この身に有り余るほどの快感。もう忘れてしまったはずの生の実感。狂おしいまでに求め合い、獣のように貪りつく。喉から漏れ出す音に意味のある言葉などなく、正常な思考は働かない。足の付け根から身体の内をじわじわと溶かしていく熱に、人間が人間足り得る要因を失った。 衝動のまま腰を打ち付けられ、また、僕もそれに応える。口端を伝う涎を拭うこともせず、没頭する。 まるで本当の獣のようだ。 言葉も思考も理性も失い、そこに残るものは果たして人間だろうか。猿や犬と同じ、ただの動物。ただの生物。生きる物。ただ繁殖本能と生存本能に従い、命を繋いでいるだけのもの。 けれど―― それの、何がいけない? 「あ……はぁ……は……、智…………」 自分でも聞いたことのない、上擦った声。肩を上下させ荒い呼吸を整えていると、全ての精を吐き出したからだろう、智の身体から力が抜けた。今にも膝から崩れそうなその身体を、そっと抱きしめる。 「……智」 汗で額に貼り付いた前髪を払ってやり、熱を確かめるように額に手を置いたまま口付けた。 「智、寝てしまったのかい?」 頬を寄せると、返事の代わりに穏やかな寝息が耳朶に触れた「ふむ……そうだね。僕もまた、こうしてこの心地好い余韻に浸るのもいいのかもしれない」 しばらくの間、そのまま顔を寄せて時を過ごす。汗や唾液の他に、血の混じった粘ついた液に濡れているのにも構わず肌を擦り合わせた。幸せな時間だ。生きていて良かったと思える瞬間――これが、智の教えてくれたもの。 ただの獣に成り下がった今、病気も呪いもなにもかもが遠い場所にあるような気がする。自己を全て手放した代わりに、世界の全てを内包したような、どこまでも透明な命の感覚。 ……世界の果てがあるならば、こんな場所なのかもしれない。なにもなく、それ故に美しい。 自分の胸の下で脈打っている智の鼓動。一定の速度を保ちながら奏でるそれを子守唄に、瞼を閉じる。 幸福な微睡みに身を任せ、ここで眠りに落ちることができるなら、さぞいい夢が見られるのだろうと。そう、思い。 ――惠は、瞼を開いた。 「――――」 茹だるような熱が、急速に冷えていくのが分かる。 緩やかに身体を離し、無防備に横たわる智の姿を見下ろした。 滑らかな肌に、指をすり抜ける柔らかい髪。しっとりと汗ばんだ身体を繋ぐ、細い首。 動かない彼がけれど死体ではないと主張する鼓動に触れ、体温の低下しきった指先がじんわりと熱を持つ。 愛しい智。 僕の愛しい智。 この喉から、僕への愛の言葉を吐き出したのだ。 僕を求めてくれる智の言葉、一つ一つを思い返すたび背筋が震えそうになる。智の喉から伝わる、甘美な誘惑。命の音。この薄汚れた世界の中、彼はどんな優しい夢を見ているのだろう? ゆっくりと、撫でる。 力を入れれば、智は起きるだろうか。それとも、目を開くことなく、息絶えるだろうか。 指先が、甘く疼く。 何よりも欲していた命が、ここにはあった。 今ここで智の命を奪えば、僕は再び命を繋ぎ、生きることができる。今までずっと、そうしていたように。 ――――智の命を食べて――――智と、一つになって? 「………………」 ひどく、気持ちが悪い。 僕のせいですっかり冷たくなってしまった首筋から手を離し、 「――――殺さないの?」 驚きに、肩が震えた。 眠って――いたと、思ったのに。 「……どうして、僕が、そんなことを、すると?」 「だって、惠の目が――――」 いつから、起きていたのか。全てを見透かすような、真っ直ぐな智の瞳が僕を射抜いた。 瞬間、切った先の言葉を、理解する。 「ああ、そうか。君に見えたものは、きっと真実なんだろうね」 持って回った言い回しで、肯定の意を告げる。 生まれたての子供のように綺麗なその瞳は、真実のみを映してしまうのかもしれないと思わされる輝きがあった。 悲しみや、喜び。これまで一切赦さなかった、感情のうねり。掻き乱された中にある、最も強い想いを――君は見つけてしまえるのか。 「それは、愚かで、浅ましい、真実だ」 智。 愚かで美しい、僕の大好きな智。 どろどろに煮詰めて固めた飴の味を誤魔化す、何重ものオブラートになんか包まずに。真実を閉ざす、この口からなどではなく。 ずっと、知ってほしかった。 君にだけは、知られたくなかった。 僕の中で、ただ一つ。 何よりも確かで強固な、無傷の想い。 僕は君が、とても憎くて――――頭が焼ききれそうなまでに、呪っている。 ・ ・ ・ 「やぁのやぁの! そこはやぁのぉ!」 「さっきあれだけのことをしたんだ、もう恥ずかしがることもないんじゃないのかな?」 「あります、あるんです……ってそこらめぇ!」 「智は不思議だね」 諦めて身体を離す。と、泡立てたスポンジをむしるようにして奪い取られた。 「とにかくダメダメ、ぜぇーったいに駄目!」 「ひどい嫌がりようだ」 早く帰ったほうがいいとは言っても、流石にあの格好のままでは帰れない。という訳で、シャワーを浴びてからの帰宅ということになった。 そして、せっかくだからと一緒にバスルームへ入ったところまではいいのだが―― 「こういう時には、お互いに身体を清め合うのがマナーとよく聞くけれど」 「そんなマナーはありません!」 「僕のシャツを洗ってくれたお礼と考えればいい」 「いやあの、背中を流してくれるのは確かにすごく気持ちよかったんだけど……前までしなくていいから。惠だって、その、胸とか……あそことか、僕に洗われるのは恥ずかしいでしょ?」 「洗いたいのかい?」 「うん、それはやってみたいけど……ってだからそうじゃなくて! とにかく駄目なものは駄目なの恥ずかしいのぉ!」 「強情だ」 仕方なくシャワーを手に取り、泡のついた身体を流しにかかる。それから智が自分の身体を洗うシーンを想像して、身体の内側に熱がこもった。 ……もしかしたら、智が洗われるのを嫌がった理由は、これ以上帰るのを遅くすまいという配慮だったのかもしれない。 ふと浮かんだ考えに、息を吐く。顔が熱い。 |