということに変わりはないんだな再認識したものだ。
 思い出して笑う。そして気付き、思う。
 自分はいつの間に、こんなに普通に笑えるようになっていたのだろう。
 終わりの見えない戦いに肉体を磨耗し、叶わない夢に精神はもういつ擦り切れるかわからない日々。限界に近い状態に、自然に笑うことも難しくなっていた。笑っても、どこか無理矢理で――決して、知らず知らずのうちに顔が弛むようなものではなくなっていたはずだ。
 亜梨子に感化されてしまったのだろうかと、そんなことを思う。自分の感情を素直にぶつけて、さらけ出して、その時言われたいことを当たり前のように言って。

『死ぬなんて、簡単に言うんじゃないわよ』

 いつか言われた言葉を思い出す。
 きっと夢を託したのが花城摩理じゃなかったとしても、コイツは今のようにかけずり回っていたのだろう。どこまでもバカで、お人好しで、お節介。理由もなく簡単に人に手を差し伸べる、大助の一番嫌いなタイプ。
「………負けたよ、お前には」
 亜梨子の髪に軽いキスを落とす。
 一号指定と恐れられている自分がこんな台詞を吐き、こんなことをしたと知ったら、その人間は何を思うのか。
 それは、大助が一番よくわかった。
 自分の正直な気持ちに、オレ自身が一番戸惑っているのだから。




(大助)



 目を覚ますと、教室は夕暮れで赤く染まっていた。眠ってしまっていたのかとようやく気が付く。ぼんやりとした頭をなんとか覚醒させ、顔を上げる。目の前にいた少年と目が合った。寝顔を見られていたのかもしれない。
「だい……すけ?」
 見間違いだろうか?
 夕暮れに染まった彼の顔が一瞬、穏やかな、幸せそうな笑顔を浮かべていたような――
「起きたんならさっさと帰るぞ、バカ亜梨子」
 ――前言撤回。絶対に私の気のせいだ。
 大助はいつも通り少し不機嫌な顔をしているし、いつも通りにぶっきらぼうだし。
「疲れてるんなら家で寝ろよ。ハルキヨ探しは、お前のせいで今日は中止」
 そしていつも通り、言葉の中に見え隠れする優しさと心配は解りづらいままだ。
 私が疲れているから、ゆっくり休ませるために中止にしたくせに。
 私が起きるまで、待っていてくれたくせに。
「……んふふ」
「な、何だよ、そのわかってます的な表情は」
「何でもないわよ」
「何でもなくねーだろ……なに笑ってんだよ」
「バカ大助には、わかんなくていいの!」

 今日は帰ってゆっくり休もう。
 そうして明日からは、またいつも通り彼と探索に行こう。




(亜梨子)







気付かぬは本人ばかり






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