目が覚めたとき真っ先に視界に入ったのは白い天井。救護室のベッドで眠らされていたのだと気付いた後に、目の端から耳まで伝った涙に気付く。
 嫌な夢を見ていたことだけは覚えている。詳しい内容までは覚えていないが、懐かしい天井の軋む音が、未だに頭の中で反響していた。意識が覚醒するにつれ次第に薄れていくその音に、自分がどんな夢を見ていたのかなんとなく理解した。

「おはようございます」

 声のした先に視線を向ける。
 “霞王”が目を覚ます以前に、意識を取り戻していたのだろう。ヘアピンから服装等、いたるところにハートマークを身に付けた少女が、隣に並んだベッドに座っていた。挨拶しながらも、少女の視線は膝の上に置かれたノートパソコンに向けられたままだ。キーボードを叩く音と、マウスをクリックする音だけが白い部屋に響く。

「……テメェ、何でここにいんだよ。今回の任務にはついてなかったはずだろ?」
特環を裏切った“からす”と“ふゆほたる”の脱走事件。及び、同じく脱走したセンティ・ピードと、持ち出された一枚のディスク。
 その奪還任務に言い渡されたのは、自分や“四葉”といった戦闘班だけのはずだ。情報班である“C”が救護室に運ばれるような任務ではなかったはず。
 “霞王”の言葉に、キーボードを叩く音が止んだ。“C”が少しだけ言いづらそうに唇を噛み、苛立ちを露にしながら言う。
「“ふゆほたる”を、見てみたかったんです。殺そうとして――返り討ちに遭いましたけど」
「ハッ、ざまあねえな」
 “C”が、横目で“霞王”を睨んだ。
「無指定にやられた“霞王”さんよりはマシです」
「…………」
 少女の言葉に、何故救護室に運び込まれているのかを思い出してしまった。舌打ちする“霞王”。“C”は、そんな“霞王”のことなどどうでもいいと言うように、またPCへと視線を戻す。
 そんな“C”の行動を見て、“霞王”は思う。
 自分もそうできたら良かった、と。
 無指定にやられたことなんてどうでもいいと、また戦いに戻れたら。そう思うのに、“霞王”は喉に骨が引っかかっているような気持ち悪さが拭えない。自分よりも遥かに弱い、飛ぶことしか脳のない“からす”なんかに負けたことが、忘れられない。

『自分よりも弱い奴に負けることになるぞ――』

 いつか“かっこう”に言われた言葉が、自分の中でぐるぐると渦巻いていた。
 あの時意味のわからなかった言葉が、現実になってしまっている。そう忠告を受けた時からずっと、少しずつ大きくなっていた不安や恐怖に気付かないフリをしていた。そんな訳がないと鷹をくくって、もっと強くなればそんな不安も消えてなくなると信じ込んで、戦いに身を費やした。
 何がいけなかったのか。
 どうして自分は、こんなにも弱くなってしまっているのか。
 “霞王”にはそれがまだ、わからない。
 どうしようもない悔しさと惨めさが、身体を支配する。
 戦いたい。
 こんな場所から抜け出して、一秒でも早く戦いたかった。戦っていれば、こんな感情だって何もかも忘れることができるのに――

「なあ、“C”」
 返事はないが、構わず続ける。
「どうして“ふゆほたる”を殺そうとしたんだ?」
 その返事は、意外にも即答だった。
「――あの人が、“かっこう”さんの邪魔になっているから」
 間違っていないと確信している目付きで、“C”が呟く。
「“かっこう”さんを惑わせているから。“ふゆほたる”だけが、“かっこう”さんの絶対だから。“ふゆほたる”が“かっこう”さんを縛っているから。“ふゆほたる”さえいなくなれば、“かっこう”さんはようやく解放されるんです」
 “かっこう”を正義の味方のように盲信している少女の台詞を聞き、“霞王”は笑う。初めて出会った時は、ここまで酷くはなかった。
 “かっこう”が今頃どうしているのかは知らないが、きっと自分たちのことなど歯牙にもかけていないはずだ。少女の余りに一方的な想いが、滑稽で仕方ない。
 それは、自分も同じなのかもしれないけれど。
 “かっこう”は今でも虫憑きの戦いのど真ん中を進んでいるのに、いつの間にかこんなにも差が出てきてしまった。
 いつからだろう。自分達は、いつから成長していないのだろう。
 思い出すのは、あの背中。絶対に取り戻すと、力強く決意を口にしていた彼の表情を、“霞王”は知らない。
 まだ終わっていない、だから“霞王”とはまだ戦わない――そう言い放った、自分を見ていない彼の顔しか、自分は知らない。

 ――早く、彼女が戻ってきたらいいのに。あの槍型が戻って来さえすれば、自分はようやく“かっこう”と戦うことができるのだから。
 遠くから、天井の軋む音が聞こえる。
 それが幻聴だということを、“霞王”は理解していた。








ぶっ殺す日が遠すぎる




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