視界全てが、鮮やかな夕焼け色に染まっていた。 暗くなる前に、お家に帰りましょう――親が幼い子に言い聞かせるその定型文があるからだろうか。夕暮れ、茜色に統一された空と街並みを見ると、泣き出したいと思うことがある。嫌でも、帰る場所がないことを、自覚する。 眩しすぎるものを見るように眉を潜めた大助が思い出すのは、転入初日、美術室で見た夕日の画。 (これは後から気付いたことだが、以前ホルス聖城学園に展示されていた夕日の画と同一人物の手によるものだった) 彼女が描いたという風景画はいくつか目にしたが、夕焼け以外の絵は見たことがない。 立花利菜。 それが、彼女の名前だ。 何の因果か、俺がこの学園に潜入してきた理由もその少女にある。 レジスタンスむしばねのリーダー“レイディー・バード”、立花利菜を監視せよ。特環から“かっこう”に下った任務だ。 クラスメイトとして多少の交流を持つにつれ、大助の中の彼女のイメージが大きく変わった。 正直、ただのバカだと思っていたのだ。偽りなしの本音である。 下手に才能があり、怠ることのない努力により異常とも言うべき早さで力を身に付け、特環に敵対してきたむしばねのリーダー。愚直過ぎる彼女と自分は、相容れない存在だと大助は認識していた。 事実、教室にいる時の彼女はそうだ。笑い、はっきりと意見を口にし、特別リーダーシップを取っているという訳ではないのに、いつの間にか人の中心に立っている。 だが時折、どこか遠くを見るような表情を見せることがある。 そこにいるのに、いないような。 いつでも多くの人間が周りにいるのに、たった独りでいるような―― そんな顔を、たまに見る。 美術室、今そこにある夕焼けを見ずに夕日を描いている彼女の姿。それを横目で見ながら、大助は彼女が自分と同じ一号指定の虫憑きであることを意識した。 どちらが、本当の立花利菜なのだろう。 輪の中心で笑い、 憂いを含んだような顔で、筆を動かす彼女は―― どんな夢を、持っているのだろう。 「立花さんには、夢ってある?」 学校での「薬屋大助」を演じながら、キャンバスに向かう利菜に問いかけた。 筆が止まり、虚を突かれたような顔で大助を見る。 「叶えたいこと。なりたいもの。何があっても手放したくない、そんな願い」 「……突然、何?」 普段、あまり真面目な話しなどしないからだろうか。一拍置いてから不審そうな目で見られてしまう。 「いやさ、こんなに絵がうまいから、画家でも目指してるのかなって」 言うと、利菜は何を思ったのか、今度は不機嫌に眉を寄せる。止まっていた筆が動き出し、表情とは逆に、彼女は今までよりも丁寧とも言える手付きで夕日を描き始めた。 そのまま黙ってしまうかと思ったが、少しだけ言い淀みはしたものの、利菜の口から声が漏れる。 「画家じゃあ、ないわ。あたしは、画家にはなれない」 「……ふうん」 「でも、夢は、ある」 「……そうなんだ」 ポツリ、ポツリと、独り言みたいに呟かれる利菜の言葉に、相槌を打つ。 「あたし、みんながいてもいい場所……って言うのかな? そういうのを、作りたいのよね。泣いている子なんていない、みんなが笑っていられるような、居場所をね」 笑う。 そう言って、彼女は笑った。 夢に見た世界を――夢見て。 「……楽園みたいな、世界だね」 争いもなく、平穏な日々。 誰もが願ったその世界を、彼女は作り上げようとしているのだ。 誰かが転び、周りがそれを見捨てても、この立花利菜と言う少女だけは、笑って手を差し伸べるのだろう。 けれど。 それでは、彼女自身が転んだ時は、いったい誰が手を差し伸べるのか。 彼女が強くあったからこそ、皆彼女なら大丈夫だと勘違いをしてしまうのでは、ないのだろうか。 「それが、私の夢」 「…………」 鮮やかな夢。 虫憑きならば、利菜を救世主と思わない者はいないと思う程に――その願いは、虫憑き達全ての願いでもあった。 けれどもその願いは、本当に彼女自身の願いなのか。 「……うまく言えないけど。立花さん自身を隠すのは、良くないと……思うよ」 自身を騙して、それで彼女に何が残るのだろう。 鮮やか過ぎる夢に彼女自身が隠れてしまって、それでどう救われると言うのだろう。 「あ――」 「それじゃ」 「あ、あたしは。薬屋、あたしは――」 「立花さん――また明日」 何かを言いかけようとした利菜の言葉に被せるように、大助は別れの言葉を口にした。 美術室を出る。廊下を歩き、階段を降り、昇降口で靴を履いた。校門を出て、大助は夕日を背に歩き始める。 ――君が眺めていたその空は、今でも君の心を隠しているのだろうか。 |