オレはこの女が堪らなく嫌いだ。
 こんな任務は早く終わればいい。それだけが今のオレの願いだった。
 百歩譲って、見てるだけの監視班なら耐えられる。けれど関わり合いになるのは真っ平御免だ。
 監視者と監視対象は無関係を装わなければいけないという決まりに、どれほど安心したことか。
 同じ家に住み、監視者と監視対象だったとしても、学生にとっては起きている時間の半分を過ごす学校ではこの女に関わらなくていい。
 それだけで耐えられない程に感じていたストレスから解放された気分だった。
 なのに何だあの女は? 転入早々、クラスメイトはもちろん教師にまで聞こえるよう声高々に、
「えー、皆さん。あらためて紹介します。一之黒家で使用人としてしょーがなく雇ってやることになった、薬屋大助クンです。みんなも彼を奴隷と思ってなんでも言いつけてやってね」
 ――俺の休息の地は完全に奪いさられた。
「住み込みで働いてるってマジ?」「使用人じゃなくて実は婚約者だったりして!」「付き合ってんの?」「じゃあ同棲!?」
 ちなみに、これらの勘違いを解くには放課後までかかった。
 今思い出しても苛々する。あれさえなければ、オレは学校でだけは平穏に過ごせていたかもしれないのに。
 でもそれはあり得なかったのかも、とも思う。口を開けば厄介事を招き、何かするたびに問題を更にややこしくさせ、最終的にオレが後始末をさせられる。
 そんな女のことだ。きっと少しもオレのことを放っておいてはくれなかったのだろう。
 だけど、せめて。せめて、どんなことにでも首を突っ込む性格はどうにかならないのか。

「大助、あなたちょっとひどすぎやしないかしら?」
 屋敷内に与えられた大助の部屋に入ってくるなりそう言ったのは、オレの悩みとストレスの張本人。ひどいのはお前だ。
「何がだよ」
「虫憑きに対してよ。寧子さんのことも、利菜の仲間にも……摩理にだって、貴方は嫌な顔をするじゃない。私、大助の考えてることが全然わからないのよ。同じ虫憑きなのに、どうして?」
「チッ……そんなことかよ」
「なっ――そんなことなんかじゃないでしょう! 私は知りたいのよ! 貴方が、虫憑きのことが!」
 煩い。
 耳にキンキン響く女特有の甲高い声が喧しい。
 コイツは何を言ってるのだろう。普通の人間に虫憑きのことが理解できるなんて、どうしてそんなことが思えるのだろう。見てきたものが、見ているものが違うのに。
「うるせぇな」
 今まで声を張り上げ胸を張っていた亜梨子の肩が、ビクリと強ばったのがわかる。
 揺れるポニーテールが目障りだった。ずるずる伸ばしてるそんな髪、切っちまえとすら思う。
「何なんだよお前は。何様だよ。お前にオレ達のことがわかる訳ねぇだろ。摩理が虫憑きだってことも知らずに親友だなんてよく言えたな? 虫憑きのことをわかりたいなんてよく言えるな? いつもいつも考えなしに走り出すお前は、今だって何にも考えないままそんなこと言ってるんだよな」
 微かに後退りした亜梨子を力任せに壁に押し付け、思いきり殴りたい衝動を落ち着かせ、その代わりとでも言うように言葉で傷を付けていく。
「私は……私だって、色々考えてるわ。貴方の考えていることがわからないから、ちゃんと言葉で言って欲しいの。ええ、摩理のことは言い返せないわよ! だって知らなかったもの! だから私はそれがすっごく悔しいの。摩理のことをもっと知りたい。知った上で胸を張って親友って言いたいわ! だからわかりたいのよ。摩理のことも大助のことも虫憑きのことも、もっともっと、知りたいの。理解したいと思ってる!」
 一瞬だけ泣きそうに顔を歪めてから、大助に負けじと言い返してくる。それが更に大助の勘に触った。
 何も言えないくらいに打ちのめしてやりたい。バカみたいに泣かせてやりたかった。
「理解なんてされたくねぇよ。そんな簡単に理解できるはずないだろうが? ……オレの気持ちがわかるかよ。同じ夢を持った奴から全てを奪わなきゃいけないあの気持ちが――全部背負ってそれでも歩いて行かなきゃ許されないオレが、どれだけ――」
 逃げ出してしまいたいかも、知らないくせに。
「……亜梨子。オレはお前みたいな奴が、一番嫌いだ」
 ぐい、と亜梨子の襟首を引っ張り、ギリギリまで近付いていた体からもう一歩踏み込む。この関係を壊したかった。亜梨子が見ているだろう、キラキラと輝いている綺麗な世界を、泥で塗りたくってやりたい一心だった。
 こういう時、男と女という性別の違いはなんて役立つのだろう。
 体の大きさはオレが勝っている。壁に押し付けられている亜梨子に逃げ場はないし、腕力も体力も、オレの方が上だ。亜梨子はオレを防げない。逃げられない。抵抗できない。
 大きな黒い瞳が見開かれ、睫毛が震えた。
 亜梨子の唇に、無理矢理自分の唇を押し当てる。抵抗しているらしいくぐもったうめき声が耳障りだ。
 取り返しがつかないくらい滅茶苦茶にしてやったら、いくらコイツでも少しは大人しくなるだろうか――
 舌を入れようと、少しだけ口を開いた瞬間、唇の端に鋭い痛みが走る。鉄の味が広がり、思わず口を離した。
 オレを睨む亜梨子を見て、噛まれたのだと理解する。
「――バカね。こんなことして喜ぶなんて、私が思った以上に貴方はバカだったみたい」
「……犯すぞ、お前」
「やってごらんなさい」
 なんで、亜梨子が未だそんなに真っ直ぐにオレを見ていられるのかが、大助にはわからない。
 確かに、これはカマをかけただけだ。本気で犯してやろうと思っている訳じゃない。亜梨子に危害を加えれば――花城摩理が出てくるかもしれない。それは、リスクが高すぎる。
 だが、亜梨子はそんなこと知らないはずだ。なのに、どうして。
「私は大助に何を言われても、何をされても、さっき言ったことは撤回しないわ。大助を苛立たせようと何だろうと、あれが私の本音だもの!」
 “虫憑き”なんて柵を気にもしないで飛び越えて、無償に手を差し伸べてくる人間。そんな人間が、一番嫌いだった。
「オレは――」
 唇が痛い。
「お前が、嫌いだ」
 痛い。
「大っ嫌いなんだよ。頼むからこれ以上、踏み込んでこないでくれ」
 勘違いしそうになる。この女ならやってしまうかもしれない、と思わせる力が亜梨子にはある。それが怖い。いつも走って行って痛い目を見るくせに、困らされることがわかっているくせに、また同じ期待をしそうになってしまう。
 亜梨子のペースに、世界に、巻き込まれる。 
「虫憑きじゃない奴に、虫憑きのことはわからない。お前は虫憑きじゃない。これ以上、関わるな」
「嫌よ」
 ……返答の余りの早さに、苦笑いしか浮かべられない。
 虫憑きに関わって、理不尽な危険に晒されても知らねえぞこの女。
 オレの話しなんか聞いちゃいないこの少女が、やはりどうしようもなく憎たらしかった。

「私は意地でも関わってやるわ。虫憑きだって、同じ人間だもの」

 もう好きにすればいい。
 そう告げたら、オレの負けなのだろう。








続・嫌いな人










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